映画・テレビ

July 09, 2009

Dear Doctor

人に勧められてこの映画を知ったのだが、いやはやいいものを見せてもらった。笑福亭鶴瓶が贋医者に扮して地域医療の中に溶け込むなんてすごいことじゃない?

構成がなかなか複雑だが物語の筋が追い切れないというほどでもない。画面から立ち上る雰囲気がなんだかアメリカ映画の「Smoke」を思い出してしまった。人物の設定も物語の場所も全く違うのになぜかこれを思い出す。人間の弱さや哀しさを描いているからだろうか?

「嘘をつく」という行いは良くないこととして受け取られているが、この映画は「嘘をつく」というまさに良くない行いを通してそれに関係する人間の様々な断面を切り取っている。

主人公伊野の嘘はもちろん医師免許がないのに医者として活動していることだ。だがその嘘によってこの人物は無医村の地域にとってなくてはならない人になっている。誰もが彼を敬愛し、頼って暮らしているのだ。

患者の一人鳥飼かづ子は都会に暮らす娘たちに自分の病気が良くないことを必死に隠そうとして伊野に一緒に嘘をついてくださいよと頼み込む。この嘘は都会に暮らす娘たちの負担になりたくない、あるいは先に見送った夫の看病を通して得られた特殊な感慨であったのかもしれない。

この作品は2重の嘘を通して進んでいくのだが、嘘はここではいけないものとして描かれてはいない。この作品の空間では嘘は必要とされている嘘なのだ。もちろん嘘なのだからそれによって傷つくものがいる。鳥飼の娘しかり、村人や村長さんしかり。だがその嘘を糾弾したりするものは皆無だ。みなその嘘を受け入れているように見える。ならば嘘とは一体何なのだろうか?嘘にまつわる僕らが通常思っている観念とは果たして正しいものなのか?

贋医者伊野も鳥飼の嘘もみな善悪のきっちり色分けされた世界にはなじまないものだ。いやそもそもこの世界をたった二つの色に分けることなどなかなかできるわけではない。そのことを僕らはよく知っている。だが、頭でわかっていることと実際の行動は違う。僕らは実際の行動を起こすに際しては単純な色分けの世界に安住したがる。そのほうが楽だから。だがこの映画に示された嘘はその嘘にまつわる観念を揺さぶり、僕らの世界観の狭さを指摘する。単純すぎる世界に暮らしていると思いたがっている僕らの感性の硬直を静かに攻撃し、認識の更新を迫るのだ。

生み出された嘘とその嘘が必要としている世界の再構築を迫る、なかなか硬派な映画だと僕は思った。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 08, 2009

MW

やれやれと思わぬでもない。玉木宏という人気者を主演に据えてこの出来栄えとはいかがなものかと少々意地悪なことを書いてしまいたくなる。しかも手塚治虫の原作のテイストをぶっ壊してしまっているように思えてならない。お粗末なハリウッド映画と大差ないのだ。

まず冒頭のシーンからいけない。アクションシーンの連続なのだが、そしてそれは非常に力の入ったシーンの連続なのだが既視感に溢れ、あっと驚く要素が皆無だ。華麗な逆転劇もなければ、息をのむようなスリルもない。刑事に追われている主人公結城が無事に逃げおおせるだろうということまで予見されて熱意が完全に空回りだ。

また結城と賀来神父の関係もきちんと描けていないから原作を知らない観客が見たら戸惑うだろうし、原作を知っているものからすれば物足りなく思うだろう。神の僕たる賀来が結城の犯罪を知りつつなぜその片棒を担いでしまうことをするのか。このあたりのことを本当はきっちり描かないと作品の方向性を見失うし、また主人公たる結城の悪魔的な行動と心理が浮き上がってこない。原作では賀来と結城はホモセクシャルな関係で人を平気で殺す結城が例外的に特別視するのが賀来なのだ。賀来は結城の年の離れた幼馴染であり、結城に一種抜きがたい愛情を持っていて、神の御心にそむくような行いをする結城の暴走を何とか止めたいと願って呻吟するという役どころだ。こういった背景があって手塚のMWは描かれているのに、それらをきちんと描かないから、あるいは再定義しないから非常に薄っぺらないアクション映画になってしまっている。パンフレットを見ると結城と賀来の目線でそれを表現しているというが、そんなこと観客に分かるわけがない。エピソードを一つ、それも冒頭に近い部分に入れればこの作品の人物にきっちりと陰影をつけことができただろうに、それを怠るから凡庸な仕上がりになってしまう。おかげでラストシーンがなんのこっちゃわからなくなってしまった。

もう少し人物を整理するべきだったろう。例えば石橋凌演じる刑事は結城を追い、石田ゆり子演じる新聞記者はMWの謎を追うがこれはまとめて一人の人物にしておくべきだったろう。どちらも「追う」ということにかけては変わりがないのだから。またMWに関わった巨悪が少しも巨悪に見えないところがもったいない。

そもそもアクション映画にしようという方向性が間違っている。人物を執拗に追いかける犯罪映画にテイストを絞るべきだった。ちゃんと作ればたいした評価を得られただろうに、商業映画だからといって無用な皮算用をしたのだろうか?もったいないことをしてくれたものだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 28, 2009

レザボア・ドッグス

クウェンティン・タランティーの初監督作品。彼はこの作品で成功への階段を一気に駆け上がり、次作の「パルプ・フィクション」でカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得するなど、過分とも言える、あるいは目を見張るような活躍っぷりを見せつけたものだ。当時の僕はといえば東京に出てきて間もない頃で、東京ではこんな映画が上映されるのかと驚いていたころだ。もう何回見たことだろう?今回はDVDで鑑賞した。

僕の好みでいえば「パルプ・フィクション」よりこちらの「レザボア・ドッグス」のほうが好きだ。「レザボア・ドッグス」の構成は斬新でゆえに緻密でもあった。場面が基本的には強盗団のアジトの倉庫しかなくそこで繰り広げられる物語は濃密であった。

公開されてから10年以上の時間が経過しているが、古びた感じが全くない。今すぐに劇場で公開しても全く遜色ない出来栄えといえば、これは傑作と言っていい作品なのだろう。

この作品の特徴は省略の美であろうと思っている。余計なものが一切出てこない。女は出てこない、余計な恋愛描写はない、家族に対する愛は描かれず、そもそも家族がいるかどうかさえ分からない。黒人は出てこない、人種に対する配慮がなくそもそもマイノリティに対する何の意見も表明しない。登場人物の過去がほとんど描かれない。だけど登場人物の個性はきっちりわかるように描写されている。大事なことは強盗団の話なのに肝心の強盗のシーンがなく、宝石店からの逃走シーンしかない。映画に付随するであろう様々な要素をこそぎ落し「この中に警察の犬がいる。その犬を探し出せ」にのみストーリーが集中している。しかも過去から現在への一直線的な時間の経過はたどらず、自由に過去と現在を行き来する。一切の余計なものを廃し、ひたすら現在を語ることに重きを置く。しかも現在を語る時のディティールの細かさといったらどうだろう?冒頭のチップを払う払わないのばかばかしさや、中盤の宝石店からさらってきた若い警官の耳を切り取るシーンでもミスターブロンドが剃刀を自分の頬に当てて見せてから音楽に乗って警官の耳を切り取ってしまうところなど、現在をのみを表現していながら、その人物の持つ個性が大胆に表現されている。

まったくもって隙のない作品だと思う。10年以上の時間が経過して現在でも強くそう思う。未見の人はぜひ見ておくべき作品だろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 20, 2009

Juno

アメリカ映画を見ていて不思議だと思うことが時にある。何年かに一本青春映画の傑作が生まれるのだ。邦画全盛の昨今において、洋画、特にハリウッド製の作品が振るわない中にあって、この作品はどれだけ低く見積もっても佳作の域には達していよう。アメリカ映画は侮れない。そんな感慨を強く持った作品だ。Blu-rayで観た。

16歳で妊娠する。人生の大きな岐路に立たされてしまう少女の姿をこの映画は実に軽やかにポップに描写する。その裏に隠された突風のような不安な心理を覆い隠すかのように。

この映画の面白いところは主人公ジュノという女の子だろう。学校では変わり者とみられているが実際には好きな男の子とのセックスをして妊娠をしてしまうという事実は変わり者と見られているこの少女とてその内面に抱える資質が他の少女たちと少しも変わらないということを表わす。何となれば、妊娠というどうしても他の人々の手を借りねばならない状況の中で、そして16歳という偏見の目で見られがちな状況の中で彼女は本当に愛している人々は誰か、愛しているのはだれなのかということに少しずつ気付いていくのだから。

一人の少女の成長物語としてなかなか面白い作品だ。何より青春映画としてきちんと成り立っている。間違いなく佳作にはなっているだろう。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

June 09, 2009

ジャンヌ・ダルク

リュックベッソン監督、ミラ・ジョボヴィッチ主演の映画。奥書をみると1999年の公開になっていて、もう10年前の作品だ。隔世の感がある。ブルー・レイで観た。

実はこの映画僕は見逃していた。ベッソンは好きな監督であったし、正直観たいなぁとは思ったものの主演がミラ・ジョボヴィッチであったことに二の足を踏んだように記憶している。彼女を最初に見たのは「フィフス・エレメント」だったが、どうも好きになれなかったのだ。顔立ちもさることながら芝居も何だかイマイチのような気がしてケッと思っていた。

あれからずいぶん時間が経って見直してみると、なかなか良い。この映画は全編をキリスト教的な宗教感、神の存在と人間というテーマが横たわっているにも関わらずなぜか僕はこの作品でミラとは何てチャーミングな女性だろうと思ってしまった。そんなシーンなんて全くないのに!

特にオルレアンを解放した後孤立していくジャンヌが捕縛され神のごとき黒衣の男と対話するシーンが実にいい。なかなかひりひりする場面なのだがその葛藤、あるいは己の弱さやずるさに向き合う一連のシーンはこの女優の実によき部分があらわされているように思えてならない。困惑の表情や、悲しみの表情にちらと見える女らしさが加わって実に愛らしいのだ。いや、そんな言葉を使うべきシーンでないのはわかっているのだが・・・。そう感じてしまったのは仕方がなかろう?

あるいはそんなことを感じさせるミラがすごいのだろうか?

さて映画そのものの評価としてはどうなんだろう。これはなかなか野心的な作品だと思う。なぜって、この映画は一人の少女の英雄譚でもなければ悲劇譚でもない。人間のあさましさや、愚かさ醜さをそういった価値観から最も遠い所に位置していると思われる聖少女を通して描いているからだ。ラスト近く人を殺したか否かの問答を黒衣の男とするのだが、この問答ほど大きな問題を孕むのものはなかろう。何となればそれは聖と俗とを峻別することが難しい、あまりに曖昧すぎる境界線が一個の人間の中に横たわることを示唆する。高潔な目的の為に邁進したい、あるいはしてきたという自負を持つものにその過程においてその高潔な目的を汚すような行いがなかったか?何よりもその行いに目をそむけ見ないようにして、目的に添う自分の行いのみを輝けるものと美化してこなかったのか?人間のありきたりな姿を見ないようにしたその原因は一体何なのか?突き詰めればなかなか難しい問いであろう。ジャンヌのセリフに見たいと思う現実を見たというようなセリフがあったが、この台詞の持つあまりに重い問いはいつだって僕らに突きつけられているはずなのだがその問いさえも僕らは忘れようとあるいは見ないようにしようとしているのではあるまいか?

とりとめもなくそんなことを思ってしまった一本だった。考えよ、と叱責されているような重い一本だった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 07, 2009

禅 ZEN

道元禅師を主人公にした中村勘太郎初主演映画だ。劇場はなかなかの盛況ぶりで驚いた。道元禅師は歴史の教科書には確かに出てくるが、かといって空海並みにメジャー級かといえば決してそうとは言えないだろう。僕だってその名と著作のタイトルしか知らない。正法眼蔵。時代が道元を求めているのだろうか?

この映画は道元の一代記なのだが、なかなか良くできていると思ったのは粗筋だけを無理やり詰め込んだという感じではなく、きっちりキャラクターを描けていることだろう。20代の半ばから50代の死去の場面まで長い長い期間を僅か2時間で駆け巡るから各エピソードが普通だったら淡白になりがちなのだが、この作品に限っては決してそんなことはなく無理なく見ることができる。パンフレットには1ヶ月程度で脚本を完成させたというから驚きだ。

さらに驚異的なのはこの映画は求道者を描いていることだろう。道元とはおのれに厳しい人であったようでその姿はまさに求道者と呼ぶにふさわしいものだが、得てしてこういった人物を取り上げるのは単調になりやすい。そりゃそうだろう。求道者というのはひたすらに目的を求め、失敗が少なく、艶っぽい話もあり得ない。道を求めることに一生懸命だから脇道に逸れるということ自体がめったになく故に葛藤が少ない。もちろん求める道の追及の過程においてはその境地に至れぬ自分を責めたりもするのだが、それはキャラクター内部の葛藤であって観客にとってわかりやすく提示することが極めて難しい。求道者を描くということは特に映像表現においては実に難しい題材なのではないかと僕は思っている。

だがこの作品はそういったことを軽々と飛び越している。実に稀有な作品だ。おもうに内田有紀が演じたおりんが実によく描かれていたためなのかもしれない。このおりんとは京で体を売って生活する遊女であって設定が突飛というかえぐいというかそういうキャラクターなのだが、これの登場人物に代表される大衆の取り巻く状況がこの作品のリアリティを支えているように思う。

加えて道元が語る只管打座という考え方が現代にマッチしているのかとも思う。あらゆる困難に只管打座を勧めるというはなかなか突き放した回答だと思う。何となれば只管打座とはただひたすらに座禅せよ、己を見詰めよということなのだから。困難がおこれば人は解決策を求めるものだ。昨今のカウンセリングのはやり方は人々が解決を求めた結果なのだろう。だが、只管打座に答えはない。答えは自分自身で求めよということなのだ。答えのない問題に答えるのは己だけ。他人を当てにしない厳しい姿勢が自立した人間を育むといったところだろうか。なかなか考えさせられる重いテーマだと思う。

少しの知識で手荒に扱っていい作品とは思えない。次回見る機会があるとしたらもう少し勉強してからのほうがいいだろう。久々に怠惰な僕に緊張感を与えてくれる映画に出会ったと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 03, 2009

隠し砦の三悪人

ちょっと映画に詳しい人ならこの作品がルーカスに影響を与えた作品であることを知っているだろう。DVDで観た。

黒澤明の代表作の一つだが、七人の侍や用心棒、影武者といったような作品に比べると知名度では少し劣るかもしれない。

まあ、確かに彼の作品としては少しのんびりした展開の作品であることは間違いないであろう。ストーリーの展開が意外に読めてしまうところが代表作としては少し弱いところか。

先ごろ現代版のリメイク版が上映されていたのだがあれはどうなんだろう?未見であるから何とも言えないが。

なかなか痛快な娯楽作にはなっているだろう。一番の見どころは真壁と田所兵衛の槍での決闘シーンなのだろうが、僕の目を引いたのは意外にも火祭りの踊りのシーンだった。あのシーン何ともモダンなシーンだ。ミュージカルっぽさもあるような気がして、戦国時代の日本の雰囲気をものの見事にぶっ飛ばしているように思えてならない。

何はともあれ肩の凝らない娯楽作として見る分にはなかなか良くできているといえるだろう。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

May 31, 2009

本当に久々の投稿

う~ん、本当に久々の投稿になりましたね。今まで仕事が忙しく、気にはなっていたのですがちっとも書く時間はなく、しかも書くほどの心のゆとりもなかった日々もやっとひと段落です。こんなに長期間ほったらかしてよくブログそのものがなくならなかったものだと思います。NIFTYは心が広いというべきか。ひとまずありがとうございます。過疎のブログをひょっとしてチェックしている方お待たせしました。

書かない間も映画は少しは見ていたわけで、今回はこの期間に見た映画のタイトルとコメントを一言だけ。見た順番は順不同ってことで。

・チェ 28歳の革命

・チェ 39歳の別れの手紙

ご存じキューバ革命のヒーロー、チェ・ゲバラの生涯を綴った映画。戦争映画なのに派手でも賑々しくもなく抑えた演技と真実に迫ろうとする演出が秀逸。なかなかの名作に仕上がっていましたぞ。

・20世紀少年 第2章最後の希望

カンナ役の平愛梨はきれいだったが硬かった。肩に力が入りすぎかもしれない。役を消化しきれていない印象だ。第3章ではもう少しこなれてくるか?

逆に小泉響子役の木南晴夏は最高。

ちなみにこの映画、脚本は全然だめ。ストーリーの骨子を無理やり詰め込んだ印象で第1章のほうが出来が良かった。ダイジェスト版的な映画になってしまっていた。

・誰も守ってくれない

実によくできた映画。演者の芝居も実によい。特に志田未来は白眉だ。

また脚本も秀逸。突風のような事件に巻き込まれた人々の不安な心理を巧みに拾い上げていた。モントリオールの脚本賞を獲ってきただけのことはある。ただラストシーンは人によって評価の分かれるところか?僕には少し理想論的過ぎるような気がしないでもなかった。

・おっぱいバレー

タイトルからだけでは何の映画かさっぱりわからないこの作品。なかなかハートウォーミングな作品に仕上がっていた。まあ、ありがちな作品と断ずることもできようが、それでも泣かせてくれるのは手堅い手法のせいだろうか?

どうでもいいがちっともセクシーな衣装を着ていなかった綾瀬はるかのおっぱいばかりに目が行ってしまったのは僕だけではないはず。

・ヤッターマン

今年前半に見た映画ではこれが一番の出来ではなかったかと思う。そもそもこれを実写化しようと思った発想がすごい。

深田恭子は二重丸。一皮むけた感じだ。絶品ですな。

それはそうと三池崇史はなかなかの悪乗り演出っすなぁ。いや、いい意味で。

・英国王給仕人に乾杯

何を言いたかったのかさっぱりわからなかった映画。あまり好きにはなれませんな。

・K-20怪人二十面相・伝

アクションムービーとしてはよくできていたほうではないかと思う。あえてケチをつけるところがないが別にこれと言って褒めるところもない不思議な作品。佳作ではあるが傑作ではない作品。世界観が少し甘いか?

・地球が静止する日

キアヌ主演の作品だがいまいちスカッとしない感じ。尻切れトンボで終わっているような変な気分で劇場を後にした。SFファンにとってはあれでいいのだろうか?

・ワールド・オブ・ライズ

ハリウッドの混迷がそのまま作品に現れたって感じ。特に見どころもなくすごさもない。訴えるべきテーマもなんだかぼんやりしていてつかみどころがない。平和に対するあるいは平和を守るということに対するアメリカ人の自信の喪失を読み取るのは穿ちすぎだろうか?

・レッドクリフ PartⅡ 未来への最終決戦

三国志赤壁の戦いの第二部。やはりジョン・ウー。戦いっぱなしの2時間です。ラストシーンの俗悪さは唾棄すべきものだろう。人物描写に難あり。

・アラビアのロレンス

言わずと知れた大傑作。今日見てきたばっかり。理想と現実の狭間でゆれる青年士官の挫折の物語。無理やりまとめなかったのがこの作品の成功の要因なのだろう。

駆け足で振り返った11本。5ヶ月間とはいかに長い期間であるかを思い知らされた本日の投稿でした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 08, 2008

さくらん

映画館で観たいと思って結局見逃してしまった作品だ。DVDでやっと見ることができた。

舞台は江戸時代、吉原である。

まずはそのビジュアルのすごさが目につく。派手で時に禍々しささえ感じさせるその色づかいはすごい。赤が基調となり、なおかつ単純な幾何学模様を多用したセットの造形は従来の時代劇の枠を飛び越えている。

また登場人物たちの言葉遣いも現代的だ。いわゆる時代劇ではない。

さらに言えば主演の土屋アンナもまた普通だったら時代劇に出演できるような女優ではなかろう。確か彼女は外国人とのハーフだったと思うが、その顔立ちから普通だったら時代劇の製作者は躊躇するのではあるまいか?もっともまったく違和感無くてこの女優の力の高さを再確認したものだが。

この映画の特異な点は親が全く描かれないことだろう。女衒に売り飛ばされて吉原まで来る道程は描かれているのに、親との別離は全く出てこないし、大人になってから親を語るシーンもなかったはずだ。唯一あったのは故郷を貧しかったと語ることだけで親の存在がこれほど希薄な映画も珍しい。

原作ではどうなっているのだろう。ひょっとしたら原作でも同じように親の存在は希薄なのだろうか?

