映画・テレビ

2009/07/09

Dear Doctor

人に勧められてこの映画を知ったのだが、いやはやいいものを見せてもらった。笑福亭鶴瓶が贋医者に扮して地域医療の中に溶け込むなんてすごいことじゃない?

構成がなかなか複雑だが物語の筋が追い切れないというほどでもない。画面から立ち上る雰囲気がなんだかアメリカ映画の「Smoke」を思い出してしまった。人物の設定も物語の場所も全く違うのになぜかこれを思い出す。人間の弱さや哀しさを描いているからだろうか?

「嘘をつく」という行いは良くないこととして受け取られているが、この映画は「嘘をつく」というまさに良くない行いを通してそれに関係する人間の様々な断面を切り取っている。

主人公伊野の嘘はもちろん医師免許がないのに医者として活動していることだ。だがその嘘によってこの人物は無医村の地域にとってなくてはならない人になっている。誰もが彼を敬愛し、頼って暮らしているのだ。

患者の一人鳥飼かづ子は都会に暮らす娘たちに自分の病気が良くないことを必死に隠そうとして伊野に一緒に嘘をついてくださいよと頼み込む。この嘘は都会に暮らす娘たちの負担になりたくない、あるいは先に見送った夫の看病を通して得られた特殊な感慨であったのかもしれない。

この作品は2重の嘘を通して進んでいくのだが、嘘はここではいけないものとして描かれてはいない。この作品の空間では嘘は必要とされている嘘なのだ。もちろん嘘なのだからそれによって傷つくものがいる。鳥飼の娘しかり、村人や村長さんしかり。だがその嘘を糾弾したりするものは皆無だ。みなその嘘を受け入れているように見える。ならば嘘とは一体何なのだろうか?嘘にまつわる僕らが通常思っている観念とは果たして正しいものなのか?

贋医者伊野も鳥飼の嘘もみな善悪のきっちり色分けされた世界にはなじまないものだ。いやそもそもこの世界をたった二つの色に分けることなどなかなかできるわけではない。そのことを僕らはよく知っている。だが、頭でわかっていることと実際の行動は違う。僕らは実際の行動を起こすに際しては単純な色分けの世界に安住したがる。そのほうが楽だから。だがこの映画に示された嘘はその嘘にまつわる観念を揺さぶり、僕らの世界観の狭さを指摘する。単純すぎる世界に暮らしていると思いたがっている僕らの感性の硬直を静かに攻撃し、認識の更新を迫るのだ。

生み出された嘘とその嘘が必要としている世界の再構築を迫る、なかなか硬派な映画だと僕は思った。

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2009/07/08

MW

やれやれと思わぬでもない。玉木宏という人気者を主演に据えてこの出来栄えとはいかがなものかと少々意地悪なことを書いてしまいたくなる。しかも手塚治虫の原作のテイストをぶっ壊してしまっているように思えてならない。お粗末なハリウッド映画と大差ないのだ。

まず冒頭のシーンからいけない。アクションシーンの連続なのだが、そしてそれは非常に力の入ったシーンの連続なのだが既視感に溢れ、あっと驚く要素が皆無だ。華麗な逆転劇もなければ、息をのむようなスリルもない。刑事に追われている主人公結城が無事に逃げおおせるだろうということまで予見されて熱意が完全に空回りだ。

また結城と賀来神父の関係もきちんと描けていないから原作を知らない観客が見たら戸惑うだろうし、原作を知っているものからすれば物足りなく思うだろう。神の僕たる賀来が結城の犯罪を知りつつなぜその片棒を担いでしまうことをするのか。このあたりのことを本当はきっちり描かないと作品の方向性を見失うし、また主人公たる結城の悪魔的な行動と心理が浮き上がってこない。原作では賀来と結城はホモセクシャルな関係で人を平気で殺す結城が例外的に特別視するのが賀来なのだ。賀来は結城の年の離れた幼馴染であり、結城に一種抜きがたい愛情を持っていて、神の御心にそむくような行いをする結城の暴走を何とか止めたいと願って呻吟するという役どころだ。こういった背景があって手塚のMWは描かれているのに、それらをきちんと描かないから、あるいは再定義しないから非常に薄っぺらないアクション映画になってしまっている。パンフレットを見ると結城と賀来の目線でそれを表現しているというが、そんなこと観客に分かるわけがない。エピソードを一つ、それも冒頭に近い部分に入れればこの作品の人物にきっちりと陰影をつけことができただろうに、それを怠るから凡庸な仕上がりになってしまう。おかげでラストシーンがなんのこっちゃわからなくなってしまった。