これを核家族化した親子の断絶と解釈するのは非常にたやすいことかもしれない。だが内実はもっと根深いのではあるまいか。

あらゆるものから切り離されてしまった個人というものの頼りなさを僕はこの映画から感じる。この主人公の意地っ張りで反抗的な態度とその裏腹とも言うべき弱さや優しさは表裏一体のものだ。人と人とのつながりというものは人をその場に押し込めてしまう恐るべきものだが反面非常に安心できる子宮の中のごとき温さをもあわせもつものだろう。そこから切り離された人間の悲哀というものが垣間見えるように僕には思えてならない。吉原の女たちが身請けをしてもらえる日のことを夢見ている描写がたびたび出てくるが、それは裏返して言えば切り離され吉原という狭い世界で暮らす人間が、切り離されてしまったものを再びつかみ取ろうとする切ないうめき声ではなかったか。

そう言えばこの主人公はそこに勤める若い男とともに吉原を抜ける。この若い男というのは吉原に勤める女から生れそこしか知らない籠の中の鳥の男であった。子のいない女郎屋の主人夫婦の姪っ子と無理やり結婚させられるところであった。この男もまた、親がほとんど描かれない男である。

何だか考えさせられる映画だった。色彩感覚のすごさばかりに目がいくが、内包する主題の重さを考えるときこの映画を傑作と呼んで差支えないのではあるまいか。そんな気がした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 07, 2008

ハッピーフライト

矢口監督の最新作。テレビでの宣伝効果もあってか劇場にはかなりの人が集まっていた。子供もいた、なるほど家族向きの映画ではある。

一応主演は綾瀬はるかになっているが、実際は群像劇というのに近く、僕は三谷監督のザ・マジックアワーを思い出した。どちらかといえばグランドホテル形式に近いのではないか、そんな印象だ。

この映画の特徴的なことは我々が知らない空港で働く職員たちがたくさん出てくることだろう。やはり人間知らないことを知るというのは面白いものだが、この映画の場合その職員たちが何をやっているのかまったく説明がなされないところが特徴的なのだ。たとえばたぶんあれはレーダーを監視している人なのだろうが、彼らがどんな事をしている職種なのか僕には今もってわからない。そういう意味では非常に不親切な映画ではあるのだが、だが飛行機がピンチに陥って羽田に戻ってくるときのスリル感を説明でダメにすることがないから、非常にスリリングな展開になっている。説明をあえて省いたというのが正しいのだろう。

ただひとつだけ言わせてもらえば、軽やかで楽しい映画なのだが何だか物足りない。よく取材してあるし、緻密に練られた脚本ではあっても心に少しも残らない。ハッピーエンドが悪いというのではなくて、人物が胸に迫ってこないのだ。綾瀬はるかも寺島しのぶもいいのだが、なんとなくリアルな人間に見えてこない。もう少し人物の描写が欲しいところだ。妙な感想だがそんな感想を持った。不思議な映画だ。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

November 26, 2008

私は貝になりたい

中居正広と仲間由紀恵という稀代の人気者二人の主演作とあっては劇場の混みようも頷けるものだ。日曜の一回目を見たが劇場はほぼ満席の状態だった。

失礼な話を一つ。脚本を書いた橋本忍がまだ生きていたとは!橋本というと黒澤の脚本のイメージなのだが多くの人が鬼籍に入った中で彼一人がまだ現役でいるということに驚きを隠せない。すっかり亡くなったものだとばかり思っていたのだ、面目ない。

さてこの映画、テレビドラマ史に燦然と輝く傑作のリメイク版だが、僕はフランキー堺が演じたテレビ版はさすがに見ていない。

この映画の特筆すべきは中居正広だろう。特にラストシーンはすごい。すごいの一語に尽きる。中居がここまで傑出した俳優だとは知らなかった。自分の目の節穴を自覚してがっくりくる。

よく運命という。さらに運命には抗うことはできないなどと言ったりする。この映画はその運命の過酷さを描いている。赤紙一枚で兵隊に取られる運命の過酷さの向こうにさらに戦犯として逮捕される運命の更なる過酷さがある。運命に対して人は無力だともいう。この映画はその無力さを感じながら運命に抗おうと必死で生きた夫婦の物語だともいえる。

傑作だと思う。なんの遜色もなくそう言える。ぜひとも劇場で観てもらいたいものだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

おくりびと

巷での評判がどんなものなのかはよくわからないが、映画ファンとしては押さえておきたい作品であることは間違いないだろう。なにせモントリオールをとってきた作品なのだから。

この作品はなかなかに難しい問題を含んでいる。それは死への距離の取り方といった問題だろうか。

主人公はもともと東京でオーケストラのチェロ奏者をしていたが、楽団の解散と自分の才能の無さに見切りをつけて生まれ故郷の山形に妻を伴って帰る。たまたま見た求人広告をツアコンの募集と間違えて飛び込んだ先が納棺師の事務所で、仕事内容の詳細を知ると主人公は怖じ気づき逃げ出したくなるが、目の前の高給に目がくらんでしぶしぶとその仕事を始める。

といったのが大体のこの物語の設定だろうか。

死への距離の取り方の難しさは主人公と妻との関係に端的に現れる。主人公は自分が納棺師になったということを一切妻に打ち明けられないのだ。冠婚葬祭の仕事と曖昧に答えて勘違いされたまま時を過ごす。

この打ち明けられないことの背景は死をどうとらえるかを抜きにしては語れないのだろう。死者に対する尊厳をどの人も持っているのだろうが、いざ死を目の前にすると人はうろたえる。それは恐らく死とはできれば目にしたくないもの見たくないもの、ありていに言えば不浄のものという観念から人間は自由になることが難しいのだ。何となれば自分は生きているのだから。ものを食い、動き、話し、歌い、排泄するといった人間に等しく備わる能力一切がなくなってしまった状態を生きているものは理解しがたい。比肩しうる経験すら持っていないのだから、死を不浄として片付けるのはある意味ものの道理なのかもしれない。

主人公は妻に納棺師であることがばれてしまう。このとき主人公は家を出ていく妻を追いかけはしない。そのまま納棺師であり続ける。納棺師という職業に誇りを持っていたからというのは実にたやすい。その深奥はなかなか測りがたいが、死への恐れというものが彼の中で劇的な変化をしたというほかないのではないだろうか。もっともこのあたりのことを僕は述べることができない。凡人なのだ。

もうひとつ死に関連して死者をどのように処遇するかという問題もこの映画は含んでいる。ニューハーフの納棺で男装にするか女装にするかを家族に問うシーンが出てくるがなかなか興味深いものだ。というのもこの亡くなった人と家族との間では当然息子が女になるという葛藤があったはずだからだ。男装にすれば家族の希望が通るかも知れないが、亡くなった者への処遇として適切なのか。女装にすれば亡くなったものの希望はかなえることになるかもしれないが息子を女として送り出さなければならないという納得のいかなさが家族に残る。解はない。この家族は結局女装で送り出すことにするのだが、そこには物言わぬ死者の願望を受け止める生者の葛藤が横たわる。なかなか難しい問題だ。

大変静かな映画だがその内包する問題はなかなかに挑戦的で、答えのない答えを探すかのようだ。見ておいたほうがいい作品だろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 23, 2008

ショーシャンクの空に

言わずと知れた90年代の傑作映画。この映画をお気に入り映画に挙げる人が結構いたものだが、現在はどうなんでしょうね。今回はブルー・レイで観ました。映像が奇麗だというのは納得。

ストーリーについてはいいだろう。下手な粗筋書きは野暮というもの。特にラストどんでん返しは圧倒的だろう。

希望ということが映画中に盛んに出てきて印象深いが、前提として理不尽な理由で虐げられ絶望しているという状況が執拗に描かれていることは指摘しておいていいだろう。調達屋レッドの語る刑務所の壁の概念、つまり初めは壁を憎み、慣れ、頼るようになるという心理の変遷は自由を奪われ、人間性を奪われていく過程とみなすことができるように思う。人間はその人間性を奪われると、奪った者たちに反抗するどころか逆に従順になり頼るようになるというまことに恐ろしい精神の変遷をたどるのだ。そういう状況に至る人間はおそらく、自分の中のなにがしかを守ることができ、なにがしかを失いその勘定があっているのかどうかさえ判断することを放棄してしまうに違いない。そして奪った者たちはその奪ったことに少しも罪悪感を感じることなく安住し、自分が何を奪ったのか省みることすらしない。レッドがいう壁に頼る状況というのは一見安定しながらも不自然な状態が放置され、それを誰も改善しようとはしない状況なのだ。

主人公アンディーはその状況に一石を投じる者だ。わからず屋の議会を説得して刑務所に図書館を作り、刑務官の税金の申告書を作り、果ては所長の裏金作りを行う。たくさんいる囚人と刑務官の中で彼唯一人が人間性を失わず希望を失わなかった人間なのだ。ラストにアンディーは安住の地である刑務所から脱獄するのだが、それは勘定に見合わない絶望に反旗をひるがえしているに相違ない。この映画で希望が輝くのは奇妙な安定の中に居座り続ける絶望があまりに深刻だからといえるのだろうと思うのだ。

ラストに所長は自殺するのだが、奪ったものの大きさを自覚して死んだのだろうか?ただ、巨額の金を取られただけでなく。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 07, 2008

龍が如く

人気ゲームソフトの実写映画化だ。DVDで見た。

まあ、単純に白鳥百合子が出ているから見たともいえるのだが。

すみませんね、ファンで。

少ししか我らが白鳥は出てこなかったが僕的には満足ですよ。ええ、少しでも出てくれるのはうれしいことです。

作品としては新宿歌舞伎町を模した神室町で一晩のうちに起きるいくつもの物語を描写したものといえるだろう。したがってまとまりには欠ける仕上がりになっている。

主人公はもちろん桐生一馬だ。それが消えた百億を追って謎の少女遥とともにいく。これが一応の基本的なストーリーなのだがはっきり言ってゲームをプレイしていないものには何のことかわからないだろう。なぜ桐生が遥と一緒にいるのか、真島はなぜあんなに桐生に対して執念深いのか、まったく言及されていないからだ。話法を無視しているとも言える映画だ。

だが、繰り出される役者のエネルギーはすさまじいものがある。特に岸谷五郎の真島はすばらしい。こんなやつだった、ゲームの中でも。

笑ったのは錦山との戦いで桐生が栄養ドリンクを飲んで復活するという描写だろう。これもゲームをしていないと笑えない場面ではあるのだが、こんなシーンを平気で入れられる三池監督というのは天才というより超人ですな。

全体的にクレイジーに満ちた作品だ。そして何だか清清しい。稀有な作品でしょう、おそらく。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

レッド・クリフ

この秋一番の話題作といえるだろう。ジョン・ウーが監督をして総額100億の制作費をつぎ込んだ「レッド・クリフ」である。

三国志中でもっとも有名な赤壁の戦いを描いた今作であるがいやはや、確かにお金はかかっていますなぁ。合戦シーンも派手だし、人民軍兵士をエキストラに使用して何だかうじゃうじゃ人はいっぱいいるし、何かもがスケールが大きい。

だが、僕の感想を率直に言わせてもらうならば壮大な駄作と呼びたい。2時間半くらいの映画だが上映中に久しぶりに早く終わらんかなと思ったものだ。豪華なだけの作品はあっという間に飽きる。

確かに人物に何らかの個性を与えようとしているのはよくわかる。その辺りの努力は認めよう。だが、ちっとも個性が際立つという感じではないのだ。たとえば諸葛孔明は劉備の天才軍師だが、ちっとも天才には感じられない。関羽も張飛も豪傑っぽくない。

あっといわせるものがないのだ。映像は確かにすごいが、そこに描かれる人物はすごいと素直に思わせる要素がまったくない。三国志とは超人的な豪傑と知略に富んだ軍師たちのあふれ出る個性のぶつかり合いで進んでいく物語だが、こうまで人物の描き方が甘いとがっくり来てしまう。

原作である三国志の物語の構造をもう少し取り入れるべきではなかったのか。とくに赤壁での面白さというのは、強大な敵、曹操にたいして弱者連合を組む劉備と孫権が知略を尽くして挑むという物語だが、単純な弱者連合ではなく、負け戦ばかりが続く劉備軍の実力を孫権側が常に疑うというものであったはずだ。味方にまで心配され疑われる劉備とその配下の武将がその疑いをあっといわせる方法で逆転させていく面白さこそがこの物語の面白さなのだ。単純に曹操に対する葛藤があるだけでなく、孫権と劉備の間にも葛藤が横たわっているはずなのだ。だがそこを描いていないためにこの作品は駄作にならざるを得ない。

諸葛孔明はその天才振りを発揮するのは孫権に対してであり、関羽や張飛、超雲も孫権に対してその力を見せて見せるのだ。したがって、物語における曹操の役割とは劉備軍にとっての反射板であり、反射された光というのは孫権軍に向けられている。だからこそ孫権家中の老臣たちが劉備との同盟について反対する中、周愉が劉備にとってのよき理解者になることができるのであり、魯粛が道化師を演じることができるのだ。彼らは劉備の理解者という役割を担わされているだけではなく、劉備配下の武将たちの良き引き立て役でもあるのだ。

シナリオ作りの失敗だと僕は思う。

それから気になるのは、合戦シーンで何で関羽や張飛、超雲は兜を被っていないのか。意図としては兜を被らずとも強さ抜群であるというところを見せたいのかもしれないが、これはいただけない。こういう描写をお座成りにするようではうるさ方の観客を引き付けることはできない。少し甘いんじゃないか?

ま、こんな作品ではあるが、金城武はかっこよかった。映画を見るまでは金城が諸葛孔明と聞いて少しマッチョすぎるんじゃないのかと思ったが、よくハマっていた。それから孫権の妹を演じたヴィッキー・チャオ。彼女も美しくじゃじゃ馬な役どころをよくこなしていた。この二人だけだなこの作品でよかったのは。小喬役のリン・チーリンはあれでいいんかい?あとは見るべきものがない作品であった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 06, 2008

バブルへGO タイムマシンはドラム式

DVDで観た。

劇場でも見たからこれで2度目ということになる。前回の感想文はこちらhttp://hanahanameiwaku.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/index.html

あれから1年以上が経過しているのに面白さはちっとも変わらない。そして面白いことに2度目に見たというのに印象も変わらない。ある意味不思議な映画だ。ニューシネマパラダイスの時に持った感想とはえらい違いだ。これもある意味この映画の力ということができるのだろう。

1年前にも書いたが、やっぱり能天気でノリがいい映画だ。

そして、やはりアイディアがいい。古すぎず、かといって新しい時代でもなく、現代とはあまりに違う時代。こんな時代をその歴史にもった日本という国は案外幸運な国なのかもしれない。

バブルについて一言。

バブルとは僕にとっては仰ぎ見るものだった。あのころ僕は中学生だったのだ。大人たちの気分に乗って日本はすごい国「ジャパン・アズ・ナンバー1」だと信じていた。無邪気だった。学校で教わる日本の歴史とは特に近現代史は自虐的で苦痛に満ちたものだったが、現実に目の前にある日本は世界中から羨望の眼差しでみられる輝ける国家だった。その落差を思うとき日本の後ろ暗い歴史というやつの溜飲を下げることができた。だからバブルが崩壊したあとの失われた10年は僕の中の日本のイメージが崩れ去るものだった。

この失われた10年の間に保守的な政治思想が台頭してきたのは偶然ではあるまい。例えば小林よしのりである。小林の行った仕事は保守の復興というよりは日本の誇りを取り戻そうとする運動に他ならなかったと思う。それはバブルと入れ替わるようにしてやってきた輝ける国家日本というイメージの再生産だったのだと思う。もちろん僕は小林にも踊った。

いま振り返ってみてバブルとその後の失われた10年とは何だったのかと思う。結局この二つの時代から透けて見えるものは、偉大な国家の幻影に酔いたがる卑小な自分の姿だったのではないか。少々の苦さを伴う感慨だ。今の僕は距離を置いて眺める気分が支配的だ。何にも踊らされてはならないという慎重で臆病な態度は熱狂を伴わないつまらぬもののように思えてしかたがない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 29, 2008

20世紀少年

よく映画化したものだと思う。僕は原作のファンの一人だがこれほどの壮大なドラマを実写化した制作陣に敬意を表したい。

作品の中身についてはとやかく言うまい。映像化されただけでも奇跡に近いのだ。同じ浦沢直樹の漫画でモンスターがあるが、あれがいまだにアニメ化でとどまっていることを考えれば今回のプロジェクトがいかにすごいものかわかろうというもの。どうでもいいけどモンスターはハリウッドに買われたと聞いているがいつ実写化されるんだ?

ただひとつ言いたいのはマンガの世界をそのまま実写にするのは芸がなさすぎやしないか?演者も原作を連想させるひとを起用しているようだし、カットまで酷似しているみたいだ。なんだか映画の力を舐められているような気がしてならない。少し複雑な気分にさせられて劇場を後にした次第だ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

デトロイト・メタル・シティ

公開されてずいぶん経つが、やっとこさ見ることができた。

率直な感想を述べると僕にはイマイチな感じだった。つまらないのではなく面白くないのだ。

とりかえばや物語の昔から変身願望というのは人間にはある。この作品は巻き込まれ型の変身だが、どうもうまくない。

ヒロインの描写が弱すぎる。クラウザーのインパクトがあまりにも強すぎるからだろうか、ほとんど刺身のつまの様に味気ないもののように感じる。単なるいい人、きれいな人ではなかなか難しいだろう。いまいち爆発力に欠けるのは彼女の存在の希薄さにあるだろう。

さらにいうとバンドのメンバーの印象が薄い。尺の問題はあるだろうが、およそデス・メタルなどやりそうもない人間が無理やり集められているという感じがあんまりしないのだ。ドラムなど「ブルマー」しか言わない。これでは主人公の存在が浮いてしまうのではなかろうか。

たぶん、欲張った結果なのだろう。原作への愛着がそうさせるのかもしれないが、根本的に登場人物が多すぎる。はっきりいって、後輩との遊園地でのシーンはいらない。もう少し焦点を絞っていったほうが落ち着いて物語をかたることができるように思うのだが。さて、いかがだろうか?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 22, 2008

パコと魔法の絵本

実に不思議な映画だ。荒唐無稽のようでいて、普通であり。個性的なようでいて、平凡であり。非常に多面的な顔を持つ映画だ。

日曜日の一回目に見た。親子連れ2組ぐらいしか入っていなかった。もしかして売れていないのか?あるいはポニョ疲れ??

ありていに言えば話の筋は凡作の域を出ないかもしれない。ヒロインであるパコの造詣もよく考えれば博士の愛した数式に酷似しているし、主人公大貫のわがまま勝手ぶりもベタだし。見ていて話の筋が読めちゃうし。でも面白い。

思うにパコと周りの大人たちには決定的な落差がある。周りの大人たちがどこか不完全で何かが欠落しているのに対して、パコという主人公は完全無欠で欠落した部分がない。本当はパコの両親は事故で死んでしまい、パコ自身もその事故がもとで記憶が一日しか持たないという障害を負っているのだが、まさにその一日しか記憶が持たないところが永遠に傷つかない心を象徴しているようで面白い。記憶が一日しか持たないからこそ記憶という傷から自由でいられるのだ。浦沢直樹のモンスターや20世紀少年と対比すると実に興味深い位置に立つ作品ではないか。

その無欠のパコの頭の中に少しでも残ろうと傷を持つ大人たちが絵本の内容を演劇にして演じるというのは、あたかも神に祝福を受けようと奮闘する姿に思えてならない。自らの傷に対して人間が精一杯向き合う姿とも言えるのではあるまいか。こういう姿が凡庸なこの作品をかえって非凡にしているのだと思う。よい作品だ。

DVDが出たら絶対に買っちゃうよな。これ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

レオン 完全版

言わずと知れたリュック・ベッソンの代表作。DVDで観た。

日本での公開が95年のことらしい。もう10年以上も経っている作品であることに驚く。よくよく考えればヒロインを演じたナタリー・ポートマンはいい大人になっているのだから当たり前のことなのだ。だが僕の中ではこの作品は全然古びていないし、今でも新鮮だ。

古びないということはそれだけ普遍的であり、個性的であるということなのだろう。僕が思うにこの作品には絶対に他者には理解されないと思われる孤独がもう一つの孤独に出会うことによって得られる理想郷と、それでもなお自分たちを阻害し続ける世界との対峙が描かれているように思う。ラストの有名なあまりにも激しすぎる銃撃戦はホテルのドア一枚を隔てて、あっち側の世界とこっち側の世界の激しい葛藤であるように思えてならない。あっち側の世界は常に圧倒的なかつ暴力的な力でこっち側の世界を侵食しようとする。こっち側の世界の人間はあっち側の世界の横暴に対して激しい抵抗を試みる。

この映画が悲しいのはレオンはマチルダを守り抜きあっち側とこっち側の激しい葛藤から救い出したにも関わらず、あっち側の世界の人間であるスタンの凶弾に倒れてしまうことだろう。レオンが倒れる直前に暗い玄関から見る外の明るい世界はレオンとマチルダが夢見た理想郷の象徴であり、その明るい光を目前にして倒されてしまうさまは、理想郷の完成は永遠に達成されないことを意味するものなのだろう。完成されない理想郷を目にしたレオンは最後にスタンに手榴弾をプレゼントする。こっち側の人間はその人生の最後の最後まで抵抗によってしかあっち側の世界に意見を具申することができない。そこが悲しいのだ。理解だの和解だのが通用しない相互理解の不確かさが悲しいのだ。

この作品が今でも新鮮で古さを感じさせないのはこのあたりにあるのではないかと思う。そしてそれはまた、現在においても解決されない問題として横たわり続けているのだ。大変な傑作だと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 15, 2008

眠狂四郎 悪女狩り

もちろん市川雷蔵主演のあの狂四郎だ。

この作品は狂四郎最後の作品となった作品である。まあ、だれも雷蔵が死ぬとは思っていなかったから、本作にお別れ的な雰囲気はないのだが、後世に生きる者としては何とも特別な目で見てしまう。

さて、本作は大奥の勢力争いに絡む物語だ。これにキリシタンの物語も加わっている。何だか悪党がてんこ盛りでピントがぼけている感じがしないではないのだが、でも雷蔵だからまっいいか。

今の基準から言えば駄作なのかもしれない。キリシタンがらみのところなんぞ、想像力がたくましすぎて正直ついていけない。悪党の造詣もある種、漫画的でしかも今日の漫画でも描かれないようなわかりやすさだ。現代の観客は複雑ですなぁ。しかも偽物の狂四郎演じる悪党があっという間に切られちゃうことがすぐに想像できる。

やっぱり雷蔵はかっこいい。クールでニヒルな感じが良いですなぁ。自分のカラーにない人物だから余計にそう思うのかもしれない。それでもって当時の女優さんのきれいなこと。今の女優なんか目じゃないね。

しびれるぜ、円月殺法!!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

HITMAN

DVDで観た。

何とも芸のないタイトルではある。出来の悪いヤクザ映画のようではないか。ヒットマンって。そりゃないよ。しかしこの作品、なぜ僕がDVDを買おうと思ったかというと、劇場の予告編に惚れたからだ。実にスタイリッシュでしびれるような感覚だったことを覚えている。