もう少し人物を整理するべきだったろう。例えば石橋凌演じる刑事は結城を追い、石田ゆり子演じる新聞記者はMWの謎を追うがこれはまとめて一人の人物にしておくべきだったろう。どちらも「追う」ということにかけては変わりがないのだから。またMWに関わった巨悪が少しも巨悪に見えないところがもったいない。

そもそもアクション映画にしようという方向性が間違っている。人物を執拗に追いかける犯罪映画にテイストを絞るべきだった。ちゃんと作ればたいした評価を得られただろうに、商業映画だからといって無用な皮算用をしたのだろうか?もったいないことをしてくれたものだ。

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2009/06/28

レザボア・ドッグス

クウェンティン・タランティーの初監督作品。彼はこの作品で成功への階段を一気に駆け上がり、次作の「パルプ・フィクション」でカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得するなど、過分とも言える、あるいは目を見張るような活躍っぷりを見せつけたものだ。当時の僕はといえば東京に出てきて間もない頃で、東京ではこんな映画が上映されるのかと驚いていたころだ。もう何回見たことだろう?今回はDVDで鑑賞した。

僕の好みでいえば「パルプ・フィクション」よりこちらの「レザボア・ドッグス」のほうが好きだ。「レザボア・ドッグス」の構成は斬新でゆえに緻密でもあった。場面が基本的には強盗団のアジトの倉庫しかなくそこで繰り広げられる物語は濃密であった。

公開されてから10年以上の時間が経過しているが、古びた感じが全くない。今すぐに劇場で公開しても全く遜色ない出来栄えといえば、これは傑作と言っていい作品なのだろう。

この作品の特徴は省略の美であろうと思っている。余計なものが一切出てこない。女は出てこない、余計な恋愛描写はない、家族に対する愛は描かれず、そもそも家族がいるかどうかさえ分からない。黒人は出てこない、人種に対する配慮がなくそもそもマイノリティに対する何の意見も表明しない。登場人物の過去がほとんど描かれない。だけど登場人物の個性はきっちりわかるように描写されている。大事なことは強盗団の話なのに肝心の強盗のシーンがなく、宝石店からの逃走シーンしかない。映画に付随するであろう様々な要素をこそぎ落し「この中に警察の犬がいる。その犬を探し出せ」にのみストーリーが集中している。しかも過去から現在への一直線的な時間の経過はたどらず、自由に過去と現在を行き来する。一切の余計なものを廃し、ひたすら現在を語ることに重きを置く。しかも現在を語る時のディティールの細かさといったらどうだろう?冒頭のチップを払う払わないのばかばかしさや、中盤の宝石店からさらってきた若い警官の耳を切り取るシーンでもミスターブロンドが剃刀を自分の頬に当てて見せてから音楽に乗って警官の耳を切り取ってしまうところなど、現在をのみを表現していながら、その人物の持つ個性が大胆に表現されている。

まったくもって隙のない作品だと思う。10年以上の時間が経過して現在でも強くそう思う。未見の人はぜひ見ておくべき作品だろう。

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2009/06/20

Juno

アメリカ映画を見ていて不思議だと思うことが時にある。何年かに一本青春映画の傑作が生まれるのだ。邦画全盛の昨今において、洋画、特にハリウッド製の作品が振るわない中にあって、この作品はどれだけ低く見積もっても佳作の域には達していよう。アメリカ映画は侮れない。そんな感慨を強く持った作品だ。Blu-rayで観た。

16歳で妊娠する。人生の大きな岐路に立たされてしまう少女の姿をこの映画は実に軽やかにポップに描写する。その裏に隠された突風のような不安な心理を覆い隠すかのように。

この映画の面白いところは主人公ジュノという女の子だろう。学校では変わり者とみられているが実際には好きな男の子とのセックスをして妊娠をしてしまうという事実は変わり者と見られているこの少女とてその内面に抱える資質が他の少女たちと少しも変わらないということを表わす。何となれば、妊娠というどうしても他の人々の手を借りねばならない状況の中で、そして16歳という偏見の目で見られがちな状況の中で彼女は本当に愛している人々は誰か、愛しているのはだれなのかということに少しずつ気付いていくのだから。

一人の少女の成長物語としてなかなか面白い作品だ。何より青春映画としてきちんと成り立っている。間違いなく佳作にはなっているだろう。

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2009/06/09

ジャンヌ・ダルク

リュックベッソン監督、ミラ・ジョボヴィッチ主演の映画。奥書をみると1999年の公開になっていて、もう10年前の作品だ。隔世の感がある。ブルー・レイで観た。

実はこの映画僕は見逃していた。ベッソンは好きな監督であったし、正直観たいなぁとは思ったものの主演がミラ・ジョボヴィッチであったことに二の足を踏んだように記憶している。彼女を最初に見たのは「フィフス・エレメント」だったが、どうも好きになれなかったのだ。顔立ちもさることながら芝居も何だかイマイチのような気がしてケッと思っていた。

あれからずいぶん時間が経って見直してみると、なかなか良い。この映画は全編をキリスト教的な宗教感、神の存在と人間というテーマが横たわっているにも関わらずなぜか僕はこの作品でミラとは何てチャーミングな女性だろうと思ってしまった。そんなシーンなんて全くないのに!

特にオルレアンを解放した後孤立していくジャンヌが捕縛され神のごとき黒衣の男と対話するシーンが実にいい。なかなかひりひりする場面なのだがその葛藤、あるいは己の弱さやずるさに向き合う一連のシーンはこの女優の実によき部分があらわされているように思えてならない。困惑の表情や、悲しみの表情にちらと見える女らしさが加わって実に愛らしいのだ。いや、そんな言葉を使うべきシーンでないのはわかっているのだが・・・。そう感じてしまったのは仕方がなかろう?

あるいはそんなことを感じさせるミラがすごいのだろうか?

さて映画そのものの評価としてはどうなんだろう。これはなかなか野心的な作品だと思う。なぜって、この映画は一人の少女の英雄譚でもなければ悲劇譚でもない。人間のあさましさや、愚かさ醜さをそういった価値観から最も遠い所に位置していると思われる聖少女を通して描いているからだ。ラスト近く人を殺したか否かの問答を黒衣の男とするのだが、この問答ほど大きな問題を孕むのものはなかろう。何となればそれは聖と俗とを峻別することが難しい、あまりに曖昧すぎる境界線が一個の人間の中に横たわることを示唆する。高潔な目的の為に邁進したい、あるいはしてきたという自負を持つものにその過程においてその高潔な目的を汚すような行いがなかったか?何よりもその行いに目をそむけ見ないようにして、目的に添う自分の行いのみを輝けるものと美化してこなかったのか?人間のありきたりな姿を見ないようにしたその原因は一体何なのか?突き詰めればなかなか難しい問いであろう。ジャンヌのセリフに見たいと思う現実を見たというようなセリフがあったが、この台詞の持つあまりに重い問いはいつだって僕らに突きつけられているはずなのだがその問いさえも僕らは忘れようとあるいは見ないようにしようとしているのではあるまいか?

とりとめもなくそんなことを思ってしまった一本だった。考えよ、と叱責されているような重い一本だった。

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2009/06/07

禅 ZEN

道元禅師を主人公にした中村勘太郎初主演映画だ。劇場はなかなかの盛況ぶりで驚いた。道元禅師は歴史の教科書には確かに出てくるが、かといって空海並みにメジャー級かといえば決してそうとは言えないだろう。僕だってその名と著作のタイトルしか知らない。正法眼蔵。時代が道元を求めているのだろうか?