ストーリーは語るほどのものではない。ごく控えめに言えば、ありきたりというべきか。主人公の”47”は名前もなく幼いころに秘密の施設に収容されて、そこで訓練を受けた。とあるミッションでロシアの大統領を暗殺するのだが、これに失敗する。”47”を雇っている秘密のエージェントは彼を見捨て・・・・、でもって彼と関係する美女が現れ・・・・、逃避行のようなことをやり・・・・、でも復讐心に燃える彼は・・・・。もういいだろう。ストーリーを追うことにはさほど意味はない。

演じている役者が何とも魅力的だ。主人公”47”は恐ろしく冷静で感情に流されることなく、無表情で任務を遂行する。イイ。非常にイイ。男の一つの理想形なのだ。うーん、あのガンアクション俺もとかってつい思ってしまう。

ヒロインの女の子の儚げもいい。ある時は弱弱しく、ある時は勝ち気でじゃじゃ馬で。時に冷静な男を惑わす。いいねぇ。理想形だよ。こういう女の子と一晩を過ごしたいとつい思ってしまう。実際にいたらうざいだけだと知っているにも関わらずだ。

そういう役者が映っている映像が美しくないはずがない。実にスタイリッシュで都会的なセンスなのだ。衣裳の一つ一つ、ライティング、ピカピカ光るシルバーの銃。田舎に不似合いなアウディ。文句なくカッコいい。

いわゆるいい映画ではない。ストーリーも途中でぐだぐだになるが、画面から漲る緊張感と、美しく計算されつくした映像には一見の価値ありの映画ですな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 03, 2008

久々の投稿

久々の投稿となるのだが、かといって何か変わったことを書くということでもない。この数カ月さぼっていた映画の感想文をやたら短い文章で書こうというだけである。

この数カ月で見た映画は次の4本だ。

イースタン・プロミス

クローネンバーグ監督作品でなかなかのヒット作だと聞くが、今にして思えば不完全燃焼の感は否めない。基本的にギャングの話なのだが、もう少し深い掘り下げがあっても良かったかなとも思う。だが、名匠の手になるだけに手堅くまとめたという感じか。

ザ・ハプニング

M・ナイト・シャラマン監督作だがこの人は完全に終わったな。危機と恐怖の密接なつながりがなく、すべての描写が単発でそこに存在している感じだ。物語が物語の体をなしていず、破たんしてはいないもののさりとて、うまくまとめたというものでもない。シックス・センスのすごさから比べると目を覆いたくなるような作品になっている。

バットマン ダークナイト

俳優に救われた作品だと完全に言える。ジョーカー演じるヒース・レジャーのキレキレの芝居が素晴らしい。話の筋としてはありがちでありふれた感は否めない。残念なのはバットマンの秘密基地の描写が簡素になってしまったことだろうか。あっと言わせるすごさが消えてしまっていた。大金持ちの御曹司が金にならないことをするから意味があるのにと思うのだが。

ぼくの大切な友達

フランス映画。取り立てて述べることもない作品ではあるが、ひとつだけ。理念が先行する映画は退屈だということ。作者のあからさまな意図が観客に見抜かれるようではうまくない。

以上が劇場で観た映画だ

次はDVD。

Vフォー・ヴェンデッタ

ウォシャウスキー兄弟作品。期待はずれ。もはや何も言うことはないが、自らが設定した世界観を使いこなせていない。かなり特殊な世界を描いているつもりだろうが、ファシズム的な世界観を見慣れた現在の観客にはなんていうこともない作品だ。もう少し勉強が必要なのではあるまいか。

ナイト・メアービフォアー・クリスマス

言わずと知れたティム・バートンの傑作。ストップモーションアニメを現代によみがえらせた作品だ。非常に寓意に充ち溢れ何度も見たくなるような作品に仕上がっている。ここでつまらぬ論評をしてはいけないのだろう。もう一度見てからきちんと感想を記したいと思う。

以上

久々の投稿でした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 13, 2008

ザ・マジックアワー

もう、傑作!言うことなし。僕が何らかのコメントを入れる必要などない感じだなぁ。見ろ!これだけですよ。

世にシチュエーションコメディといわれるものがある。具体的に何を表わすかはその用語を使用する人によって違うのだが、共通して言えるのは、設定自体が面白いということ。今作もまた設定自体が面白い。というかハチャメチャだ。ギャングのボスの愛人を寝とった若い男がボスに言われるまま顔を見たこともない殺し屋を探して来いと言われてしまう。調べようたってそりゃ無理だ。存在すら疑われるような殺し屋なのだから。ボスに提示された期日などあっという間に過ぎてしまう。困った男が思いついたアイディアが誰も知らないような三流役者を映画の撮影だとだまして連れてくることだった。すっかり信じ込んだこの役者がノリノリで・・・・。ていうのが大体のストーリーだ。

何がいいって主役の佐藤浩市がいい。すっかり騙されているのだが、真剣に映画に取り組むその一生懸命さが大爆笑になって観客の心に滑り込む。完全に役になりきる三流役者になりきっている。佐藤がこんなコメディを演じるなんて実に驚いた。引き出しがあったのね、って感じだ。

脇を固める俳優も名優ぞろいだ。見ているだけでも楽しいのだが、何が楽しいってそこは異空間なのだ。ヨーロッパ風の街並みで展開されるこの物語はなんというか絵本的というか現代っぽくないというか、一応現代を舞台にしているのだけれど、すっかり現代ではないのではないかという錯覚にとらわれる。セットをよくぞ組んだものだと感心してしまう。

しかし、作りこんだコメディというのはいいもんですな。ドリフターズを思い起こさせる。仕組まれ計算されつくした笑いの印象深いこと。テレビでアドリブを利かせたフリートークばかりを見せられる僕らにはこういった作り込みの世界に時々どっぷりと浸かってみる必要がある。それは何とかしてお客さんを笑わしてやろうというある種の人間の叡智が含まれているのだ。しかもその叡智に知らぬ間に触れるのだからこんな素敵なことはない。

実に良い映画だと僕は思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

アフター・スクール

よく練られた脚本だと思う。これを書いた監督脚本の内田けんじはなかなかの才人だ。

さて、この作品は朝の新婚家庭の情景から始まる。身重の妻との朝食風景だ。だがこの風景からしてどこかおかしい。後でわかるのだがこれは新婚家庭の情景でも何でもない。もうすでにここで観客への騙しが入っているのだが、ラストのどんでん返しが素晴らしい。

ネタばれしてしまうのであまり細かくは書けないのが辛いところだ。なんせこの映画、ストーリーの卓抜さこそが身上なのだから。

一見の価値ありですな。佐々木蔵之介は名優ですな。気持ちよく大泉洋に騙されている。なかなかの佳作だと僕は思っています。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国

ただでさえ過疎のブログを1ヶ月も放置してしまえばさらに過疎のブログになってしまう。わかっちゃいるけどなかなか書く気になれなかったというのがホントのところ。この1ヶ月の間にDVDでVフォーヴァンデッタ、ナイトメアー・ビフォアー・クリスマスを見ているのだが、まあこれはいつか書く気になったらってことで。

さて、表題作である。いやはや、21世紀になってまさかインディ教授の雄姿が見られるとは思いもよらなかった。スタローンでもそうだが、かつてのヒット作の続編を何年も経ってから製作するとは見苦しいと思わないでもない。ちなみにインディ・ジョーンズは約20年ぶりだ。思い出は思い出のままに止めておくのが正しい作法だろう。

どうでもいいが、最近のハリウッドはどうしてしまったのだろう。リメイクばかりだし、今回のようにかつての人気作の続編は作るし、もう新しいコンテンツを生み出す能力に欠けるのだろうか?もう少し頑張らないと世界中のお客さんにそっぽを向かれるぞ!

さて、今作の評価だがまあ、ファミリー向けの人畜無害な作品です。スリルはてんこ盛り、少々のロマンスあり、謎解きもあり、娯楽映画の王道ですな。だが新味には欠ける。既視感が邪魔をする感じだ。かつての作品は古代と現代を結ぶために大風呂敷を引いたものだが今作はなかなかにその風呂敷が小さい。ありていに言えばあのクリスタルスカルのチープなこと。そして最後にクリスタルスカルがすべての謎のキーになるのだが、その謎解きの唐突なこと。古代趣味がこの作品の持ち味なのにそれを完全に吹き飛ばしてUFOを出してしまうのだから見ているこちらはあんぐりとしてしまう。

もちろん一つ一つのネタは面白い。だからこそラストのシーンはもうひとひねりが欲しいのだ。結論的に言えば、前3作のほうが今作よりは出来が良かった。なんだか残念な気持ちではある。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 09, 2008

最高の人生の見つけ方

先週の日曜日に見た映画だが、なんとなく今まで書かずにすごしてしまった。悪い映画ではないのだけれど、なんとなく駄目な感じだ。

甘ったるいという印象だろうか。癌に侵された老人二人が、何の変哲もないメモ用紙に書き出した棺おけに入る前にやりたいこと、見たいもの体験したいものを実際に行う。

そこには犯罪性も剥き出しの欲望も虚栄もなく、なんだか妙に枯れた、妙に幸福に満ちた光景ばかりが広がる。己の存在証明をかけて全力で何かにぶつかるというような熱さはないのだ。

物足りない。映画を見た後の率直な感想である。

下手なファンタジーよりよっぽどファンタジーしているのがなんだか落ち着きが悪いのだ。

でも、世間ではこういうのが受けるらしい。見に行った日は座席のほとんどが埋まっていた。ほとんどが中高年ばかり。日本が縮んでいくのがわかるような気がして嫌気がしてしまった。悪い映画ではないのだけれどねぇ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 19, 2008

少林少女

ついつい私用で記事のアップが遅れてしまった。仕事で忙しいのだ。ついでに言えば、風邪も引いた。ろくなことがない一週間だった。

フジテレビの強力宣伝のおかげか、客の入りは上場で年齢層は若い子が多めだ。小学生もいたからこのあたりは製作側の狙い通りか。

ありていに言えば、駄作だろう。少林サッカーにも遠く及ばない。笑いも不発気味だし、ストーリーもいまいちだ。一番よろしくないのは、少林拳とラクロスのつながりが弱いことだろうか?格闘を見せるならそれに集中させるべきだったろうし、ラクロスを見せるならラクロスに集中すべきだったろう。

悪の設定もいまいちだ。仲村トオル演じるところの悪党が結局何をしたいのかさっぱりわからない。大事な親友をさらわれて主人公が助けに行くという格好にはなっているが、ありがちなネタだし何より何のために親友がさらわれたのかさっぱりわからない。

いや、画面は派手ですよ。そりゃもう、CGとかドバーと使ってこれでもかと派手な感じです。画面には力はいっていたけどシナリオがあれではなぁ。突っ込みどころが満載で何にも印象に残りませんな。

ナイナイの岡村さんが出ていなければ絶対に見に行ってない作品だ。岡村さんはいい味出していた。この映画の一番の白眉だろう。他の俳優がいまいち腰が決まらない中、この人だけはきっちり仕事をこなしていた。ラスト近く主人公と対決するシーンはそれまでの雰囲気がガラッと変わってこちらがゾクゾクする感じだ。これがプロの仕事なのだろう。

さらにもうひとつ、ラクロスのキャプテンをしていた山崎真実は実にいい。出番は少ないがそれでも実にいい。たしかこの人めちゃイケに出てた人だよね。やべっちのお兄さんが経営している事務所に所属してたんじゃなかったかな?この人はいい!体が大きいからそれだけで目立つし、グラビア出身だからスタイルはいいし、言うことなしですな。演技は少し荒削りの印象だがうまくなるんじゃないか?ひとつの逸材ですな。

まあ、なんだかんだ書いたが、これ、一週間前に見たんだよなぁ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 07, 2008

ノーカントリー

正直に告白しなければならない。僕はこの作品について語るすべを持たない。何となれば、理解できなかったのだ。人物と人物の相関とその意味、作品全体の世界観。何を持っても理解できないことばかりだ。

3人の登場人物、保安官、殺し屋、金を持って逃げる男。この三人は僕の解釈では、それぞれに何かを象徴しているのだろう。殺し屋は神と悪魔が表裏一体となった存在。他人の意見には耳を貸さず、己の行動規範のみが判断の基準となっている。金を持って逃げる男はその神あるいは悪魔に翻弄される人間を象徴している。己の判断を信ずるものの、神の前ではその知恵は児戯に等しい。保安官は牧師のような存在。神の御前における人間の浅はかさを諭し、正しき教えに導こうとする。映画では金を持って逃げる男を警察の手によって保護しようとする。

この映画で印象的なのは、運命についてのくだりだろう。保安官が金を持って逃げる男の妻に語りかけるシーンだ。食肉牛を殺す屠殺場で暴れる牛を銃で殺そうとしたら、狙いが外れて弾丸が壁に跳ね返り銃を撃った人の肩に命中したというあのシーンだ。おそらくあのなんでもないようなシーンにこそ、この映画のもっとも感情的な部分が露出していると思う。

何が起きるかわからない。そう訴えているのだ。神ならぬ人の知恵など取るに足らないものだといっているのだ。神のごとき殺し屋も映画のラストで交通事故にあうという意外なおちが待っていた。運命に抗いあわよくばそれをコントロールしようとする人間の傲慢で救いがたい増長ぶりが人間を破滅に導くのだ。

深く静かに語られるこの映画は確かにコーエン兄弟の傑作だろう。日常の裂け目に現れる過酷な運命にとらわれ身を焦がし苦悩する人間の姿が丹念に描写されている。もう一度見なければいけない作品であるといえる。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

クローバーフィールド

傑作だ。いやはや、本当に面白いものを見させてもらった。そしてアイディアとそれを実現させた情熱に脱帽させられた。2日前に見たのだが、興奮が収まらない感じだ。今年は例年とは違って洋画が勢いを取り戻す年なのかもしれない。少なくとも邦画でこれといったすごいものが今のところ見当たらないから、今年は洋画の当たり年なのかもしれない。6月にはインディージョーンズも始まるから、なかなか目が離せない。

例によって午前中の上映に行ったのだがなかなかの客入りは上々だった。6割程度は座席が埋まっていて、世代的には若い世代が比較的多かったろうか?年配者もいたりしたから満遍なく入っている感じだった。

さて、この映画には少々の説明が必要かもしれない。いわゆるパニックもので、なおかつ、怪獣が出てくるのだが、そんじょそこらの映画とは一線を画す。ゴジラあたりとは違うのだ。この映画を個性的にしているのはその話法であろう。

直接話法と間接話法というのがある。なんだか英文法のようだが、主観と客観といってもいい。とにかく、この話法の常識を覆す手法をとっている。

当たり前の話だが、映像作品において直接話法はありえないとされている。何となれば、映像作品中に出てくる登場人物の生活や行動にカメラなどないからだ。登場人物たちはそこにカメラなどないものとして振舞っている。従って観客は登場人物の生活を覗き見しているのであり、演じる俳優はカメラに目線を合わせることを一部の例外を除いて決して行うことをしない。映像作品は常に第三者の立場で登場人物を描写し、一人称で語られることなどない。映画の冒頭で主役級のモノローグが入っていることがよくあるが、あれは一人称的に見せているだけで、純然たる一人称ではない。小説などの文芸と違って「私」とか「僕」という一人称の作品は成立しないのだ。

ところがこの作品はそれを成立させてしまっている。あるいは成功しているように見せかけている。

この映画の設定はすべて家庭用のホームビデオカメラで撮影された映像ということになっている。実際にホームビデオカメラで映画を作ったわけではないのだが、一応そういう設定になっている。この設定があるからこそ主観が入り込む隙がある。

ニューヨークの一角にあるアパートでは日本への栄転が決まったロブのためにサプライズパーティーが開かれていた。ロブの兄貴が一計を案じてビデオでロブにメッセージを残すことを考える。友人の一人にカメラを持たせて、パーティーに来た一人ひとりにコメントを残すように促していくのだが、そのとき突然大きく建物が揺れた。

このビデオカメラが作品を最初から最後まで撮影者の主観を代弁し続ける。怪獣に襲われたニューヨークを逃げ惑う人々。主人公ロブの恋人を助けに行くまでの道行き。仲間の死。

すべてが克明に撮影者の主観で描写されている。たとえば怪物に襲われて逃げ惑えばカメラは激しく揺れ、ロブの恋人を助けるときにはカメラは無造作に置かれる。

いままでこんな映画があったろうか?

主観によって描写されているわけであるから、そのときの撮影者の興味が向くほうにのみカメラは向けられる。従ってなぜ怪獣が現れたのか、この怪獣をいかに倒すのか、街全体がどのような状況になっているのか。怪獣映画やパニック映画ではおなじみの視点がすっぽり抜け落ちている。代わりにあるのは、いかにこの困難から逃れるかとロブの恋人は救い出せるのかのこの2点しかない。その他の客観的な描写はすべて省かれている。街が破壊されている程度など皆目わからない、目の前の破壊されている状況しか描かれないのだ。

かろうじてわかるのは、何らかの方法で怪獣は倒されたということだけ。というのもネタばれになるが、このビデオカメラの映像は怪獣が倒され、街全体が破壊されたあと、偶然にセントラルパークから回収されたものということになっているのだ。

なんともすごい映画が登場したものだ。アメリカ映画はこれだからわからない。CGもふんだんに使われているが、そんなことはどうでもよろしい。とにかくとんでもない強烈な映画が現れた。間違いなく傑作の範疇に入る代物だ。ぜひ鑑賞することをお勧めする。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 21, 2008

マイ・ブルーベリー・ナイツ

ご存知ウォン・カーウェイ監督作である。いまや、巨匠と呼んだほうがふさわしいのだろうか?

僕がまだ大学生だったころ、中国映画が非常に注目された時期があった。それまでの中国映画といえばカンフーであり、ジャッキー・チェンであり、燃えよドラゴンであった。要するに非常にかっちりとした極めて単純なある意味低俗な意味合いにおいて語られるものであった。

だが僕が大学生のころ、つまり90年代の半ばから後半にかけて、それらとは一線を画す作品群が登場してきた。その中心にいたのか他ならぬウォン・カーウェイだった。

斬新なストーリー、魅力的なキャラクター、スタイリッシュな映像。どれをとっても一流だった。

だが、作品を重ねていくごとにストーリーが難解になり、花様年華の辺りで僕はついて行けなくなった。すべてのストーリーは単純であることが肝要と考える僕にとってはウォン・カーウェイのありようは手に負えないものになってしまったのだ。キムタクが主演して話題になった2046はまったくの未見だ。見向きもしなかったのだ。

さて、本作である。一見して覚えた感慨はウォン・カーウェイも老いたなということだった。ストーリーは手堅い。恋する惑星を彷彿とさせる、だが、凡庸だ。主人公に旅をさせ、様々な人とふれあい、人生について考えさせる。随分ありきたりなものではないか。大人が若く経験の浅いものに教えを垂れるような説教臭ささえ感じさせる。

そしてあの映像美がどこかに消えてなくなってしまった。いや、厳密に言えば彼らしい凝った作りにはなっている。アップの多用や、店の窓ガラス越しのカットなど彼らしいこだわりかもしれない。でも斬新というには程遠い。

世の評論家はなんというかはわからない。これだけの名声を博した監督なのだから手放しの賛辞を送っているのかもしれない。だがしかし、僕にはあの時代のあの熱狂の残滓しか画面から読み取れなかった。思うに彼は同時代の視線を失ってしまったのだ。あの90年代の僕達は自らの感性の発露を彼の映画の一こま一こまに代弁させてもらっていたのだ。

時代は流れる。否応なく僕らを過去の人間に変えていく。ウォン・カーウェイのような天才さえも例外ではない。時代に抗う術もなく老いてしまうのだ。過去の手法を焼きなおし、新たな発想を生み出すことなく、時代のほうが僕らを追い越していってしまう。新たな時代の天才と新たな時代の若者が90年代の僕らとカーウェイのような共犯関係を築いて新たな時代を疾走していくのだ。

これほど悲しいことはない。時代の主役の座を僕らの後にやってきた人々に明け渡し、かつての栄光を振り返る。老いてしまった自分を恨めしく思い、後からやってきた人々を羨ましく思う。そんな自分に気付いて劇場を後にした。悲しさと寂しさがいっぺんに襲ってくるそんな映画体験だった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 17, 2008

歓喜の歌

立川志の輔の新作落語を実写化した作品だ。日曜の一回目を見たのだが、予想外に客が入っていて驚いた。

誤解を恐れずに言えば、小市民的な話である。もちろんつまらないといっているわけではない。ただ前日に「ラスト、コーション」なんていうスケールの大きい話を見てしまったから余計にそう思うのかもしれない。映画の製作者たちには悪いけど。

良くも悪くも日本的な映画だろう。ストーリーは市民文化会館のやる気のない役人がママさんコーラスのコンサートをダブルブッキングして、双方ひかずににっちもさっちも行かなくなるという単純明快なものだ。日本的というのはその描写の手法だ。主要なキャスト、文化会館の職員、対立する二つのママさんコーラスの背景がきっちり描きこまれている点だ。この中でママさんコーラスの一方、セレブの方のママさんコーラスの背景の描写は必要ないのではないかと思ったりする。というのもこのセレブのママさんコーラスはどちらかといえば憎まれ役なのだから。

よく言われることだが、日本人が勧善懲悪を作ると悪党の方の背景を描かないと気が済まないというのがある。つまりどうして悪の道に走ったかというのを描いてしまうのだ。ハリウッドなどにはこれがないなんて言われたりする。まあ必ずしもセオリーに当てはまるものばかりではないのだが。この映画でも憎まれ役のママさんコーラスのほうに感動的な背景が用意されていて実に日本的なストーリーを作り上げているのだ。