この映画は道元の一代記なのだが、なかなか良くできていると思ったのは粗筋だけを無理やり詰め込んだという感じではなく、きっちりキャラクターを描けていることだろう。20代の半ばから50代の死去の場面まで長い長い期間を僅か2時間で駆け巡るから各エピソードが普通だったら淡白になりがちなのだが、この作品に限っては決してそんなことはなく無理なく見ることができる。パンフレットには1ヶ月程度で脚本を完成させたというから驚きだ。

さらに驚異的なのはこの映画は求道者を描いていることだろう。道元とはおのれに厳しい人であったようでその姿はまさに求道者と呼ぶにふさわしいものだが、得てしてこういった人物を取り上げるのは単調になりやすい。そりゃそうだろう。求道者というのはひたすらに目的を求め、失敗が少なく、艶っぽい話もあり得ない。道を求めることに一生懸命だから脇道に逸れるということ自体がめったになく故に葛藤が少ない。もちろん求める道の追及の過程においてはその境地に至れぬ自分を責めたりもするのだが、それはキャラクター内部の葛藤であって観客にとってわかりやすく提示することが極めて難しい。求道者を描くということは特に映像表現においては実に難しい題材なのではないかと僕は思っている。

だがこの作品はそういったことを軽々と飛び越している。実に稀有な作品だ。おもうに内田有紀が演じたおりんが実によく描かれていたためなのかもしれない。このおりんとは京で体を売って生活する遊女であって設定が突飛というかえぐいというかそういうキャラクターなのだが、これの登場人物に代表される大衆の取り巻く状況がこの作品のリアリティを支えているように思う。

加えて道元が語る只管打座という考え方が現代にマッチしているのかとも思う。あらゆる困難に只管打座を勧めるというはなかなか突き放した回答だと思う。何となれば只管打座とはただひたすらに座禅せよ、己を見詰めよということなのだから。困難がおこれば人は解決策を求めるものだ。昨今のカウンセリングのはやり方は人々が解決を求めた結果なのだろう。だが、只管打座に答えはない。答えは自分自身で求めよということなのだ。答えのない問題に答えるのは己だけ。他人を当てにしない厳しい姿勢が自立した人間を育むといったところだろうか。なかなか考えさせられる重いテーマだと思う。

少しの知識で手荒に扱っていい作品とは思えない。次回見る機会があるとしたらもう少し勉強してからのほうがいいだろう。久々に怠惰な僕に緊張感を与えてくれる映画に出会ったと思う。

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2009/06/03

隠し砦の三悪人

ちょっと映画に詳しい人ならこの作品がルーカスに影響を与えた作品であることを知っているだろう。DVDで観た。

黒澤明の代表作の一つだが、七人の侍や用心棒、影武者といったような作品に比べると知名度では少し劣るかもしれない。

まあ、確かに彼の作品としては少しのんびりした展開の作品であることは間違いないであろう。ストーリーの展開が意外に読めてしまうところが代表作としては少し弱いところか。

先ごろ現代版のリメイク版が上映されていたのだがあれはどうなんだろう?未見であるから何とも言えないが。

なかなか痛快な娯楽作にはなっているだろう。一番の見どころは真壁と田所兵衛の槍での決闘シーンなのだろうが、僕の目を引いたのは意外にも火祭りの踊りのシーンだった。あのシーン何ともモダンなシーンだ。ミュージカルっぽさもあるような気がして、戦国時代の日本の雰囲気をものの見事にぶっ飛ばしているように思えてならない。

何はともあれ肩の凝らない娯楽作として見る分にはなかなか良くできているといえるだろう。

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2009/05/31

本当に久々の投稿

う~ん、本当に久々の投稿になりましたね。今まで仕事が忙しく、気にはなっていたのですがちっとも書く時間はなく、しかも書くほどの心のゆとりもなかった日々もやっとひと段落です。こんなに長期間ほったらかしてよくブログそのものがなくならなかったものだと思います。NIFTYは心が広いというべきか。ひとまずありがとうございます。過疎のブログをひょっとしてチェックしている方お待たせしました。

書かない間も映画は少しは見ていたわけで、今回はこの期間に見た映画のタイトルとコメントを一言だけ。見た順番は順不同ってことで。

・チェ 28歳の革命

・チェ 39歳の別れの手紙

ご存じキューバ革命のヒーロー、チェ・ゲバラの生涯を綴った映画。戦争映画なのに派手でも賑々しくもなく抑えた演技と真実に迫ろうとする演出が秀逸。なかなかの名作に仕上がっていましたぞ。

・20世紀少年 第2章最後の希望

カンナ役の平愛梨はきれいだったが硬かった。肩に力が入りすぎかもしれない。役を消化しきれていない印象だ。第3章ではもう少しこなれてくるか?

逆に小泉響子役の木南晴夏は最高。

ちなみにこの映画、脚本は全然だめ。ストーリーの骨子を無理やり詰め込んだ印象で第1章のほうが出来が良かった。ダイジェスト版的な映画になってしまっていた。

・誰も守ってくれない

実によくできた映画。演者の芝居も実によい。特に志田未来は白眉だ。

また脚本も秀逸。突風のような事件に巻き込まれた人々の不安な心理を巧みに拾い上げていた。モントリオールの脚本賞を獲ってきただけのことはある。ただラストシーンは人によって評価の分かれるところか?僕には少し理想論的過ぎるような気がしないでもなかった。

・おっぱいバレー

タイトルからだけでは何の映画かさっぱりわからないこの作品。なかなかハートウォーミングな作品に仕上がっていた。まあ、ありがちな作品と断ずることもできようが、それでも泣かせてくれるのは手堅い手法のせいだろうか?

どうでもいいがちっともセクシーな衣装を着ていなかった綾瀬はるかのおっぱいばかりに目が行ってしまったのは僕だけではないはず。

・ヤッターマン

今年前半に見た映画ではこれが一番の出来ではなかったかと思う。そもそもこれを実写化しようと思った発想がすごい。

深田恭子は二重丸。一皮むけた感じだ。絶品ですな。

それはそうと三池崇史はなかなかの悪乗り演出っすなぁ。いや、いい意味で。

・英国王給仕人に乾杯

何を言いたかったのかさっぱりわからなかった映画。あまり好きにはなれませんな。

・K-20怪人二十面相・伝

アクションムービーとしてはよくできていたほうではないかと思う。あえてケチをつけるところがないが別にこれと言って褒めるところもない不思議な作品。佳作ではあるが傑作ではない作品。世界観が少し甘いか?

・地球が静止する日

キアヌ主演の作品だがいまいちスカッとしない感じ。尻切れトンボで終わっているような変な気分で劇場を後にした。SFファンにとってはあれでいいのだろうか?

・ワールド・オブ・ライズ

ハリウッドの混迷がそのまま作品に現れたって感じ。特に見どころもなくすごさもない。訴えるべきテーマもなんだかぼんやりしていてつかみどころがない。平和に対するあるいは平和を守るということに対するアメリカ人の自信の喪失を読み取るのは穿ちすぎだろうか?

・レッドクリフ PartⅡ 未来への最終決戦

三国志赤壁の戦いの第二部。やはりジョン・ウー。戦いっぱなしの2時間です。ラストシーンの俗悪さは唾棄すべきものだろう。人物描写に難あり。

・アラビアのロレンス

言わずと知れた大傑作。今日見てきたばっかり。理想と現実の狭間でゆれる青年士官の挫折の物語。無理やりまとめなかったのがこの作品の成功の要因なのだろう。

駆け足で振り返った11本。5ヶ月間とはいかに長い期間であるかを思い知らされた本日の投稿でした。

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2008/12/08

さくらん

映画館で観たいと思って結局見逃してしまった作品だ。DVDでやっと見ることができた。

舞台は江戸時代、吉原である。

まずはそのビジュアルのすごさが目につく。派手で時に禍々しささえ感じさせるその色づかいはすごい。赤が基調となり、なおかつ単純な幾何学模様を多用したセットの造形は従来の時代劇の枠を飛び越えている。