どうして日本ってこうなんでしょうね?悪いといっているわけではないのだが、うまくはまらないと蛇足なだけになってしまうと思うのだが・・・。この映画では蛇足だなぁと思った次第だ。

でもまあ、そこそこ面白い作品ですよ。肩の力を抜いて見る分には実に良いですな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ラスト、コーション 色、戒

この映画はいい。何も言葉はいらない、とにかくいい。久々に映画を見た!そんな気持ちにさせてくれる映画だ。静岡では11:20からの一回しか上映されていなかったが、もっと回数を増やしてほしいくらいだ。これを見逃すと損をしますぞ。

ベッドシーンの過激さが話題になったりするような作品ではあるが、実はそのベッドシーンもそれほど強烈な印象というわけではなく、それよりも男女二人の機微が実に丹念に描かれていて素晴らしい。愛し合ってはならない男女が愛し合う様の美しいこと。そして画面に漲る緊張感。2時間半の上映時間のどこをとっても実によくできている。

そりゃぁ、主人公の回想シーンはちょっとダレルなと思ったことも事実だ。でもそれでもこの映画には魅力がある。

例えば度々出てくる麻雀のシーン。女4人の他愛のない会話ではあるけれども、そこに一種独特の緊張感がある。すれ違い、腹の探り合い、妬み、虚栄心。上辺の美しさとは裏腹に内面の複雑さが垣間見えて素晴らしいのだ。いわんや主人公が愛してはならない男を愛してしまうその過程たるや凄いの一語だ。

いやはやびっくりした。こんなに凄い映画を見させられるとは思わなかった。絶対DVDも買ってしまうと思う。いい作品だった。

| | Comments (0) | TrackBack (2)

February 16, 2008

スウィにートッド フリート街の悪魔の理髪師

およそ映画ファンを名乗るならばバートン&デップのコンビ作を見逃す間抜けはいないだろう。もしそのようなものがいるとしたならば、そいつは映画ファンを名乗るべきではない。

「チャーリーとチョコレート工場」が公開されてから何年もしないでこの作品が発表されたことに喜びを隠せない。こんなに早くコンビの次回作が見られるとは思っても見なかったからだ。

映画としてはスプラッターホラームービーに類するものなのだろう。残酷な描写が数多く登場するが、ちっとも観客には怖さが伝わってこない。不思議な映画だ。おそらくすべてが戯画的だからなのだろうと思う。

バートンの作品は随分見たが、共通して言えることはこの戯画的ということではないかと僕はひそかに思っている。画作りも、ストーリーも何となくリアリティを無視しているというか超越しているというかそんなようなところがある。そして登場人物たちは虚飾を剥ぎ取られ、人間の愚かしさや、純粋さが浮かび上がっているという不思議なことが成立している。

大体この作品にしたって、ストーリーに関して言えば随分無茶苦茶なものだ。少なくとも緻密さはない。例えば主人公が悪徳裁判官ターピンに嵌められるのだって、なんでこの裁判官は一介の理髪師の女房に横恋慕して無理矢理奪い取ろうとしたのか、しかも奪い取ってから何であんなひどいことをやらかしたのかまったく持ってよくわからない。よくわからないんだけれどもなぜか無理なく成立しているように見えてしまうから不思議なのだ。

そしてこの不思議な監督の世界観を一身に体現しているのがジョニー・デップなのだ。おかしな役をやらせたらハリウッド一だろう。この作品でも抜きん出た存在感を示している。この人が画面に出ると何だかよくわかんないけれども引き込まれてしまうんだよなぁ。何でだろ?説得力があるとしか言えないところが悔しい。観客の想像を超えた存在なのだろう、凄い俳優だ。

なかなか面白い作品に仕上がっていると思う。誰かバートン&デップの凄さの秘密を教えてくれないものだろうか?

| | Comments (1) | TrackBack (1)

January 27, 2008

陰日向に咲く

劇団ひとり原作の映画版だ。作家の方も有名なら出演陣も豪華ということで結構な賑わいであった。

率直な感想を申し上げるのならば面白いことは面白い。実に収まりのいい作品でもある。登場人物も個性的だし言うことない感じなのだが何だか不満なのだ。特に主人公シンヤをめぐるエピソードは広げた大風呂敷を見事に収斂させ脚本家の冴えを見せ付けてくれる感じがする。全体的に見れば秀逸なのだが。

構成が複雑なために次々と切り替わる画面の落ち着きのなさもあるだろう。崖っぷちアイドルみゃーこをめぐる物語とシンヤの物語が交差しないという不可解さもあるだろう。だがそれだけではないだろう。

なかなかうまく言葉にできないのだが、何かが突っかかっている。何か強烈な爆発力みたいなものを感じられない。この物語に出てくる登場人物たちは現状を変える意思を持ち、事実変えていくのだがその現状を怒りを持って見つめているという風ではない。何だかもやもやとした空気が晴れることなく漂い続けているような気がしてならないのだ。

はぁぁぁ。自分で書いていて嫌になる。こんな文章では他人に伝わらんな。おそらく僕が抱く不満はこの映画には尖がった部分がなく、収まりがいいという点にあるんだろう。秀才タイプの作品だとでも言えばいいか。面白いんだけどつまらない。まるで相反する価値が奇妙に同居する作品だった。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

January 04, 2008

椿三十郎

新年一発目の映画はこの作品であった。去年おととしとろくな作品ではなかったので比較的よいスタートではあるまいか。

もはや説明の必要のない作品である。黒澤を代表する一本であり、この作品以後の日本映画、或いは世界の映画が変わってしまったのだ。特にラストの荒野の決闘シーンは圧巻でハリウッド映画に与えた影響は計り知れない。

そんな作品をリメイクしようというのだからどうかしている。製作者達の努力と冒険心はなかなかのものだと評価せねばならないのだろう。

どうでもいいが最近の黒澤作品のリメイク流行りはなんなんだ?黒澤プロの台所事情が悪いのだろうか?

まあ、それはそれとして。

欠点をあげつらえばいろいろ出てくるのだろう。特に主人公の三十郎をやった織田裕二は三船の幻影を懐かしく思う人々にとっては物足りないものかもしれない。三船よりもはるかに線が細く、現代的なセンスをかもし出す織田は豪放磊落な素浪人のイメージからは遠い俳優かもしれない。

だが画面の中の織田は三船のそれとは違って良き兄貴分といったイメージの新しい三十郎の創造に成功しているのではないか?今回のリメイクは黒澤版の脚本をそのまま用いているから、この新しい人物像の提示は価値あるものだと僕は思う。考えてもみよ、世界中で上演されているリア王はその俳優その俳優のリア王であって一つとして同じものはないではないか。シャークスピア在りし日のリア王ではなく、またそれゆえにダメの烙印を押されることはないだろう。かっちりした作品世界の中で、新たな提示をすることの凄さを僕はかえって強調したいなぁ。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

November 25, 2007

ミッドナイトイーグル

大作映画である。宣伝にも力が入っているようだがイマイチな浸透力しかない。そりゃそうだろう。「ホワイトアウト」と「亡国のイージス」を足して2で割ったような作品なのだから。

ストーリーはこうだ。日本アルプスに米軍のステルス戦闘機、通称ミッドナイトイーグルがテロ組織に墜落させられた。政府は極秘裏に安全保障会議を招集しこの戦闘機の回収に乗り出す。一方元戦場カメラマンの主人公は墜落した戦闘機の機影を偶然カメラに収めていた。後輩の新聞記者にその写真を見せると一緒にアルプスに行く羽目になる。後輩のその新聞記者は政府の動きがおかしいと気付いたのだ。何かこの戦闘機には謎がある。実はその謎とはこの戦闘機の積んでいる爆弾は核兵器で・・・・。

ね、なんだか似ているでしょ。「ホワイトアウト」と「亡国のイージス」に。

こういった作品で難しいのは物語が分散しやすいということだ。この作品では主人公がいるアルプス、内閣の安全保障会議、もう一つはテロ組織の謎を追う記者に分散している。分量の保障されている小説ならば一つ一つのエピソードの密度を濃くしていくことができるかもしれないが映画では時間の関係もあってなかなか難しい。この作品の処理はそれでもうまくやった方ではあるが、それでもエピソードが何だか薄っぺらい。シーンの切り替わりが激しくて見ているほうは落ち着きがないのだ。当たり前の話だがこれでは登場人物に感情の移入は非常に難しい。

さらに言えばこの手の作品はご都合主義になりがちだ。いただけないと思ったのはテロ組織の謎を追っている記者がパスワードをテロリストから手に入れてしまうところだろう。なぜかこの記者はテロリストを助け、どういうわけだかテロリストはパスワードを記者に渡してしまう。実際の小説を読んでいないからわからないがおそらくこのあたりの描写は丁寧にされていたのだろうが映画ではそうはいかない。どうしてもご都合主義に見えてしまうのだ。

この作品のラストは評価の分かれるところだろう。爆弾を奪回に来たテロリストを主人公もろともトマホークで焼き払ってしまうというものだが、ハッピーエンドでもよかったかも知れずなかなか難しいところだ。日本人が好む自己犠牲を表現してみたのかもしれないがなんだかなぁと思ってしまう。こういうことなのだろうか自己犠牲って?

さらにいえば、ラストで主人公と記者が話すシーン。許しを請う主人公に記者は許しませんと言い放つ。あれはおそらくちゃんと戻ってこないあなたを許しませんということなのだと思うがなんだか後味が悪かった。もう少し言葉の選びようがあると思うのだが。何とでも受け取れる言葉をあえて使ったその意図がはたしてちゃんと観客に届いたか疑問でもある。

どうでもいいが竹内結子はきれいでしたな。うん、美人だ!年をとってよりきれいになったような気がする。ちょっと惚れたかも。

| | Comments (3) | TrackBack (1)

やじきた道中 てれすこ

和製コスチュームコメディ映画、かつバディムービー、かつロードムービー。いやはや面白い。キャスティングがこれほどまでにはまる映画もないものだ。

中村勘三郎と柄本明と小泉今日子。3人の力のある役者が画面に出て芝居をするだけでなんだかおかしい。芸達者なのだがこの三人を表現するのに「芸達者」という言葉だけでは足らない気がするのだ。だからといってこの三人に対する他の言葉があるかといえばそれは多分ないのだと思う。言葉を超越した感じのおもしろさだ。

コメディとしてはおそらく定石どおりなのだろう。人のいい弥次さんにオッチョコチョイの喜多さん、はすっ葉なのに純情な面を持つお喜乃。こうして人物の造形を考えただけでもその定石さを理解できるだろう。道中で起きる珍騒動は荒唐無稽なものばかり。定石をいかに料理すれば面白くなるかのお手本のような作品でもある。

本作は落語の題材がふんだんに取り入れられている。僕自身は落語がそんなに詳しくはないのでろくにわからなかったが、落語を知っている人にはおかしくって仕方がなかっただろう。こういう作品を見るとつくづくいろいろなものを見ておかなければいけないなぁと痛感するのである。

ところで、てれすこのくだり、つまりお奉行様とのくだりなのだが本編となん接点もないのはなんだろう?面白かったからなんとなく流してしまうが、根本的にお奉行のシーンはなくてもストーリーは成立してしまう。作っている方としては遊びのつもりでいれたのだろうが、僕はシーンは密接に関連しているべきだと思っているのであれいいのかなと思ってしまうのだ。

なにはともあれ面白い作品である。笑いたい人、ちょっとほろっとしたい人にはお奨め作である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 20, 2007

白鳥百合子 dazzle

ご存知白鳥百合子のイメージDVDである。

dazzleはまぶしさ、まばゆいもの、目がくらんだ状態という意味なんだそうだ。まあ、確かに我らが白鳥を初めて目にした者はそのような印象を受けるだろう。

誰が見ても美しい人だ。衣装良し、ロケ地良し。申し分なしのものなのだが、しかし僕の目には既視感がちらついてどうしようもなかった。

端的に言えば飽きてしまう。それまで発表されたDVDと一線を画すものではなかった。素材の良さに頼り切った作品でしかない。作りこみも対象に対する切り込みも甘いのだ。

誰もが白鳥百合子の素材の良さを認めるだろう。だがその素材を用いて何をしたいのだろう?何を表現したいのだろう?きれいな女の子をきれいな海辺に連れてきてにっこり笑わせるだけが能ではあるまい。

エロティシズムを表現したいのか、清純さを表したいのか、あるいは悪魔的な娼婦性を表したいのか。その素材が持つ特性とポテンシャルを十分に表現しているとはとてもいえないのだ。

テレビに映し出された白鳥の映像を見ながら僕はため息をつかざるを得なかった。もったいない。50分という時間の間、そんな言葉が僕の頭をぐるぐる回り続けていた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 19, 2007

刑事コロンボ 殺人処方箋

現在ディアゴスティーニで発売されているコロンボシリーズの第一巻である。もちろんコロンボシリーズの第一作であり、コロンボは小池朝雄が吹き替えている。

何に驚いたといって、コロンボが小奇麗なのだ。僕が記憶しているのはよれよれのコートを着て、ぼさぼさの鳥の巣のような髪型でだらしないおっさんの代名詞的なものだったがこの作品ではコロンボはコートを羽織ってはいるがきっちりと着こなしているし、髪型だってきれいなものなのだ。はじめからコロンボはコロンボではなかった!作品を重ねていくうちにあの魅力的なキャラクターが形作られたのだと初めて知った。

しかしコロンボ的なところは随所に見られる。「うちのカミサン」という口癖や去り際に核心を突く重要な質問を投げるところなどなど、コロンボのしつこさとすっとぼけた味わいがこの初期の作品でもう既に現れているのだ。はじめからコロンボはコロンボだったのだ!

作品の内容そのものだが、僕にはちょっとうーんという感じがしてしまった。特に最後のオチがいただけない。ラストは犯人を追い詰めて鮮やかに謎解きをするというのではなく、犯人を嵌めて罪を暴くというものだ。コロンボシリーズは僕は子供のころに見たので、あまりはっきりした記憶がないのだが、僕の印象としては知的な謎解きゲームという印象があった。また犯人との心理戦を丁寧に描くという印象もあった。この作品もそういうラインに乗ってはいるのだが、ただラストのどんでん返しがあまりにこすいので面白さを半減させてしまう。どちらかといえばそれをやっちゃあおしまいよとでも言いたくなるのだ。

ただ後のシリーズではこういったものは陰を潜めるのだろう。

ところでこのシリーズ買い続けるべきなのだろうか?お金続くかなぁ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 18, 2007

ヘア・スプレー

公開されてから随分経つが今頃になってやっと見ることができた。やはりミュージカルは音響のいいところで見るべきものだと思った。この作品の音楽はみなノリが良くて楽しい音楽ばかりなのだ。それに衣装がとてもキュートだ。現代の目から見たらひょっとしたらダサさをも感じさせるものかもしれない60年代のファッションはおとなしめでありながら華やかさも失わない美しいものだ。ありていに言えばこの作品は楽しさに満ち溢れている。

さてどこから書くべきだろうか?この作品は表面上の楽しさの奥底に非常に重いテーマがどっしりと置かれている。

黒人差別が描かれているのだが、こういった作品が未だに作られて好評を博しているということはこの問題が現代アメリカが今まさに直面している問題であり、60年代から続く差別の克服に現在においても成功していないということの証明でもあるのだろう。

物語は60年代のアメリカの地方都市ボルチモアの放送局だ。この時代は今の感覚からでは理解できないが黒人の放送日というのがあったらしい。映画では「コーニー・コリンズショー」という若者に馬鹿受けの白人のダンス番組に月一回の黒人デーがあったという設定だ。

テレビの番組にもそんな差別があったのだというのだから驚く。もちろん映画はその差別の解消を目指して進んでいくのだが、僕が印象に残っているのは、「コーニー・コリンズショー」のホスト、コーニーが差別主義者の番組プロデューサーに言い放つラストのセリフだ。このラストでは番組内で白人と黒人が一緒になって踊り狂うのだがこのホスト、コーニーはその状況を指して「これが未来なんだ」と言い放つのである。

「これが未来なんだ」登場人物の一人に言わせたそのせりふの通りの未来はアメリカにやってきたのだろうか?おそらくそれは非常に苦い現実を言い表したセリフなのだろうと僕は思う。アメリカから伝わってくるニュースで黒人の暴動が起きましたなんてのは今でもたまに飛び込んでくる。ハリケーンカトリーナのとき、ロスの暴動。何年か置きに伝わってくるそのショッキングなニュースはアメリカが根源的に抱え込んでしまったストレスがちょっとしたことで爆発してしまうことをよく表していると思う。表面上の明るさとは裏腹にアメリカの社会というのは非常に緊張した状態が常に続いている社会なのだ。

「これが未来だ」と60年代の登場人物に言わせたその理想は現在においても理想のまま達成されることなくアメリカ社会の中に横たわっているのだと思う。

とはいえ、この映画はそんなに緊張して観るような思想性に溢れた作品ではない。楽しくハッピーな映画だ。むしろこう言ったほうがいい。重いテーマを華やかなダンスと楽しい音楽で軽やかに表現したものだと。製作者のその手腕がこの映画を非凡にしているのは間違いないだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 04, 2007

ALWAYS続 3丁目の夕日

前作から2年。多分続編が作られるだろうと思っていたが、やっぱり作られた。前作の良さを知っている者からすれば、この続編制作の知らせは少々の不安を感じさせるものであったが・・・。

公開初日に観させてもらった。どうせ混むだろうという予測の元9時半から始まる回を観たのだがいやはや驚いた。こんなに早い時間なのに客席の八割が埋まっていたのだから。その後の12時からの回もすさまじい人で、観客の期待感の高さを窺わせるものだった。

感想を率直に言えば、粒が小さくなってしまったという感じだ。前作のうねるような感動はなかった。しかし、だからといってクオリティが低いとはいえない。いやむしろ続編を作るという事情を考慮しても比較的高いクオリティを保っているのではないだろうか。観客から鼻をすするような音が聞こえたのがその何よりの証拠かもしれない。

初っ端のゴジラのシーンは凄かった。完全に観客の度肝を抜く仕掛けだった。

今から振り返れば、前作は家族を作るという映画であったかもしれない。茶川家でいえば売れない小説家の茶川さんと身寄りのない少年淳之介が新たな家族をつくり、鈴木オートでは六ちゃんという集団就職をしてきた少女を家族に向えいれるという物語だ。今作はその家族のその後の物語であり、ゆえに前作のようなダイナミズムは感じられないかもしれない。しかし鈴木オートでは親戚の子を預かるという物語があり、茶川家では芥川賞を受賞しなければ家族をとられてしまうという危機がある。あまりに凡庸な意見を言わせて貰うならば、時代が変わろうとも家族をめぐる物語というのはあまり変わらないなぁというものだ。

戦争の記憶というのが底流に流れているのもこの作品の一つの特徴だろう。そこには戦友を失い、家族を失い、恋人と別れるという素朴な感情が静かに流れていて、いわゆる戦争責任を声高に叫ぶような頭でっかちな思想性はない。だからこそ戦争とはいかなるものか指し示している。思想に縛られない素朴な感情こそが戦争を論じる際の必要な素養なのではないかと思ったりもした。

どうでもいいが、堀北真希はほんとうにかわいらしい女優さんですな。鈴木オートの作業服も水玉のワンピースのドレスもかわいらしかった。2年前の前作には何らかの硬さがあったが、今作ではその硬さもとれ、非常にいい方向に向いているのではないだろうか。もっともっと飛躍して欲しいと願わずにはいられない。

それから今作に出ていた子役はみないい芝居をしていた。単純に大人の物語ではなく子供の世界もきっちり描かれていた。鈴木オートの一人息子も今回はよく目立っていたぞ。そしてその家に居候する少女はきれいな子だった。小池彩夢という子役だそうだがこんなきれいな子がいるんだなと思った。二人とも大成して欲しいなと思う才能だった。

そして前作の感想でも述べたが茶髪のものが一人もいない。ほっとする背景とともに日本人にはやっぱり黒髪が似合うなと思う。薬師丸ひろ子の髪も茶川さんのぼさぼさの黒髪も六ちゃんのつややかな髪もみな美しい。現代は経済の発展とともに何かを失ったと評されることが多いものだが、茶髪とともに我々は美意識というものを失ってしまったのかもしれないと僕は思っている。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

November 01, 2007

スターダスト

クレア・デインズ主演作ではあるのだが、日本ではどうなんだろう。彼女はイマイチの知名度しかないかもしれない。日曜の昼の回に行ったが、客席はそれほど埋まっているという印象ではなかった。

さて、感想をありていに言えば、死がこれほど軽んじられている映画もない。一言でいえば不愉快な映画だ。

死ぬ人間の数が多すぎる、しかも下らぬ死が多すぎる。2時間あまりの中でいったい何人の人間が死んだのか、いちいち数えるのも憂鬱になるくらいだ。

そりゃ、映画にはさまざまなタイプがあるから、チャンバラ映画や、戦争映画ではこの映画の死者の数よりもっと多くなる。しかしだ、これらの死には何らかの意味が付されているものだが、この映画の死は実際下らぬ。人間の欲望を丸出しにした、そんな死しか描かれていない。したがって観ている者は非常に不愉快な気にさせられる。死がストーリーの都合に合わせて置かれているような、非常に粗雑な描写なのだ。

加えて、ストーリーの運びの手際の悪さは否めない。様々なシーンが出てきて、それはそれで目には楽しいのだが、ただそれだけなのだ。シーンをただ漫然とつなげただけでは観客には訴えるものがない。

さらに言えば、期限というリミットを設定しているのだが、切迫感がない。主人公は愛する女性に、流れ星を一週間後の彼女の誕生日までにプレゼントするという約束で村を出て旅に出るのだが、この主人公がその流れ星の女性に恋をするだからいただけない。別に期限までに愛する女性のもとに戻る必要性がまったくなくなってしまったのだ。一応はセオリーどおりに村の女性の所にまで戻るのだが何のために戻ったのか説得力がない。設定が間違っているのだ。

さらにいえば、現代的な女性像を示したつもりの流れ星の女性だが、その価値観は実に手垢にまみれている。この女性は勝気で主張すべきところはしっかり主張するという形で描かれ、主人公の青年の気弱さと対比されているのだが、ちっとも面白くない。魅力が一つも感じられない。あまりにも凡庸すぎるのだ。

駄作と評してよいのではないかと思う。救いはロバート・デ・ニーロの怪演とミッシェル・ファイファーの妖艶な美しさだろうか。彼ら二人がいなかったらこの映画は救いようがなかったことだろう。その程度の映画だった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 27, 2007

エヴァンゲリヲン新劇場版:序

なんと言いますか・・・。

実のところこの作品のテレビ版はインターネット配信で済ましてしまった僕。特に思い入れはなく、なぜ今さら?という感慨しかありませんな。だいたい鑑賞後2週間近くもブログに投稿せずほったらかしだったし。

いや、確かに面白いと思うのですよ。テレビ版は確かに売れる要素満載でしたな。すぐに続きを見たくなる、そんな稀有な作品作りが為されていたと思います。しかし映画は・・・。

現実問題として、テレビ版に目を通していないと初見の人はこの作品のストーリーを追うのは非常に難しいはず。約2時間の短い時間に非常にいろいろなストーリーをぎゅっと詰め込んだ気がしないでもない。ありていに言えばいくつかのエピソードを落としてもかまわなかったのではないかと思います。テレビ版ではいろいろなキャラクターの視点を盛り込む余裕がありましたが、映画ではそれは無理な話で、もう少し脚本を練らないとこのまま完成度の低い作品として名を残してしまいます。映画版では主人公シンジの視点が中心に描かれていておそらくは製作者達の意図もその辺にあったのではないかと窺うことが可能ですが、それでもその視点が何らかの力によって引っ張られている印象を与えている。観ていて、忙しくなんだか落ち着かないそんな印象の作品でした。

やっぱり再映画化はしないほうがよかったんじゃないか?そんな感想を持った一本でした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 05, 2007

眠狂四郎 無頼剣

DVDで見た。60年代とは思えない実に美しい絵であった。

傑作の呼び声の高い作品であるらしい。もっともこの作品を見て理解できる者はおそらくそうはいまい。何となれば今回の敵が実にひねくれた立ち位置を示しているからである。

今回の敵は大阪で起きた大塩平八郎に教えを受けたもの達である。彼らは貧民救済を目指しながら幕府のやり方に我慢がならず、その貧民達をも人質に取るような策、火災を起こそうとする。貧民救済を目指しながらあべこべに貧民を苦しめるとは実にわけのわからない設定である。

当然のことながらこれだけひねた敵ではストーリーの意味を考えるのは実にバカバカしい感じがする。これを当時見ていた人々はどんな風に思っていたのだろうか?