また登場人物たちの言葉遣いも現代的だ。いわゆる時代劇ではない。

さらに言えば主演の土屋アンナもまた普通だったら時代劇に出演できるような女優ではなかろう。確か彼女は外国人とのハーフだったと思うが、その顔立ちから普通だったら時代劇の製作者は躊躇するのではあるまいか?もっともまったく違和感無くてこの女優の力の高さを再確認したものだが。

この映画の特異な点は親が全く描かれないことだろう。女衒に売り飛ばされて吉原まで来る道程は描かれているのに、親との別離は全く出てこないし、大人になってから親を語るシーンもなかったはずだ。唯一あったのは故郷を貧しかったと語ることだけで親の存在がこれほど希薄な映画も珍しい。

原作ではどうなっているのだろう。ひょっとしたら原作でも同じように親の存在は希薄なのだろうか?

これを核家族化した親子の断絶と解釈するのは非常にたやすいことかもしれない。だが内実はもっと根深いのではあるまいか。

あらゆるものから切り離されてしまった個人というものの頼りなさを僕はこの映画から感じる。この主人公の意地っ張りで反抗的な態度とその裏腹とも言うべき弱さや優しさは表裏一体のものだ。人と人とのつながりというものは人をその場に押し込めてしまう恐るべきものだが反面非常に安心できる子宮の中のごとき温さをもあわせもつものだろう。そこから切り離された人間の悲哀というものが垣間見えるように僕には思えてならない。吉原の女たちが身請けをしてもらえる日のことを夢見ている描写がたびたび出てくるが、それは裏返して言えば切り離され吉原という狭い世界で暮らす人間が、切り離されてしまったものを再びつかみ取ろうとする切ないうめき声ではなかったか。

そう言えばこの主人公はそこに勤める若い男とともに吉原を抜ける。この若い男というのは吉原に勤める女から生れそこしか知らない籠の中の鳥の男であった。子のいない女郎屋の主人夫婦の姪っ子と無理やり結婚させられるところであった。この男もまた、親がほとんど描かれない男である。

何だか考えさせられる映画だった。色彩感覚のすごさばかりに目がいくが、内包する主題の重さを考えるときこの映画を傑作と呼んで差支えないのではあるまいか。そんな気がした。

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2008/12/07

ハッピーフライト

矢口監督の最新作。テレビでの宣伝効果もあってか劇場にはかなりの人が集まっていた。子供もいた、なるほど家族向きの映画ではある。

一応主演は綾瀬はるかになっているが、実際は群像劇というのに近く、僕は三谷監督のザ・マジックアワーを思い出した。どちらかといえばグランドホテル形式に近いのではないか、そんな印象だ。

この映画の特徴的なことは我々が知らない空港で働く職員たちがたくさん出てくることだろう。やはり人間知らないことを知るというのは面白いものだが、この映画の場合その職員たちが何をやっているのかまったく説明がなされないところが特徴的なのだ。たとえばたぶんあれはレーダーを監視している人なのだろうが、彼らがどんな事をしている職種なのか僕には今もってわからない。そういう意味では非常に不親切な映画ではあるのだが、だが飛行機がピンチに陥って羽田に戻ってくるときのスリル感を説明でダメにすることがないから、非常にスリリングな展開になっている。説明をあえて省いたというのが正しいのだろう。

ただひとつだけ言わせてもらえば、軽やかで楽しい映画なのだが何だか物足りない。よく取材してあるし、緻密に練られた脚本ではあっても心に少しも残らない。ハッピーエンドが悪いというのではなくて、人物が胸に迫ってこないのだ。綾瀬はるかも寺島しのぶもいいのだが、なんとなくリアルな人間に見えてこない。もう少し人物の描写が欲しいところだ。妙な感想だがそんな感想を持った。不思議な映画だ。

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