ストーリーの展開は波乱万丈で面白いものだ。ただ狂四郎が正義のヒーローになってしまって何だか品が良くなってしまった感は否めない。虚無的といわれる主人公だが、ただ単にニヒルなかっこいい主人公に様変わりしてしまったような感じだ。

しかし映像は美しいですな。よくこの時代の映画はプログラムピクチャーなどといわれて否定される傾向になるがなんのなんの。様式美というか日本の伝統美というか。非常に高いレベルの映像で素晴らしい。往時の日本映画の凄さとはこういうものであったかと思わせる作品だ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 03, 2007

TAXI NY特別編

DVDで見た。現在この作品のパート4が公開されているが、別にそれを意識したわけでもない。

本作の感想を一言で述べるならば、第一作目の焼き直しじゃん!というものだ。何か特別目新しいアイディアがあるわけでもない。しかも犯人が逃走するときのアイディアまで同じ。ほとんど詐欺じゃねえか!

もちろん差異を述べようとすればいくらでも出てくる。主人公が女性になったとか、主人公が免許をちゃんと持っているとか。しかしその差異は非常に微細で取り立てて述べるほどでもない。

完全に一作目のリメイク作品ですな。わざわざNY特別編と銘打つほどのもではない。それなりに楽しめるがオリジナルに愛着のある人はがっかりするだろう。

金返せ!バカ!!

| | Comments (1) | TrackBack (0)

August 20, 2007

ベクシル

うーんなかなかかっこいい作品ですぞ。

3Dライブアニメというらしいがなかなか良く出来ている映像だ。人物の表情、動き、背景の作りこみなどなど。技術的には相当高い位置にいるのかもしれない。もっとも細かいところがもう少し作りこめればパーフェクトだろう。たとえば物を相手に渡す時にぎこちなさがみられたりして、もう少し改良の余地のある技術なのだなと思った。

ところでこの作品は西洋的な雰囲気を身にまといながら実は非常に日本的な自然観に裏打ちされている作品なのではなかろうか?

人間をモルモットにして作り変えるという壮大な実験の成れの果ての物語だが自然に対する畏敬の念が随所に見られる作品だ。

ジャグの存在が僕にそんなことを感じさせた。あのジャグというのは完璧なアンドロイドになれなかった人間の成れの果てが固まって出来たものだが、あのジャグというのはまさに自然そのものだろう。荒涼とした大地に突如あわられる台風のようなものだ。人間が何でも出来るとして自然に手を加えた結果にジャグという猛威が襲ってくる。うーん日本的な発想だと思う。

どうでもいいが、劇中の登場人物マリアがどうしても柴崎コウに見えてしまうのは僕だけだろうか?

なかなか面白い作品に仕上がっている。お試しあれ。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

August 15, 2007

トランスフォーマー

意外と評価が高いこの作品。どうせハリウッド大作にありがちな大味な感じの作品でしょって感じで見に行ったものだが、どうしてどうしてなかなか面白い。

いや、確かに大味で語るほどのものがないのも事実なのだが面白い。考えてみるにあまりにも荒唐無稽だからなのだろう。

車がロボットに変身するなんて、日本人は見慣れていていまさらハリウッド製のそんなもの見せられてもと思うのだがやっぱり面白いのだ。

気楽に見られる作品だ。荒唐無稽はかくあるべしというのを教えてくれるかえってよい作品だった。お姉ちゃんもきれいだしね。もっともDVD買おうとは思わなかったけど。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

家族をテーマにした映画がまた一本増えた。まずこれが印象の第一だ。

現代の社会において家族というのは人々を悩ますもっとも大きな問題なのだろう。人間の生活においてもっともベースとなるもののはずだが、社会における変化のスピードと同じかそれ以上の速度でもって家族は急速に変化しているのだろうと思う。しかもこれは極めてプライバシーの問題にかかわることであるために誰もその問題に深く入り込むことが出来ない。それが今の家族を取り巻く状況というものなのだろう。

この作品は主人公の妹が姉のプライバシーを漫画にして暴露したことから家族の崩壊が始まっている。

プライバシー。現代に根付いた言葉だが逆に現代人の行動や思考を束縛する奇妙な言葉。プライバシーが守られれば自由度が増すと誰しもが考えたが必ずしもそうではなかったのだろうと僕は思っている。

本作における主人公は女優になりたいと考えて東京に飛び出していったものの今のところ目が出ていない。両親の死によって故郷に帰ってくるところから物語りは始まる。かつて女優になることを反対された姉は東京に出てくるための資金を同級生相手の売春でまかなっていたが、妹にそれを漫画にされてしまい、しかもそれが雑誌に掲載されて故郷の村人全員が知るところとなってしまった。姉は怒り狂い妹を苛め抜く。

これがこの作品の基本設定なのだが、このプライバシーの暴露とはなかなか意味深いものをもっていると僕は思っている。プライバシーは守られねばならないという前提がある一方、家族には秘密をなるべく持ってはならないという圧力も同時にあるだろう。明らかにこの主人公たる姉の行為は家族の恥部だ。この恥部を本来ならば家族への暴露程度に収めてしまうのが普通の方法なのだろう。そんな作品はごまんとある。だがこの作品の妹はそれを無思慮にも世間一般に公表してしまった。家族は崩壊しそれを目の当たりに見た妹は深く反省する。だがその反省とは家族というものの幻影を守ろうとする切ない行為に僕には見えてしまう。

この作品の兄嫁はかなり辛い立場に置かれたキャラクターだが、彼女は孤児院で育ち初めて持った家族というものをどんなに辛い立場におかれても異常なほどのポジティブシンキングで守り抜こうとする。この兄嫁が象徴的に現す家族というものもまた幻影なのだと思う。ちょうど妹が守ろうとしたのと同じように。

だがこの家族はもう一度の崩壊を経験する。それをもたらすのは血の繋がらない兄によってだ。姉と妹の間で必死に家族というものを守ろうとするのがこの兄なのだが、この兄と姉が関係することによってそして妹がそれを暴露することによってもう一度家族は崩壊してしまう。かろうじて守られていた家族の幻影は木っ端微塵だ。しかし前回の崩壊と違って今回の崩壊は姉と妹が激しくぶつかり合うことだ。感情むき出しにしていがみ合いぶつかり合うことだ。

結局、家族を家族たらしめるのは激しい感情のぶつかり合いなのだ。何となればラストはこの妹と姉は一緒に東京に旅たつのだから。スマートな洗練された家族の像など何の意味も持たないことをこの映画は教えてくれる。

僕は常々思っているのだが家族をめぐる物語はちょうど自分探しの旅に似ている。そっくりではないか、理想の姿を求め、それに合致しない己の実像に悩み葛藤する。多くの自分探しの物語は在りもしない幻影を求め、その幻影がどこにもないと気付くというものだが、家族も結局その幻影に悩まされているのだ。まもなく日本の映画や文芸はその幻影の呪縛から解き放たれるだろう。今は本音で語りあえば何とかなる的なものが多いような気がしているがそれを通過してしまったときそこには恐らく個というものしか残らない姿が待っているのだろうと思う。そしてそれは徹底的に孤独な救いのない個の姿だと僕は予想しているのだがどうなのだろう?

さて、この登場人物たちの苗字が和合なのは皮肉であり願望を込められたものだ。作者のセンスを見せられる気がする。

どうでもいいことだが、妹役をやった佐津川愛美は蝉しぐれで初めて見て以来だがこの作品で見れて良かった。ビジュアルもかわいらしいが演技もいい。逸材ではないか。成長した姿を見せてくれてありがとうと言いたい。おじさんはあなたを応援していますぞ!同じ静岡県だしね。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

August 14, 2007

RENAISSANCE PARIS2054

東京辺りではもうとっくに上映されている作品なのだろうか?

しかし凄い作品が作られたものだ。率直な感想を述べるとするならば、こんな凄い映画見た事がない!

ストーリーはいわゆるSFで遺伝子操作などを物語りに埋め込んだものだ。ストーリーそのものはそれほど新奇なものだとは思われない。もちろんそれなりに面白く作ってあるが、もしこれが通常の実写で撮影されたならばそれほどの衝撃でもないし、かえって凡庸という評価を受けるであろう。この映画において特筆すべき点はそのグラフィックにあるだろう。

この作品の映像美はおそらくスタイリッシュという言葉で表現されるだろう。ひたすらモノクロの映像で表現され日本人が思うような水墨画の濃淡など一切排除したその映像美から受ける衝撃は計り知れない。よくこれを作ったものだと舌を巻く。

特に街の描写、車などの描写などある種の機能美さえも感じさせて美しい。

こういったグラフィックを使用することによって人間の質感はどうだろうかと思われる向きもあるかもしれないが、クールさを感じさせるできばえになっていて、細かい表情などもきちんと作られているからさらに驚く。

スピード感溢れるカメラワークも凄いと思う。カーチェイスのシーンがあるが、飛ぶようにモノクロ映像が流れていく美しさったらありゃしない。疾走感を殺さずに生き生きと描写されているのだ。

革命的といっていいだろう。

この夏にこの作品を見れたことは神に感謝をしたほうがいい。未見の人は何としてでも時間を作って見ることをお奨めする。劇場で観ないと損をしますぞ!

Renaissance

| | Comments (1) | TrackBack (0)

August 05, 2007

怪談

いい!この映画はいい!

映像も美しいし、役者もきれい。何より話の筋がいい。

僕はこの映画をホラーというよりはむしろ、恋愛映画と見た。もちろんホラー映画の要素は十分あるのだがそれを補って余りある愛の濃密な物語がこの映画の主軸だと思う。

主人公の新吉はどう考えても優男でしょうもない奴なのだが、そんな男に惚れていく女たちの悲しさというか哀れさがすごくいい。みんなきれいなのだ。

人間の業というのを恐らくはこの映画を見たものは口にするのだろう。確かにこの映画を語るに当たってその言葉は簡便で使いやすい。だが、単純に業と言ってしまっては人間というものを非常に軽んじた態度に思えてならない。この映画を流れるものは愚かさと悲しさだろう。業に通じる部分があるとは思うが、愚かさとは自らの行為がどんな結果をもたらすのかを予見することを難しくするほどに愛に翻弄されることだと僕は思う。冷徹な精神性をもった人間の態度ではありえない行動の数々がこの映画にはあるように思う。そしてその愚かさがから悲しさが導き出されるのだろう。あまりに無残な結果を目の当たりにしてもそれでも愛のみに生きていこうとする姿がとても悲しい。

人間にとっての愛とはある意味においては劇薬なのだろう。得られぬ愛を求めて死してなお生ける人間に取り付いて愛を請い続けるのだから。すさまじいものだと思う。

この映画は人間をよく描いている。絶対に見るべき作品だろう。今年の映画の白眉だ。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 23, 2007

西遊記

香取慎吾主演作であり、夏休み映画であり、テレビ版の映画版である。鳴り物入りで始まったが思っていたほどの客入りではなかった。客席は6割程度埋まっていただけだろうか?夏休みは強力な映画がめじろうしの季節であるから埋もれてしまうかもしれない。

作品としてはつまらなくはない、さりとて面白くもないというところだろうか。

脚本の出来がイマイチなような気がしてならない。見せ所は多いのだ。筋斗雲での空中戦、インディージョーンズを思わせるような巨大な車輪に追いかけられるところ、瓢箪に吸い込まれる三蔵と悟空、そしてそれの脱出劇。一つ一つは面白いのに、一つ一つはバラバラでまとまりに欠ける。

一番いけないのは、銀角と金角を有効に使えていないことだろう。最強の敵だと言う割にはちっとも最強の敵っぽくない。理由は簡単でこの二人の妖怪がいかに強いか、いかに悪党かを最初の方できちんと描写していないからだ。国王が亀に変えられてしまったということが描かれるのみで、どこが凄いのか判然としない。おかげでその後に続くはずの三蔵一行の活躍がどうもちぐはぐなのだ。強敵であることはまずはじめに見せておかねばならない。それにいかに主人公たちが苦労して挑むのか、そこに感動やワクワク感があるのだが、そのセオリーを完全に踏み外している。まさか新機軸を目指したというわけでもあるまい。エンターテインメントとしての作品としては失敗作とは言わないまでも、凡庸な出来といわざるを得ない。

それからCGの出来もイマイチだった。もう少し丁寧に作らないと今のお客は目が肥えているからついてこないだろう。

ところで話は変わるが、香取慎吾の悟空は完全にはまり役だな。良く似合っている。それだけに残念な作品だと思う。

さらに話は変わるが、さすが夏休みちびっ子が多かった。子供と大人の笑いどころが違っていて面白かった。大人には何でもないベタなシーンでも子供は良く笑っていた。往年のドリフを思わず思い出してしまった。こんな風に僕も子供の頃は笑っていたのかなと思うと大人になってしまった自分が少し悲しくなった。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (1)

July 17, 2007

パプリカ

DVDで見た。劇場で観ればよかった!と本当に後悔させられた作品だ。たまにこんな作品があるから劇場通いはやめられなかったりする。

まず何よりも映像が美しい。同時に音楽が良かった。家の小さなテレビではなかなか臨場感がわかない。劇場で観ればよかった。実に残念なことをしてしまった。

さてストーリーの方だがこれを説明するのはなかなか難解である。夢が非常に大きな小道具として出てきているのだが、この夢と現実が非常に複雑な絡まり方をするのだ。どうでも良いが、DVDのパッケージにあらすじを書いている人は実に凄いことをしている。あのあらすじ、間違っちゃいないのだが正しくもない。それくらい錯綜したストーリーになっている。

あえて言うなら科学というものをどう捉えるかがこの作品のテーマなんだろうと思う。科学を毛嫌いする理事長が出てくるが、彼の科学への不信とは極端すぎる。最後にはそれが巨大な妄想に成長するのだが。要は科学に対峙した時の人間の距離の取り方の難しさなんでしょうな。もちろん科学に没入するのもいただけないということなんでしょう。

もういちど時間があったら見てみたいと思う作品だ。ぜひ一度見られることをお奨めする。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 09, 2007

ニューシネマパラダイス

いわずと知れた大傑作。DVDで見た。完全版もあるが今回は通常版で見た。

最初に見たのが浪人生のころだったから、かれこれ10数年になる。その間何度も見た。

だが今回久々にみて、こんな映画だったのかと思った。つまりがっかりしたのだ。

ストーリーは言うまでもあるまい。なんと甘く、ノスタルジックな作品なのだろうか。若いころに感動していた自分が実に幼く思える。

だが、それは観客である僕が年を取ったということに起因しているのだろう。社会に出て人生の困難を経験して、この作品に満足できなくなっているのだ。うまくいかない自分、空回りする自分、みっともない自分。この作品の主人公トトは未来の希望というやつをまだ失ってはいないみずみずしい精神の持ち主なのだ。恋する女性との別れもあるが、それは挫折と呼べば呼べるのだろうが、自分の力のなさを自覚するほどではない。かつての僕もこのトトと同じ立場にいたのだ。だがその場から大きく離れてしまうと、トトを羨ましく思う感情が先に立つ。時間を浪費するなよと念じてしまう自分がいるのだ。

老年となった主人公は映画監督として名声を得て、故郷に帰ってくる。だが、その立場もまた僕からは遠い。おそらく自分が将来どこまでいけるか見えてしまっていて、トトにはなれないであろうことがわかっているから、なお辛いのだ。

よく切ないという。しかし本当の切なさは甘さの中に隠れているのだ。そのことを発見した一本だった。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 08, 2007

憑神

ここ数年邦画の人気は衰え知らずだが、この作品もまた邦画である。しかも妻夫木聡主演だ。本当にこの人は出ずっぱりですな。スーパースターと言っていいんでしょうな。

この映画の肝はなんと言ってもそのアイディアの秀逸さだろう。うだつのあがらない侍にひょうんなことから三人のありがたくない神様に憑かれるというアイディアはなかなかのものだと思う。

面白いと思ったのは自分に取り付いた神様を他の人に擦り付けることができるという点だろう。そんなご都合主義ありかよと思ってしまうのだが、日本人の宗教観が良く出ているだろう。海外にこの作品を持っていったらこの点はかなり受けるかもしれない。もっとも理解されにくい部分でもあるのだが。

それに悪さもしていないのに取り付かれるというのもなんとも日本的ではないか。その土地の霊だの悪霊だのというのに何もしていないのに取り付かれるというのを未だに日本人は信じているし。ほら、よく霊を持ってきちゃうって言うでしょ。あれです。

ただ、この作品はコメディタッチではあるのだが、ラストで己の存在価値を見出していく主人公の姿は現代日本人の心を打つのではあるまいか?あのシーンは秀逸だ。散々な目にあわされて、それでその過程で主人公が人生や生きる意義について透徹した目を持つというのは生き辛い現代の応援歌になっているのかもしれない。この映画の神様というのは、現代を生きる人間の様々な障害を象徴的にあらわしているのかもしれない。

でも、そんなにしゃちこばわらなくていい作品だ。純粋にエンタメとして面白いものに仕上がっている。それゆえに現今の日本映画の質の高さを見せ付けるような作品ではある。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 01, 2007

舞妓Haaaan!!!

なかなかの人気作であるらしい。土曜の夜に見た。客の入りは辛いもので、もう少したくさん入ってもいいのではないかと思う。

なんとも気楽に見る事のできる娯楽作である。ストーリーはあえて語るほどのこともないのだが、とにかく楽しい。時間と空間を軽々と飛び越えていける例えようもない疾走感がこの作品にはある。

なんと言ってもばかばかしいのはいきなりミュージカルシーンが入っていることだろう。なぜ?という問いが頭の中を駆けめぐりそうになるのだがその問いを押さえつけるほどのスーパーパワーがこの作品にはある。

なんといっても阿部サダヲだろう。彼のぶっ飛んだハイテンション芝居があったればこそ成立する作品だろう。阿部サダヲとはこんなに凄いやつかと思いながら見ていた。白いグンゼのブリーフ姿必見です。

それから柴崎コウと小出早織の舞妓姿のかわいらしさといったらない。僕は小出早織をこの作品ではじめて知ったがあんなにかわいらしい女性がいたのかと思った。ほれましたねぇ。

ディティールの作りこみも素晴らしく楽しめる作品です。ぜひとも頭を空っぽにして見に行って欲しい作品ですな。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 17, 2007

監督ばんざい

北野武監督最新作である。

今回はコメディのようだが、これだけ笑い声が少なかったコメディも珍しい。かっちりしたストーリーがないために起こることなのだが、やっぱり観客というのは武ほど賢くもなければ、鋭敏な感性を有しているわけでもない。大衆受けするわかりやすいストーリーに人気が集中するのは致し方ないことなのではないかと思う。

ただし観客というのが馬鹿かというとそうでもないのだ。かなり高邁な思想性にとんだ作品だって受け入れられている。宮崎駿作品はそういった作品の典型例かもしれない。

テーマに問題があるのではなく、その手法に問題があるのだろうと思う。

見せ方も大事な要素の一つなのだと感じないでもなかった作品ではある。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (1)

June 04, 2007

大日本人

話題の映画といっていいのだろう。昨日見たが客の入りも上々でさすがは松本人志と思わせるものであった。若干若年層が多かったのだろうか?中年の人も結構いた。

だが、映画が終わって観客の顔つきはみな狐につままれたようなおかしな顔していた。そりゃそうだろう。なにせこの映画はよく言うカタルシスがさっぱりないのだから。恐らくそういったものを避けて作ったのだろう。全国的に大規模公開をしているようだが、この手の映画は単館系のほうがお似合いだ。要するに松本人志ワールド全開なのだ。

もっとも、僕には松本色はかなり薄いと見たがどうだろう。ヒーロー物を扱っていて、そのヒーローの日常生活をドキュメンタリー風の取材で見せていくというテーマと手法はかなり陳腐なものだと言えはしまいか?案外だれでも思いつきそうな安易な感じがしないでもない。松本人志がこういったネタを扱うというのは意外な感じがした。

それから表現が全体的におとなしすぎる。エキセントリックな方向にもう少し振れても良かったのではないかと思う。ネタが陳腐なのだから、見せ方には工夫が必要だと思うのだ。せっかくかっこ悪いヒーローを扱っていて、ドジまで踏む主人公なのだからはじけるべきだと思うのだ。おとなしい表現の方法のために却って作品が難解になった嫌いがある。この作品本質的にはヒーローというものを市井のレベルにまで引き摺り下ろす、シンボリックな事物を観客の目線にまで引きずり下ろすというのがその主たるテーマではなかったかと思うのだが、テーマも手法も何だか白々しくつまらない。

しかもラストの特撮の現場を見せながらの戦闘シーンはシュールすぎる。面白いとは思うのだが、恐らくはついていけない人が続出したのではないか。あえて物語り性を壊して見せたのだろうが、その必然性が今ひとつこちらには伝わってこなかった。

パンフレットには2度3度と見て欲しいとあったが、恐らくそれを行う人はあまり多くはいまい。結局我々はもう少しかっちりした物語が好きなのだろう。もっともカルト的な人気は確実に博するのだろうが・・・・。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 20, 2007

今宵、フィッツジェラルド劇場で

一言で言えば楽しい作品だ。今夜で最後のラジオの公開生中継番組であるにもかかわらず、出てくる人々はウェットではなく、プロフェッショナルとしての仕事に誇りをもって最後の仕事をしようとしている。

しかし、なんといっても音楽が楽しい。この映画に出てくるのはカントリーミュージックが中心なのだが、現代の早いダンスミュージックなんかに慣れた耳には心地よくストレートにメロディが入ってくる。カントリーって楽しい音楽なんだね。それに日本の演歌とはちがってシリアスでも暗くもなくどちらかというと、明るく希望に溢れた感じの音楽だった。

本当はアルトマン監督の遺作だからなんだかんだとあるんだろうが、そんなことは素っ飛ばしてもこの映画は楽しい。よき音楽は精神に対する良き薬なのだ。今夜はよく眠れそうだ。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

あかね空

随分前から公開されていたようだが、静岡では最近になって見られるようになった。

やはり時代劇だからだろうか、年配者が多かった。それはそれでかまわないのだが、やはり若い人にも時代劇を見てもらいたいとは思う。若い観客の支持がなければ日本における時代劇の火は消えてしまうかもしれないのだから。時代劇は楽しいですぞ!

さて、この作品の感想はよくまとまっているということだろうか。原作は例によって未読だが親子2代に渡る物語とは想像しただけで長いことはよくわかる。それを2時間に手際よくまとめるのだから脚本作りは大変であったろうということがわかる。

CGもよくできていたが、それでもまだ力不足かなと思う。実写部分とCG部分の差がわかってしまうところがいくつかあった。観客の目は厳しいということなのだ。

ストーリーは人情劇のいいとこどりみたいな感じだ。深い感動を味わうという感じではなかった。永吉とおふみの出合と結婚。おふみの世話焼きっぷり。長屋の人々の新参者に対する暖かな接し方。京やを追い落とそうとする中村梅雀の小心者の悪党っぷり。栄太郎の身の持ち崩す様。すべてセオリー通りというべきか。特に傳蔵親分とおふみとの対決シーンは結果が初めから読めていたので逆に安心て見れてしまった。本当はこんなんじゃいけないのだけれど。

だからといってこの映画が質が低いというわけではなかろう。むしろかなり高いといえるかもしれない。なんといってもこの映画は家族の崩壊と再生を描いているのだから。近年この手の小説や映画がたくさん作られているが、この作品はそのテーマに直球勝負を挑んでいる作品なのだ。凡庸さのなかにある種のすがすがしさを感じるのはそのためであろう。物語を破綻させることなく描ききったことには敬意を表すべきだろう。

さて中谷美紀である。ほとんど怪物のような女優さんですな。永吉との結婚前の初々しいかわいらしさもさることながら、子を持って店も大きくなった時の様もすごい。映画の後半は店を切り盛りし、職人気質の旦那を支える商家のやり手のオバチャンという感じが凄く出ていた。その切り替えのすごさに圧倒された。まさに天才、必見です。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ゲゲゲの鬼太郎

本当は見るつもりなどなかったのだが、テレビであれほど宣伝されてしまうとついつい見に行きたくなるものだ。行ってしまった。劇場は当然ちびっ子でいっぱい。大の大人に劇場に足を運ばせるのだから、宣伝の力というのはすごいものだと思う。

さて、その感想なのだがはっきり言ってなめてんのかと思ってしまった。

なにが甘いといってストーリーの細部の詰めが甘い。妖怪石をめぐる攻防戦がストーリーのメインになるのだが、行方不明の妖怪石を見つけるまでのストーリーの運びが手際が悪い。少年が父親に託されて持っているのだが、その発見の方法があれでいいのかと思う。

それから、何より鬼太郎の造形がひたすらいい人に終始していて魅力が少しもない。基本的に正義の味方だからいいのかもしれないが、少なくとも大人の観客には訴えるものがないのではないかと思う。まあ、ちびっ子相手だからあれでいいのだろうなぁ。

しかしもったいない。これだけの役者を揃えているのに。ウェンツの鬼太郎は間違いなく美しかった。実写であれだけ美しい鬼太郎が見られるとは思っていなかったから感動した。もう一度見たいと思わせる鬼太郎なのだ。

続編できないかぁ~。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 06, 2007

華麗なる恋の舞台で

なかなかしゃれた映画である。もっとも女って恐ろしいなと感じてしまう映画ではあるのだが。

やはりラストは圧巻でしょう。新人女優に対する華麗な復讐劇は面白く華々しく。しかし男の視点からするとこんな女にそばによっていて欲しくはないと思ってしまう。だからこそ主人公の旦那役のジェレミー・アイアンズが不可解で理解できなかったのだ。

この映画は男性と女性ではそうとう感想が違うはずだぞ。女性の意見を聴いてみたいと思う。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 04, 2007

神童

成海璃子主演作である。成海璃子・・・・。美しすぎる。これで14歳とかなんだからいやんなっちゃう。何か画面を見てるとこっちの気持ちがザワザワするような変な気分なのだ。ある意味日本映画界の至宝ですな。なにせストーリーに集中できないほど見とれてしまうのだから・・・・。こんな女優さんいないよ!

で、なにが書きたかったかというと神童の感想なのだが、はぁさっぱり思いつかない。

ストーリーも良かった。音楽はもちろん良かった。松山ケンイチも良かった。

何もかも良かったけど、今日の僕は何を見に行ってきたんだろうか?

美しいとは罪ですなぁ。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (1)

12人の優しい日本人

DVDで見た。古い映画ではあり、また三谷脚本ということで散々いろんな人が言及しているであろう。あらすじは特に述べても意味がない。同じ理由でアメリカで作られた12人の怒れる男との比較はここではすまい。

この映画のもっとも秀逸なところは客観とは難しいということに気付かされることだろう。

もっとも理論的で最後まで被告の有罪を主張してやまなかった陪審員2号が実はもっとも情緒的で自らの感情におぼれやすいというオチのもっていき方は凄いの一言だろう。それは同時に主観と客観の境目を見分けることが我々観客だけでなく、有罪を主張する登場人物自身にも曖昧でわかりづらいということをあらわす。それはまた人を人が裁くという現実の難しさをも表す。いくら自分が客観的に事実を積み上げ物事の姿を捉えようとしても、主観がどこに入り込むのか自分でもわからないという危うさを孕んでいるだ。それが裁きの場面において無自覚なまま発揮されたとしたならば、我々は重大な過誤を犯さざるを得ないのだ。人間は本質的に過誤を犯さざるを得ない存在なのだと気付かされる。

傑作映画だ。人間の本質をコメディの中に見事に入れ込んだ凄い作品だと思う。一見の価値ありですぞ!

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 03, 2007

バベル

話題作といっていいんだろう。だが、僕としては菊池凛子がアカデミー賞にノミネートされなかったならば、おそらくここまでの公開規模にならなかったのではないかと思う。どちらかといえば単館系の方がお似合いの作品ではないかと思う。

基本的に四つの話からなっている。それぞれの話は繋がりはあるもののそれほど緊密に繋がっているわけではない。平たく言えば一つのエピソードが他の話に深く影響するというわけではなく、ほのかなつながりがあるという感じだ。特に日本における話は他の3つよりはるかに緊密性が薄くほとんど独立した別個の話と思って差し支えないのではなかろうか?

この手の構成をとった場合、エピソードが散漫になっていくきらいがある。僕はあまりうまいやり方だとは思っていないのだがどうだろう?

この映画のテーマは孤独とその和解ではないかと思う。特に日本における菊池凛子のエピソードはそのことをもっともよくあらわしているといえるだろう。ラストシーン彼女は裸でベランダに立っているが、父親に縋りつき泣くというのはその孤独な魂の寄る辺とはすべての虚飾を脱ぎ捨て相手の胸の中に飛び込まなくてはならないという原則的なメッセージを感じる。逆に言えば我々の相互理解を妨げているのは、我々自身の鎧のように重い、常識や面子、世間体といったものなのだろう。

ただ、取り立ててそういうことを述べてもという感じがしないでもない。きっとそんなことはこれまでの世界中にある映画や小説で描かれてきたことなのだろうから。

すごいとはあまり思えない作品だったなぁ。僕がおかしいのだろうか?

人気blogランキングへ

| | Comments (1) | TrackBack (0)

April 25, 2007

隠し剣 鬼の爪

山田洋二監督の時代劇第二弾作品である。DVDで見た。

どうでもいいが、画面が両側切られていた。見やすいといえるとは思うが、映画ファンとしてはなんだかなぁとぼやきたくなる処置ではある。

話の筋についてはいいだろう。既公開作品であるし、それに公開されてから何年も経っている。今頃見ている方がどうかしているのだ。

この作品には二つの貫通する流れがあるだろう。一つは近代との相克である。もう一つは古い男の生き方であろう。

時代背景は幕末であり、主人公は近代兵制に遭遇している。すなわちイギリスから渡ってきた大砲の習得に仲間とともに明け暮れているが、戸惑いを隠せないでいる。こんなものが必要になる時があるのかという思いとともに、武士たるものはという古い観念を捨てきれないでいるのだ。作品の中盤に主人公の母親の法事のシーンがあるが、そこで一族の長老に刀や槍で戦わない戦などけしからんと怒鳴りつけられるがろくに言い返せない主人公の姿は古い観念を捨てきれないでいることをよくあらわしているだろう。

そして何よりも最後の決闘シーン。このシーンではかつての道場仲間と戦うのだが、この仲間というのがまさに近代を生み出そうとして夢破れた男である。その男と近代に触れて戸惑いを覚えている主人公が斬りあいをするのだから皮肉なことではないか。主人公は男を斬ることに成功するが、止めを刺したのは西洋から伝わってきた最新式の銃である。主人公は森に潜む暗殺者達にやめろと叫ぶが近代の圧倒的な力の前にはむなしい響きにしかならない。

そんな主人公だからその生き方は古い男の生き方になってしまう。頑固で不器用で感情の表現が下手くそで、まっすぐで、でもやさしいというような。好いた女のために悪評が上がるのもかまわず、助けに行くような不器用さ。老獪な家老に対する怒り。古い男であるがゆえに悲しみのすべてを背負い込まなくてはならない主人公が最後に呟く言葉が「このむなしさはなんだろう」である。時代のうねりのただ中にいて己の小ささを自覚しないではいられない無念さがにじみ出ているようだ。

良い映画を見たと思う。劇場で観ておけばよかったと後悔させられるほどに。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (1)

April 10, 2007

東映ヒロインMAX

白鳥百合子のファンになっていなければ絶対に手に取ることのなかった代物である。

体裁は雑誌というかムック本というか。

白鳥百合子のインタビューおよび写真が数ページに渡って掲載されており、他にも仮面ライダー電王に登場する松本若菜、秋山莉奈のインタビューと写真が掲載されている。ただこの雑誌のメインというわけではなく、仮面ライダーのちょっとした宣伝もかねてという控えめなものだ。

アイドル本としても読めるがそれだけではない。この本はなかなかマニアの心をくすぐる出来栄えとなっている。

メインは獣拳戦隊ゲキレンジャーだろう。この作品がメインとなって構成されている。僕らが子供の頃夢中になって見た、あのゴレンジャーの流れを汲む作品であるらしい。伊藤かずえ(そう、あの伊藤かずえも獣拳戦隊ゲキレンジャーに出演しているのだ)のインタビューにも出ていたが、昔とは随分様変わりしているらしい。なにせ戦隊側が5人じゃないらしいのだ。久々にそういったことを目にすると隔世の感がするとともに自分の歳を感じずにはいられない。

まあ、そのあたりはおいておくにしてもこの本が丁寧に作ってあるなと感心してしまうのは、そのインタビューの質と量である。出演女優だけでなく、制作プロデューサー、脚本家、振り付け、中に入って戦う人(スーツアクトレスと言うらしい)などなど非常にたくさんのそして幅広い人々のインタビューが掲載されていることである。これらのインタビューを読むとその製作の背景がわかってなかなか面白い。とくにメインライターの横手美智子、チーフプロデューサーの塚田英明のインタビューは実に読み応えがある。子供相手の番組とはいえ、その企画が成立するまでの産みの苦しみが想像されるのだ。

また、面白いのは特集かもしれない。不思議コメディーシリーズヒストリーと題された特集はロボコンに始まり、バッテンロボ丸やロボット8ちゃん、ちゅうかないぱねま、ちゅうかなぱいぱい、果てはシュシュトリアンまで、実に多彩なそれでいて懐かしいビッグネームぞろいの記事になっている。子供時代に夢中になって見たあのロボット達の各話を思い出せるわけでもないのになぜか甘酸っぱいような気分にさせられるから不思議だ。編集後記にも書かれているが少し足早ではあるものの、ボリューム満点で実に楽しい。そうそうこんなのあったっけと感動することしきりだ。お奨め記事だろう、ぜひ読んで欲しい。

一つ思ったことは出演女優に共通することがこの作品を通して成長できたと異口同音に述べていることだ。それはベテラン俳優のインタビューにおいても若い彼らが日増しに成長するのがわかると述べていることと符合する。よくよく考えればそれは当然のことかもしれない。なんとなれば一年の長丁場である。与えられた役と向き合う期間が長く、じっくりと作品と向き合うことができるということなのだろう。経験の少ない俳優さんにとってみればそれ実に貴重な経験であり、学びの時間なのだろう。日本の映画、テレビドラマにおけるヒーロー物の位置づけを改めて認識させられた次第だ。ヒーロー物というのは一つの学校なのかもしれない。

しかし歴史が長いとはいいことですな。豊穣で厚みのある歴史というのが日本のヒーロー物にはある。それはとても貴重なことなのだ。

ところで白鳥ファンとしては彼女のロングインタビューが読みたかったりする。同じシリーズで仮面ライダー電王の特集記事やってくれないだろうか?っていうかもう既にあるのだろうか?

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (1)

April 04, 2007

バッテリー 映画版

いつか映画になるに違いないと思っていたがとうとう映画になってしまった。原作を僕は3巻までしか読んでいないのに!

日曜日に見たのだが、中高生が圧倒的に多かった。公開してからだいぶ経つというのに、客席は8割方埋まっており、根強い人気があることを窺わせる。

見た感想というのは、非常にまじめに作った映画だということだ。そのことが映画に堅苦しさを与えはするものの、主役である原田巧と永倉豪のさわやかさに救われていて、良い映画に仕上がっていたように思う。

やはりこの映画は主人公巧に負うところが多いのだろう。彼は孤独で有り余る才能の持ち主ではあるが、しかしその一方で不安で寄る辺ない寂しさというのも感じている。永倉豪という初めて心を許しあえるキャッチャーと出会うことで彼は大きく変わっていく。

陳腐な言葉だが友情というものの芽生えがここにあるのだと思う。

何だか30過ぎたおっさんには甘酸っぱいような、それでいて苦いようなそんな感情を覚えさせる映画だ。年を取った人間にはやはりこの若い世代というのは眩しい。そしてうらやましい。人生をやり直せたらなどと柄にもなく思ってしまうのだ。

さて主人公巧と豪を演じた二人の若い俳優は素晴らしかったと思う。演技の経験がないそうだ。巧を演じた林遣都はちょっといないタイプの美少年だろう。若い女の子に人気が出そうだ。そして豪を演じた山田健太はまさしく豪ちゃんそのものだった。ぜひとも二人とも末永く活躍して欲しい。

原作読み返そうっと!

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 18, 2007

どろろ

今一番の話題作だろう。妻夫木聡と柴咲コウというビッグスターを揃えて当たらないはずがないという感じだ。

事実日曜日の1回目という時間にもかかわらずお客さんがかなり入っていた。しかも各年代満遍なく入っていたからすごいというしかない。大抵の映画は客層が偏るものだが、この作品にはそうしたことがないように思う。考えてみれば時代劇のテイストを軸に据え、しかも時代劇の枠からはみ出そうとしているのは、苦みばしった老人も能天気な若者も虜にするかもしれない。このあたりは作り手の慧眼といったところか。

日本の作品にしては珍しい感じがしたのは主人公と「父親」との関係が描かれていたからだろうか。小説にせよ映画にせよ日本の物はなぜか父より母が注目されるものが多いと思う。昨今話題の東京タワーを見ればわかるだろう。基本的に日本の物は母の穏やかさや母の包容力を求めるものが多く、父の持つ厳しさや強さがあまり前面に出てこないように思う。父を乗り越えていく物語が本当に少ないように感じるのだ。だがこういった傾向は一時的なものなのかもしれない。これまでの日本は長すぎる不況と激変する社会環境に揉まれて不安が先行する社会であったから、母が求められたのだろう。だがこれからは一応は不況から抜け出し、変革の時期もひと段落して恐らくは海外との戦いに移っていくのだろうと思う。それは日本自身が超えなければならない壁であろう。強く気を抜けない相手。物語の世界においても、そのような偶像が生み出されていくと僕は思っている。そのような偶像の一つの典型が父親であると思うのだがどうだろうか。きっとこれからの映画は強い男を倒す男の物語がたくさん作られると思うのだが。

もっとも母に関する物語の多さは、日本が母系社会から始まったと言われることがあるから、今日においてもその影響があるのかもしれないが。

変革期の映画かもしれないと思う。

さて最後にどうでもいいが、最後の魔物を倒した数が表示されたのはこすいやり方だ。続編を作るつもりなのだろう。TBSさんだしねぇ、NANAのようにならなければいいが。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (1)

February 12, 2007

バブルへGO タイムマシンはドラム式

なんとも楽しい映画だ。能天気で明るくて軽くて。ノリがいい。肩の凝らない映画だ。

ストーリー自体は何てことのないものだ。タイムスリップものにありがちな話で、先にタイムスリップした者がタイムスリップした先で行方がわからなくなり、その者を追って後から主人公がタイムスリップしていく。でこの主人公は行方不明者を探すだけでなく、もう一つ重大な使命を持っている。

ま、だいたいこんな具合に話が進んでいく。しかもハッピーエンドになるというのも定番か。だが愉快なのはこの映画に出てくる小道具たちであろう。洗濯機にしか見えないタイムマシンやバブル期のファッション、音楽。タイムスリップ物につきものの現代とのギャップに驚くというお決まりのパターンも踏襲されている。

この映画で一つ特徴をあげるとすれば現在では否定されること多いバブルを結構肯定的に捉えているということではないかと思う。主人公はクルージングの船の上で、お酒を飲みながら「バブルって最高ー!」と叫ぶシーンがあるが、あれはまさにあの時代を謳歌した者の偽らざる本音の部分ではあるまいか?私はあの時代を中学生として過ごしていたからバブルの恩恵にはあずかれなかったが、その私の目から見てもあの時代は明るくキラキラ輝いていた。経験してみたかったと憧れる気持ちがすごくある。

だが一方で主人公が下辞川に「不安じゃないの?」と訊ね下辞川が「全然」と答えるシーンはある種の後悔が混じっているように思われる。危機感もなく「ジャパン アズ ナンバー1」を無邪気に信じていた自分を振り返ってしまうのだろう。あまりに無邪気すぎ愚かでありすぎたという苦い後悔の味が入り混じったやりとりであったに違いない。

とはいえ明るく能天気なトーンは変わらないのだが。

最後に主人公を演じた広末涼子について。結婚してママになったとは思えないほどのはつらつとした若々しさを保っていた。今でも彼女はスーパーアイドルなんだなと思う。日曜日の1回目に見たのだが恐らくは広末ファンと思われる男性客がけっこういた。マスコミに散々色んなことを書かれたが、今でも根強いファンがいるのだ。彼女はまだまだこれからも活躍するのだと思った次第だ。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (2)

February 04, 2007

それでもボクはやってない

周防監督の11年ぶりの作品である。前作から11年も経ってるんだね。驚きだ。

さて僕はこの作品を土曜の1回目に見に行った。混雑するのが嫌だったからというのがその理由だが、それでも客席は4割程度は埋まっていた。力のある映画と言うことなのだろうか?

映画を見終わった後、劇場のエレベーターで一緒になった4人の若い女の子たぶん中学生くらいだと思うが、彼女達が話しているのを聞いていたが主役の加瀬亮がかっこいいしかわいそうと話していた。そして裁判官役をやっていた小日向文世がムカつくなんて話していた。小日向文世は顔が柔和な感じの中年男性だから余計にそう思ったのだろう。お客にそう思わせるのだからなかなかよく作られている映画なのだろう。

この映画からは何だか監督の怒りみたいなものを感じる。法曹関係者の誰もが現在の裁判制度がまずいとわかっているのに、なかなか改められない怒りなのだろうか。それとも裁判制度の問題点を知ろうともしない僕ら一般国民への怒りなのだろうか。或いは裁判制度そのものに対する怒りなのだろうか。

パンフレットを見ると監督は脚本を11回も書き直したらしい。それは裁判制度や法律用語をわかりやすく無理なく映画の中に入れるという点で苦労したのだろうが、それとは別に監督は怒りという暴れる感情を冷静に制御する必要があったのではないかと僕は想像する。と言うのはこの作品はただ怒りが描かれているだけでなくてそれを冷静に制御しているように思えるのだ。

何といってもこの映画のラストの独白が考えさせられる。最高裁の建物をバックに「どうか私をあなた達が裁いて欲しいと思うやり方で裁いてください」という視点はこれまでの裁判に関する考え方に新しい示唆を与えるものではないだろうか?恐らく今までこういう考え方をする人はいなかったと思う。名セリフではなかろうか。このセリフを聞きにいくだけで十分時間と金をつぎ込むに値するだろう。

なかなか興味深い作品だ。地味ではあるけれども。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (1)

January 28, 2007

マリー・アントワネット

本当は周防監督の「僕はやってない」を見ようかと思っていたのだが、どうせ混んでるだろうし、それならきっと空いているこの映画にとおもって見に行ったら、なんと混んでた。日本人は案外フランス革命好きなのかもしれない。豪華絢爛だしね。見ている分には楽しいでしょ。

客層は断然女の人が多かった。若い子から中年のおばさんまで。男性を探すほうが難しい。やはりベルサイユのバラの影響なのだろうか?男性にはわからん感覚だ。

さて、内容なのだが、この映画を見たら怒り出す人がいるんじゃないかと思う。というのも通常我々が思うマリー・アントワネットというのは断頭台の露と消えた悲劇の王妃というものだろう。近代を生み出すために生まれてしまった大きな悲劇というのが我々の見方だろうと思う。

ところがこの映画はそんなものには目もくれず、ひたすら等身大のマリー・アントワネットを描いていく。天真爛漫で、明るく、夫婦間の悩みも抱え、時にはいい男と恋に落ちる。要するに重々しく、説教臭い史劇という我々の先入観を打ち破るのだ。

実際のマリーは本当にただの女の子だったのかもしれない。その辺歩いているような感じの女の子に。

この映画を見て明るくポップなと表現するものもいるだろう。でもこの表現はおそらくこの映画のすべてを言い表していないと思う。それは等身大のマリーを描いたが故の誤解と言うもので、この作品は間違いなく悩み、傷つく女の一代記であって、人生の真実を誠実に追い求めようとした人間の姿を描こうとしていると思う。ポップミュージックと華やかな衣装とおいしそうなスウィーツに誤魔化されてはいけないと思う。

ただこの作品は人物の描きこみが足りないと思う。マリーもそうだが夫のルイ16世、フェルゼンも何のためにいるのかよくわからない存在感の薄い描き方だった。この辺りをもう少しきっちり描けば本当の傑作だったろうに。意気込みはすごく感じる映画だっただけに惜しいなと思う。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 04, 2007

NANA2

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

さて今年の一発目がNANA2である。昨年はキングコングであったので今年はまともに始まった感じがする。

もっとも映画の内容は凡庸と評するものだった。何がいけないといって、なんだかあらすじを一生懸命見させられているような感じがしてならなかったのだ。

したがって人物の一つ一つの行動に説得力がなく面白みに欠ける。要は感情移入できないのだ。最悪なのは主人公ハチがどうも馬鹿っぽく見えてしまうのことにある。一生懸命彼女の心情を説明するのだが、それがナレーションで代用する場合が多く、そんなことが続くとこちらはゲンナリしてしまう。破綻をしてもいいからハチのストーリーをきっちり描くべきだっただろう。

この映画での収穫といえば、玉山鉄二だったろう。彼の今回の演技は素晴らしかったと思う。身勝手な男の感じがよく出ていた。逆に市川由衣はイマイチだった。あまり細かい芝居が上手ではないのだろう。もっとも宮崎あおいと比べるのは酷な気もするのだが。

人気blogランキングへ

| | Comments (3) | TrackBack (1)

December 31, 2006

硫黄島からの手紙

クリント・イーストウッド硫黄島2部作の2部作である。

よく外国人である彼が、しかも敵国であるアメリカの監督さんがこれを作ったものであると思う。またこの作品を作ってくれたことに対して敬意を表したい。

さて、本作は戦争映画であるにもかかわらず徹底的にヒロイズムが排除された作品であるといえると思う。かっこよさもなければ自決の美しさもない。あるのは生な人間の姿だけである。

またこの作品は日本が一方的に、或いは日本に一方的に反省をする、求めるという作品ではない。昨年公開の「男達の大和」には贖罪意識の妙な説教臭さがあったが、この作品にはない。あるのは過酷な状況に追い込まれた人間達の自然な感情の揺らぎである。

この2部作に共通して流れるのは国家と個人の関係であると思う。国家が個人に求める過酷な要求に応えようとして苦悩する人間の姿を描いている。あるものは国家に殉じ、あるものは自分の生を追求し挫折し、あるものは自分自身を喪失してしまう。そこには国家に守られて生きていかなくては生きることができない個人の矛盾があるのだと思う。それは国家に対する単純な怒りではなくて、そのような環境に身をおかざるを得ない人間存在の皮肉というものなのだろう。この映画は国家に対する単純な怒りを表明するものではなく、また個人に起きた悲劇を嘆くのではなく、国家と個人の関係を冷静な目で観察することに主眼を置いているように思う。

なかなかこの2部作は考えるところが多い作品である。両方とももう一度見直してみたい。

人気blogランキングへ

| | Comments (1) | TrackBack (0)

大奥

仲間由紀恵主演作にして、テレビでのヒットシリーズの映画版である。もっともこの作品はテレビシリーズを見ていなくても大丈夫なように作ってある。

本当は見に行くつもりなどなかったが、何となく見てしまった。お客さんはかなり入っていて期待の高さをうかがわせる。女性客が多かったのではないかと思う。

さて内容なのだが、すべてが豪華であった、出演女優もセットも衣装も。視覚的にはすごくてため息が出るほどなのだが、なんだかつまんない。ちっとも面白くないのだ。

この作品は二つの恋が描かれている。一つは主人公絵島と生島新五郎との恋。もう一つは絵島が仕える将軍生母の月光院と側用人との恋。封建制下しかも大奥の中の女性であるためこの二つの恋は許されざる恋という扱いになるのだろう。

しかし月光院と側用人との恋は許されざる恋という印象を素直に映画から受け取ることができるが、絵島と生島新五郎との恋はどうなんだろう?

思うにこの作者はこの二つの恋を効果的に対置することができなかったのではないか。おそらく構想としては対置させ、絵島と生島の悲劇をいっそう際立たせようという考えであったと思うが、それがうまくいかなかったのではないかと思う。悲劇が悲劇のように見えない、あるいは観客の方としては乗れない原因になってしまっている。

これは当然の帰結であるかもしれない。というのもこの恋の始まりの創作が間違っているのだと思う。この恋は大奥の勢力争いから端を発していて、初めから絵島をはめようという罠から始まった話なのだ。本作では絵島と生島はそれでも恋に落ちるのだが、あまり面白いものではなかった。もっと自然に出会い、愛し合いそれが自分達のあずかり知らぬところで大変な悲劇を引き起こすという点をもう少し強調したほうがよかったのではないかと僕は思っているのだが。

ただ、この手の作品は女性と男性では評価がまるで違うだろう。女性の感想を聞いて見たい気がする。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 04, 2006

武士の一分

日曜日、かなりのお客さんが入っていた。座席のほとんどが埋まるほどに。やはり話題の映画なんだなと思った次第。中心は年配者だが、キムタク目当てだろうか、若い人もかなりいた。これを一つのきっかけにして時代劇の裾野が広がってくれたらうれしい。

映画を見た感想はとにかく見てくれということだ。僕の陳腐な感想などを寄せ付けない魅力がこの映画にはある。

この映画の登場人物たちはみなすがすがしい。日常をつつましく生き、辛いこともあろうが明るさを失わないその姿勢が好ましい。

特にラスト主人公の「私は間違っていたのかもしれない」という述懐は人間の愚かしさや後悔してももはや手遅れという情けなさがよく現れていて、僕には決闘のシーンよりも鮮烈に印象に残っている。まさにあのシーンがなければこの映画の中で葛藤し傷ついた者達が救われないと思うのだ。日本映画史に残る名シーンだと思う。

素晴らしいの一語に尽きる。できればもう一度劇場で観てみたい作品だ。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (1)

November 19, 2006

十二人の怒れる男

本日は雨。どこにも行く気がせず、家でじっとDVD鑑賞だ。今日は十二人の怒れる男である。

密室劇の傑作として映画史に燦然と輝くこの作品だ。もっとも僕はタイトルだけ知っていて中身は見たことがない。

MGMのライオンの雄たけびのマークからのスタートが懐かしい。

物語は父親殺しの犯人として捕まった少年の審議を十二人の陪審員が審議するというシンプルなものだ。陪審員達は服装も年齢もバラバラ。この事件の陪審員に選ばれたという事実一点で繋がっているに過ぎない。まじめに審理をしようという者もいれば、偏見丸出しで有罪にしようとするもの、事件の審理などさっさと終わりにして次の予定に向いたがるものなど実にざっくばらんな男達が集まっている。そして男達は互いに相手の名を知らない。

事件の審理は当初簡単なものに思われた。被告のアリバイは薄弱で、証人の証言は確かなものに思われたのだ。だが陪審員のうちたった一人だけこの事件の審理に疑義を呈する者がいたことから、狭い密室の中の議論は白熱しやがて意外な方向に議論は向っていく。

あらすじを言えばこんなところか。この映画の心憎いところは、暑さと密室と死刑だろう。

暑さは密室に閉じ込められた男達の感情のぶつかり合い、その切迫感を際立たせる小道具だ。額をながれシャツのわきの下をぬらす汗の不快感が時に男達の理性を吹き飛ばす。

密室は当然のことながら他の不純物が入ってこないという物語の純粋さを高めてくれる。何がどうあっても自分達で考え、議論し、決断を下さなければならないという切迫感がそこにはあると思う。

そして死刑だ。被告は17歳の若い少年だ。この少年に命を与えることも奪うことも自分達はできるという責任の重さを痛感しないわけにはいかない。映画の後半、陪審員の一人が偏見丸出しで有罪を主張するが、あのシーンでは陪審員の一人一人が机を離れ、壁を向き或いは窓の外を眺め、彼の主張に耳を貸す者はいなかった。一人の人間の死が偏見によって決められていいはずはないという当たり前の主張がそこにはある。

この映画を見る人によっては、こんな物語はユートピア的で、理想論に過ぎないと感じる人もあるかもしれない。それは僕も思わないでもなかった。たった一人の少年の運命を決めるのにあれだけ白熱した議論を行うものなのだろうかと。さっさと決めてしまえばいいではないか、自分が有罪になるわけでも、死刑になるわけでもないのだから。現実は誠に厳しい。ヤンキースの試合を見に行くんだという軽薄な陪審員がいたが、あるものは仕事に関心が向い、あるものは家族や恋人に関心が向いてもおかしくはない。その辺りを歩いている普通の市民が集まっているに過ぎないのだ。死や法律について真剣に議論したことなど皆無なのだから。

だが、と僕は言葉を継ぎたくなる。他人の運命を決する決定的な場面に遭遇することは人の人生にそうは多くないはずだ。ほんの少しの想像力を働かせれば自分達の行動が決定がどれほど重要な意味を持つのか理解できるはずだと信じたい。そうでなければ社会というものは成り立っていかないと僕は思うのだ。自分ひとりで自分の人生が成り立っていると思う傲慢な人はいるまい。だからこそ僕はほんの少しの想像力を働かせる隣人の存在というものを信じたいと思うのだ。そして僕もまたほんの少しの想像力を働かせる人間でありたいと願っている。

いい映画だった。ぜひ多くの人に見てもらいたいなと思う映画だ。特に若い人、絶対見るべし。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 13, 2006

日本以外全部沈没

観た感想はと問われたら僕は「複雑な気分」としかいえない。というのも予想していたことではあるが、思いっきりB級映画なのである。

B級映画が悪いといっているわけではない。確かに特撮はチープだし、役者が芝居をしている背景もなんだか安っぽかったし、何より首相官邸の室内がただの会議室にしか見えなくてがっかりしたけれど、本当にがっかりしたのはそういう画面の作りではなく、ストーリーのほうである。

僕にはこのストーリーがこんなことがありました、あんなことがありましたという箇条書きの羅列に見えて仕方なかったのだ。4億人も外国人が日本に大挙してやってきて、日本人がそれまでの友好をあっさり忘れて見下し差別するような行動に出るという一種の社会時評のような感じになっているのはわかる。しかし一つ一つの場面のつなぎが悪いのだ。どうしてこんなにエピソードとエピソードがかみ合っていないのか不思議でならなかった。おかげでせっかくの笑いの場面も前フリが生きていないから笑えず、苦笑いになってしまう。しかもこの手の作品は観客に「ああ、確かにそうかも」と思わせなければ映画として成立しないのにそんなふうに思わせられていない。日本人の悪癖、つまり外の世界に対して不寛容という態度をこれでもかと見せられて、内心ムカムカしてしまうのだ。日本はそんなにおかしな国家ではないぞ、といちいち反論をしてしまいたくなるのだ。

せっかく良質のパロディを観られると思って期待していたが、期待はずれだったな。もう一回観たらそれでいいやという気持ちにさせられた、実に稀有な作品であった。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 12, 2006

笑いの大学

三谷幸喜の脚本、DVDで見た。

この作品は戦時中の検閲体制ネタにしたもので、警視庁の検閲官と劇作家の壮絶な戦いである。とは言ってもそこは三谷幸喜の作品であるから笑いたっぷりなのだが。

作品の構造はシンプルだ。主要キャストは二人しか出てこない。検閲官の向坂、劇団の座付作家の椿。この二人が取調室という密室で繰り広げるコメディだ。

ろくに笑ったことすらない、冷酷な検閲官向坂は上演の不許可を盾に劇団の作家椿に台本に難癖を次々とつける。ところが椿は向坂がつける難癖を上回る笑いを書いてくる。いつしか向坂の要求が皮肉なことにどんどん台本を面白くする方向に向っていき、終いには二人で台本を面白くしているような錯覚に陥る。

ありがちな、といえばありがちなコメディなのだろう。だが二人舞台で観客を飽きさせない作りの作品というのは見かけほど優しくはない。

基本的にこの向坂と椿に与えられている性格は常識と非常識だろう。椿は常識を表し、観客と同じ目線に立つものだ。常識的に考えて向坂の要求は無理難題で「んな、アホな」といいたくなるようなものである。向坂は非常識の象徴である。この関係の面白いところは非常識のほうに絶大な権限が与えられているということだ。生殺与奪の権は向坂が握り、この権にやられたくないと考えるならば、向坂の要求はどんな無茶でも乗り越えていかなくてはならない。現実の社会では常識のほうが生殺与奪の権を握っているものだが、この作品ではそれがあべこべになっている。常識が非常識を乗り越えていく様に面白さがある。

また、この作品には二人の人物が出会うことによる、変化の様が描かれている。それは成長と評してもいいもので、これはどんな作品にも共通して持っていなければならないものだろう。この作品では笑いを否定する向坂の変化がよく書けている作品だろう。倣岸で冷酷な向坂が頭から否定する椿の笑いの虜になっていく様が面白く、それがあるからこそ両者の邂逅が実に印象的で感動するのだ。

最後の椿の笑いに対する考えの独白は三谷幸喜の芸術観が現れているのだろうと思う。また赤紙による大胆な幕切れはあっと言わせるどんでん返しではないか。こんな形で終わるとは僕は思っても見なかった。

実に面白く示唆に富む作品だといえるだろう。劇場で観ればよかったと後悔している次第だ。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 03, 2006

ナチョリブレ

現在静岡市は大道芸ワールドカップ開催中である。多くの人出で賑わっていたが僕はそんなことには背を向けて一人黙々と映画館に。ナチョリブレを観るためである。

こんな日であるにもかかわらず意外とお客さんが入っていた。さすがに満杯というわけにはいかなかったが座席の7割程度は埋まっていたのではないだろうか?

映画の印象は「ああ、もったいない」である。素材はすごくいいのだ。しかしその料理の仕方がなんともまずい。ありていに言えばつまらないのだ。

孤児院を併設した修道院の料理番を勤めるイグナシオはろくな材料も手に入らず粗末な食事を子供達にさせていた。なんとかして良き料理を出したいと思っているのだが肝心のお金がない。イグナシオ自身もへまばかりしているさえない男だ。そんな日常を過ごしていたある日、新しくエンカルナシオンという若く美しい修道女が赴任してくる。イグナイオは勿論一目ぼれ。

ある夜、いつもの通りチップスを貰いに街まで出かけると、猫のような俊敏さを持つ男にチップスを丸ごと奪われてしまう。肩を落として修道院に帰ろうとする道すがらイグナシオは覆面レスラーのラムセスの派手な姿を目撃する。自分との境遇の違いに愕然とするがふと見るとアマチュアの大会のポスターを発見する。これだ!これしかない!!イグナシオは修道院ではプロレスはご法度であることを承知のうえで、この大会に参加することを決意する。

翌朝、イグナシオは猫のような俊敏さを持つ男を冗談みたいな方法で捕獲に成功、いよいよ大会に参加するのであった。

こんな感じで物語りは始まるのだが、エンカルナシオンを演じた女優さんのきれいさばかりが印象的で他のことは全然面白くない。こんなに面白くする要素が満載なのにどうしてこんなにつまんないのか実に不思議だ。

(余談だがこの女優さん、日本の長谷川京子に似てるなと思った。本当に余談だ)

コメディの場合各国で笑いのコードが違うということはあるだろうが、それでもここまでひどいと何だか残念だ。

何といっても良くないのはイグナシオを取り巻く人々の印象が薄すぎる。猫のように俊敏な男スティーブンはリングに上がるとからきしダメというのはいいのだが、あの俊敏さを生かした何らかの活躍をさせてもいいのにと思ってしまう。それに美しいエンカルナシオンとの恋のライバルの修道士のおっさんもライバルになりきれていない。そもそも登場回数が少なすぎる。またラムセスというのも途中のパーティーのシーンでいきなり悪役になり一貫していない。何もかも中途半端で未消化なのだ。

もったいない映画だと思う。よく日本のお笑い芸人がハリウッドより日本の方が笑いのレベルは高いというが、この映画に関して言えばそれは当てはまる。もう少しネタを掘り下げないと。すべての登場人物がステレオタイプ的に見えてしまうのはいただけない。

もったいない、それがこの映画の感想だ。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 29, 2006

父親たちの星条旗

日曜日でもありお客さんが入っているかなと思ったが、実際にはそうでもなかった。見に行った時間帯が11:05からの回からでは仕方ないのかもしれないが、少しさびしいような気がした。

さて内容の方なのだが、硫黄島全体の戦いを描写したものではなかった。戦闘のごく初期部分しか描かれていない。しかも過去と現在が複雑にオーバーラップしていく物語の構成になっているためなかなか物語の筋が掴みにくいものになっているのは確かだ。

物語の焦点は銅像にもなり、今回の映画のポスターにもなった星条旗を立てる兵士の写真が実際はどういう経緯で撮られたか、またあの写真が撮られた後、そこに写っていた兵士がどういう運命にあったのかというところにある。そういう意味ではこの映画はいわゆる戦争映画ではない。どちらかといえば国家と戦争のかかわり方、或いは民衆と国家の共犯的な戦争へのかかわり方を描いていて実に興味深い。現代においても重要な示唆を与えてくれるのは間違いがないだろうと思う。

特に唖然としてしまうのは、何でもない写真が恣意的に使われ、それが事態を大きく動かしてしまう点だろう。実際この写真は本当に何でもない写真で、硫黄島の戦闘全体に勝利した時に撮られたものではなく、硫黄島のごく狭い範囲を占領した時に撮られたものだ。映画の中でも語られたが、この写真に写っている兵士の半分はその後の地獄のような戦闘で命を落としているわけで、真実と大きくかけ離れた一枚の写真に熱狂してしまう人間の愚かしさを正直怖いと思ってしまう。恐らくこのようなことは現在でも日常的に起こっているのだと思う。ただ僕らがそれを知らないだけで。写真やテレビの映像が真実を必ずしも伝えているとは限らないということを僕らは頭では知っていても、それを目にしたときそんなふうに僕らの頭が反応してくれないというのは肝に銘じておくべきことなのだろう。そしてそれがこと戦争において行われたという事実は衝撃的だ。国家の運命のみならず、そこに参加している兵士やその家族も巻き込んで、彼らの日常を大きく変更してしまうというのはあまりにも残酷に過ぎると思う。

地味な感じの映画だが是非観るべき作品だ。アメリカからこのような示唆に富む作品が作られたというのは実に興味深い。今まさに戦争が行われ、日本もまた憲法改正が真剣に論議されているからこそ、戦争とは何か、国家とは何か、国民とは何か、民主主義とは何かということを考えるきっかけになる作品だと思う。こんなに考えさせられる映画はない。今の時代にとても必要な映画だと思う。今日はいい作品をみたと思う。

| | Comments (1) | TrackBack (1)

October 22, 2006

ブラック・ダリア

正直に言えばよくわからない物語であった。

デ・パルマの作品で期待して見に行ったのだが、今ひとつな感じだ。

一つにストーリーが複雑すぎる。事件が起きて、その事件の謎解きは勿論行うのであるが、それと平行して事件解決に向う刑事二人の個人的なストーリーも語られていて実に複雑なのだ。

おそらくこの手の映画は2度3度と見返すべき作品なのだろう。

また原作も読んでみたいと思った。原作の香りも浴びながらこの映画を味わうべきなのだろう。

なかなか難しい映画であった。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 10, 2006

フラ・ガール

傑作と評して良いと思う。それくらい素晴らしい出来だった。特に最後のダンスシーン素晴らしかった、迫力があった、美しかった。これはぜひとも劇場で観るべき作品だと思う。DVDではその面白さ素晴らしさが伝わらないだろうと思う。

廃坑寸前の福島の炭鉱が舞台だ。大規模な人員削減が実施され不安におののく炭鉱町にハワイを作ろうというプロジェクトが持ち上がる。常磐ハワイアンセンターだ。そこの目玉としてフラダンスチームを結成することになる。チームといってもダンサーは全員炭鉱町に住む女の子達でダンス経験はゼロ。そもそも本物のフラダンスを見たこともない子達ばかりなのだ。とりあえず集まったものの、フラダンスの八ミリ映画を観て、露出の多い衣装と艶っぽいダンスにビビリ皆逃げ出してしまう。残ったのは高校には行けず幼い兄弟の面倒を見ていた早苗と早苗に誘われた紀美子、事務をやっていた子持ちの初子、それに盆踊りが得意だというだけで父親に連れてこられた小百合だった。

そこに東京からフラダンスの先生がやってくる。昼間から大酒を食らって、だけど色白で美人で派手な衣装の先生だ。真っ黒くて朴訥な炭鉱町には不釣合いな先生だ。はっきりいって先生はやる気がない。ど素人に教えるなんてそんな気はさらさらないのだ。

生徒達も先生のやる気のなさを見抜いたのか、反抗的だ。だが、あるときその先生のダンスを垣間見て本気で教わりたいと願うようになる。

とまあ、話はこんな具合に進んでいく。

僕はこの映画を観ながら思い出していたのは、リトルダンサーとスウィングガールズだった。

リトルダンサーもあれも閉山間際の炭鉱町が舞台であった。しかも同じダンスを取り扱っていた。製作者達はこの辺は意識していたのではないかと思う。本作の主人公紀美子は父のいない家庭に育っていたが、厳しい母親にフラダンスを習っていることを内緒にしてしまう。後にばれてこっぴどくしかられるのだが、リトルダンサーの場合は父親にしかられる。両主人公はそれでもダンスを続けるのだが、違うところはリトルダンサーの場合は「男がバレエなんて!」という男らしさ女らしさに立脚した批判であるのに対してフラガールでは女の子が肌の露出が多いのがはしたないという感情があるにはあるが、無慈悲な炭鉱会社の仕打ちに対する怒り、またはハワイアンセンターを作るという会社方針に対する怒りに立脚していることだろう。もちろんフラガールの母親も時代の子であるからダンスやるくらいなら選炭婦をやれというのだが、それはどちらかというと性差を意識した感情というよりも先祖代々炭鉱で働いてきた誇りに根ざした感情から来る発言であったように思う。本作品は時代の波に飲み込まれかかっている人々の伝統に対する誇りの感情と新しい時代に順応しようという若々しい鮮烈な情熱の相克であると僕は思う。

またスウィングガールズとの対比では時代状況の違いというものを感じざるを得なかった。スウィングガールズはくしくも同じ東北が舞台になっていて、登場人物たちがまったく新しいことをしようとする女の子たちの物語であった。しかもちゃんと彼女達を教え導く先生がいるというところまで同じである。もっともスウィングガールズでの先生はあまり頼りになりそうもない先生だったが・・・・・。スウィングガールズに出てくる女の子達はやる気がなくて、空虚で何か夢中になれるものがなく、たまたまジャズに出会ってしまったという感じの極めて現代的な女の子達だ。たくさんの選択肢があるなかでジャズを選び夢中になっていくその様は自分探しの旅といえるだろう。最後のジャズの演奏シーンはそうした自分探しの旅の果てに現れる自己実現の表現であったと僕は思う。しかしフラガールに現れた女の子達はスウィングガールズに現れた女の子達と似ているようで実は全然違う。彼女達はたくさんの選択肢などなくダンスしかなかった。早苗のセリフに「今の状況から抜け出したい」といって紀美子を誘うのだがこのセリフに端的に現れているように選択肢などないのだ。自分探しなど贅沢な悩みであるのだ。またハワイアンセンターというプロジェクトそのものも街を救うための起死回生の一発逆転を狙ったもので、街を救わねばならないという使命も彼女達は帯びている。時代状況の過酷さのなかでもがいているのだ。炭鉱の落盤事故で小百合の父親が死にその死に目に会えないというシーンが出てくるが、このシーンはただ単に彼女達のプロ意識の高まりという表現にとどまるだけでなく、逃げ道のない状況に対する覚悟のシーンであると思う。それゆえに映画から受ける感動の質が全然違う。最後のダンスシーンはより過酷な状況に置かれた者の努力の果ての成功と受け取ることができるのだ。もちろん自分探しや自己実現などもあるにはあるだろう。だがそれは結果的についてきた副次的なものでしかなく、時代状況に果敢に挑戦し新しい扉を開いていった者たちの物語だと僕は思う。もしこの作品のことをスウィングガールズと同類と看做す者があるのだとしたならばそんな奴は軽蔑すべきだとさえ僕は思う。

ぜひ観て欲しいと思う映画だ。特にダンスシーンは素晴らしい。絶対に劇場で観るべき作品だと僕は思う。お勧め映画だ。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (3)

October 09, 2006

涙そうそう

なかなかの佳作ではないかと思った。客の入りも上々で日曜日であることを考えてもこの作品に人が集まることに僕は瞠目した。やはり日本映画の調子が上向いているということなのだろう。それとともに妻夫木、長澤という旬なスターを起用しているということが功を奏しているのだと思う。非常に喜ばしいことだといわざるを得ない。

これは兄と妹の物語である。血の繋がらない兄と妹は幼い頃に父が蒸発、母を病気で失うという不幸に見舞われ、離島で暮らしていた。一足先に兄は沖縄本島でひとり立ちし妹が本島の高校に進学するため兄を頼ってくるというところから物語はスタートする。

最初はおままごとのような生活を楽しんでいたが、兄はいつか自分の店を持ちたいという夢を持っていて、一生懸命バイトに明け暮れているが人に騙され借金を背負ってしまう。付き合っていた恋人とも別れてしまう。兄を助けようと妹は兄に内緒でバイトをするが、大学にいって欲しいと願う兄は妹を怒ってしまう。そんな折蒸発していた父親がひょっこり現れる。「今までありがとうな」という無責任な父親の言葉に怒る兄。

やがて二人に別れの時が訪れる。妹が大学進学し、独立したのだ。初めは妹の独立を許さなかったがやがては認める兄。

妹が独立して一人暮らしをはじめてしばらくたち台風がやってくる。妹のアパートが滅茶苦茶になり足がすくんでいるところに兄がやってきて助ける。兄との絆の太さを再確認する妹だったが、雨でびしょ濡れになり病に係りそのまま死んでしまう。

島に戻り兄の葬儀の日、死んだ兄から送られてきたのは成人式の晴れ着だった。

とまあこんな感じの物語ではあります。

まずなんといっても兄がよい。おとぎばなしに出てくるような感じの丸い人柄で、妹を思う掛け値なしの愛情には涙が出てくる。おそらく世のお父さん達はこの兄に自分の姿を重ね合わせるのではないかと思う。

そんな兄を慕う妹もまたいい。兄に甘えてばかりではいけないという一心で一人暮らしをはじめるが、やっぱり兄がいないとだめっていう感じがよい。

僕はこの作品は極めて日本人的な映画だと思う。外国人にはこういうのは良くわかんないのではないかと思うのだ。日本人が理想とする家族の風景画ここには描かれていると思う。人によっては善人ばかりでつまんないという人もいるかもしれない。だが多くの人にとっては人を思いやり、いたわりして生きていく姿に素直に感動するのではないかと思う。僕も感動した一人ではある。なかなかの佳作だ。見に行くことをお奨めする映画だ。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (3)

October 02, 2006

薄桜記

この映画を一言で言い表すならば「儚げ」ということだろうか。

市川雷蔵主演、昭和34年公開の映画でDVDで見た。

物語は吉良邸討ち入りに向う堀部安兵衛の回想で始まる。

堀部がまだ中山姓を名乗っていた頃、名高い高田馬場へ向う途中江戸から地方に向う丹下典膳とめぐり合う。典膳は安兵衛にその襷では解けるといけないと助言されるが運悪くその助言を聞き逃し、そのまま決闘上に向ってしまう。典膳もまた胸騒ぎを覚え高田馬場に赴く。そこで見たものは典膳と同じ知心流の同門を倒す安兵衛の姿だった。典膳は幕府のお役目の途上であり、加勢はできぬと思いその場をすみやかに立ち去る。

ところが典膳の高田馬場での態度は同じ門人たちの知る所となり、加勢をしなかったことで同門の人々からの恨みを買ってしまう。典膳は破門されてしまう。

だが、典膳への恨みは破門ごときでは晴れず、夕暮れの橋の上で典膳は門人達に襲われる。切りかかる門人達と戦う典膳。殺しはしなかったが一生残る傷を門人達にのこした。

高田馬場で名を上げた安兵衛には多くの縁談と仕官の話が転がり込んでくる。安兵衛は上杉家の家臣の娘、千春に心を寄せるが、千春はなんと典膳に輿入れをしてしまう。傷心の安兵衛は赤穂藩の堀部家に養子に入ることを決断する。

一方典膳は千春と仲睦まじい家庭を築くが、京都出張のおり家を留守したところに傷を負わされた門人達に丹下家は襲われ、千春は犯されてしまう。

その事実を知った典膳は苦悩する。心無い門人達は千春が不義を働いたと言いふらしていた。このまま千春を離縁すれば千春を追い詰めてしまう。だがこのまま夫婦を続けていては典膳の武士としての名が傷つく。一計を案じた典膳は千春を疵つけぬよう実家に帰すが納得できない実家の兄は典膳の片腕を切り落としてしまう。

隻腕となった典膳は門人達への復讐を誓う。

長々とあらすじを書いてしまった。ま、その後もあるのだがそれは本編のお楽しみってことで。

昭和34年というと勿論僕は生まれてないわけで、どういう時代状況だったかよくわからないが、まだまだ映画が娯楽の王様に君臨している時代だったのではないかと思う。

この作品の冒頭部で安兵衛が高田馬場に走っていくところなどはなんと創意工夫にあふれているかと思う。画面を斜めに切り走る安兵衛と空の情景を上下の位置関係を逆にしてとっているところなどなかなかのものだと思う。CG全盛の時代を知っている者からすれば幼稚と考えられなくもないが、CGがなかったことを考えればすごいことではないかと僕は思う。

またこの映画は美しい日本の風景を残していると思う。今の時代ではなかなか見ることができない風景の連続で、現在の日本の風景のなんと歪なことか。月並みな感想だが、経済発展は日本を豊かにしたが、その過程で本当に多くのものを失ったと思う。残念な気持ちがちょっぴりわいた。

そして雷蔵である。儚げな美しさをもった男がこの世にいるなんて!ほとんど奇跡だと思う。今の時代に何で生きていないのかと思う。ぜひこの映画を見て欲しい。ここには現代日本では想像もつかない男が生きているのだ。ぜひ見て欲しい。

僕はクライマックスが素晴らしかったと思う。決闘で斬られた典膳、胸を鉄砲で撃たれた千春。雪の中を這うようにして典膳の手を握るその姿は愛の理想的な形に思えてならない。この決闘に助太刀に入った安兵衛は皮肉にもじっと二人の姿を見守るのだが、絶命せんとする二人の愛の深さを知り、安兵衛は言葉には表さないが、この二人の間には立ち入れないと悟ったのだと思う。安兵衛が千春に心を寄せていただけにこのシーンはグッと来る。

だが、この映画は現代人、恐らくは現代女性にはほとんど理解されないだろう。古臭いと思うだろうし、下手をしたら怒り出すかもしれない。おそらくその原因は千春の造形に起因するのだと思う。千春はあまりに封建的な世界の女性として描かれている。夫に献身的で耐える女で、男達の意思に自分の運命を翻弄され、あまりにも主体性がないように見えるだろう。確かにそれはその通りで、やはり映画も時代の子だという感想を持たざるを得ない。だが、そんな中でも分かれた夫に捧げる一途な愛は否定されるべきものではなかろう。どんなに時代が変わろうとも、どれほど女性の地位が向上しようとも、この純粋さは輝いていると思うのだがどうだろう。僕はこういった一途な純粋さまで否定するような社会になったら日本も終わりだと思っているのが。

見て損は絶対にない映画だ。是非是非見て欲しいと思う。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 24, 2006

電車男・テレビ版 最後の聖戦

感想は一言。悪乗りのしすぎだろ?

今回は電車男がタヒチに行ったり、ネット企業の悪巧みにはまったりといろいろ忙しいがなんかすべてのネタが安直だったように思えてならない。

根本的にこのドラマ、設定がぶっ飛んでいたとは思うのだが今回はやりすぎだったと思う。

だいたい、ネット企業の社長のキャラがいきなり途中で変わったのはなぜなんだ?登場したときはクールでビジネスのことしか頭にない感じの嫌味な男だったくせに、途中でいきなり裏声使って変態チックになり、最後はお子チャマキャラになっちゃった。こういう激しすぎる変化は視聴者を混乱に陥れると思うのだが。

それからタヒチ。なぜタヒチ?なぜ黒真珠?自信をつけるため?なんのこっちゃ。そんな馬鹿馬鹿しい理由でタヒチにいってはいけない。行かねばならない必然性というのをもう少し丁寧に作りこむべきだろう。これではただの悪乗りだ。

盛りだくさんの内容になってはいたが、印象に残らない作品だと思う。はっきりいって駄作であったと思う。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 03, 2006

パイレーツ オブ カリビアン 呪われた海賊たち

この夏公開された作品の前作だ。DVDで見た。

感想はありていに言えば肩のこらない気楽に楽しめる映画だ。ストーリーについてあれこれ書くようなほどでもない。

ただ、次から次へ起こる見せ場のシーンをよく破綻もなく作ったものだと感心してしまう。娯楽映画としては完璧なのではないかと思う。こういう映画は得てしてストーリーにどこか無理があるときがあるのだ、例えば今年公開されたMI3のように。だがこれにはそういった破綻はまったく見られなかった。そういう点では良く練られた、良質の脚本を用いていると思う。脚本の勝利ですな。

主人公ジャック・スパロウを演じた、ジョニー・デップが素晴らしい。ちょっといかれたようなそれでいて賢そうな、敵か味方かよくわからないようなところのある主人公をきっちりと演じていた。僕は黒澤明監督の用心棒を思い出しながら見ていた。

ジョニー・デップはさすがだと思った。去年公開されたチャーリーとチョコレート工場やシザーハンズでもそうだが、ジョニー・デップは癖のある人物をやらすと天下一品である。トム・クルーズあたりにはできない芸当だろう。今のハリウッドには貴重な存在の俳優かもしれない。やっぱりジョニー・デップ、僕は大好きだな~。

ところでやはりDVDで映画を見るもんじゃないと思いました。やはり劇場で見ないこといけないな。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 21, 2006

日本沈没 原作本

映画を見た後勢いで買ってしまった本だ。当然のことながら映画と小説は違う。

まずなんといっても原作本には映画にあったような名シーンがない。例えば映画の中では田所博士が新聞紙をペンでブスブス刺して沈没を食い止める方法を説明するところや、主人公小野田が爆弾を海底に設置するクライマックスのシーンなどがない。そもそも小説には沈没を食い止めようという発想がない。

この小説は日本沈没という未曾有の国難に際して、人々の身の処し方といったことを描くことに尽きると思う。

小説は様々なことを描いている。沈没のメカニズムや地震が起きた時の情景、度々現れる日本人論、宰相の資質、国際政治の舞台裏、軍事経済のバランス、非常に多岐にわたることを描いている。それは国家が喪失するということはただ領有する国土を失うのではないということを示唆するものなのだろう。

僕の率直な個人的な感想としては何度も読み返したいタイプの作品ではないなということだ。まずもって沈没のメカニズムが非常に丹念に書かれていたが、チンプンカンプンだった。はっきりいって途中で読むのをやめようかと思ったくらいだ。それから地震のシーンの凄惨さにはげんなりしてしまう。

おかげで日本人論などは秀逸だったとは思うのだが、その頃にはくたびれてしまう。しかも沈没までに時間がかかり、飽きてしまうのだ。はやく沈没すりゃあいいのにと不謹慎にも思ってしまった。

まあ、映画のほうが楽しいかったなと思うのだった。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

スーパーマン リターンズ

アメリカでの人気はどうだか知らないが、ことこの作品に関しては日本ではあまり大きな成功を掴むことができないのではないか?それがこの作品を見た僕の率直な感想である。

日曜の昼からの時間に見たが、はっきりいってお客は大して入っていないように感じた。また、静岡市内では大きな劇場2館を占領しての上映だったが、これは劇場側の期待がだいぶ高いことを見越しての措置なのだろうが、うまくいかないのではないか、そんな気がした。

というのもスーパーマンが公開されると聞いて僕が最初に思ったことは「今さらスーパーマン?」である。かつてはヒットしたかもしれないが、現在では難しいだろう。特に若い世代には訴求力がないように思われる。なんとなれば日本の若い世代は日本のアニメを見て育っているためアメコミの中にヒーローを見つけなくても身の回りにヒーローはいくらでも見つけることができるのだ。オールドファンには申し訳ないがはっきりいって期待値は低かった。記念碑的作品だから見に行ってみるかというのが主たる動機ではないかと思う。

さて内容なのだが、率直にいって最悪だった。何といってもバランスが悪い。この作品の主たるテーマは二つに集約されるだろう。一つは悪党レックスとの戦い、もう一つはヒロイン、ロイスとのロマンスであろう。一応ヒーロー物だから、レックスとの戦いに重点が置かれていそうな感じがするが、決してそうではなくどちらかといえばロイスとの関係に重点が置かれている。おかげでせっかくケビン・スペイシーという名優を迎えての悪役との戦いが非常に希薄になり、つまらない仕上がりになってしまった。こんなことならラブロマンスでも作ればいいのにと思ってしまった。ロイスとの関係もデリケートに過ぎた。スーパーマンとの離れている期間に彼女に婚約者ができていて微妙な関係におかれてしまったという設定はわからなくもないが、実際問題としてその心情の描写が丁寧になされているかと言えばそんなことはなく、わかりにくい上に大雑把だった。こういう微妙な関係は大作りな大作映画には向かないのかもしれない。

この作品の一番のネックは悪党レックスがやろうとしていることがいまいちよくわからないということではなかろうか?新しい大陸を作りアメリカ大陸を沈め、何十万という人が死ぬという設定は確かにすごそうだが、映画を見ているとちっともすごい悪事を働いているように見えない。おかげでものすごい危機が迫っているという切迫感がなく、どこか滑稽ですらある。ケビン・スペイシーの芝居に迫力があるからこそ画面が持っているようなもので、あれが並みの俳優ならどうしようもなかったろう。

さらに最悪なのは新聞記者としてのロイスの描き方だ。ロイスとクラークは新聞社に勤めているのだが、スーパーマンが帰ってきたという事実に騒いだり、悩んだりしているだけでその裏でうごめくレックスの悪意と関連していない。そのためレックスの話とロイスの話がほとんど交差せず、物語が分断された状態となっている。クライマックスに入る重要な場面でロイスはレックスのアジトをそれと知らずに足を踏み入れるのだが、この場面こそ醜悪だった。そんなやばそうな場所にホイホイ入る奴がいるか?しかも息子を連れて。あざとい上に愚かな行動をキャラクターにさせている。それもこれも二つのテーマをもっと早い段階で交差させていないから、キャラクターにこんな無茶な行動をとらせてしまうのだ。こんな脚本誰が書いたんだ?これで日本の観客をひきつけられると思っているのだとしたならば、日本の観客は随分舐められたものである。

はっきりいって駄作だった。映画開始から一時間で早く終わんないかなと思ってしまうほどに・・・・。今年の夏は見たいと思う映画が少ない。どうにかならんものか?

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 14, 2006

日本沈没

最近人気の日本映画。この夏の日本映画の中ではゲド戦記と双璧をなす人気作であろう。

33年前のベストセラー小説で当時公開された映画も好評だったようだ。33年前というと僕が生まれる前の話なのでもちろん記憶にはないが、日本沈没というタイトルだけはちゃんと知っている。内容はわからないが雷名轟く作品と言えるのだろう。

率直に感想を述べるとするならば、おもしろかった。パニック映画にありがちな「こんなすごい映像撮っちゃいました、さあご覧下さい」的な映像に全面的に依拠した作品でなく、また長大な原作の「映像による総集編」的な原作の消化不良もなく、きちんと人物が描かれた良き作品であった。

またもや僕は原作を読む前に映画を見てしまったのだが、恐らくは相当な部分原作の改作が行われていたのだろうと思う。具体的にどことは原作を読んでいないので指摘はできないが、そう思う。特に映画の開口部分、いきなり沼津の地震からスタートするが恐らく原作はこんなんじゃないだろうと思った。パニック映画の定石とはありふれた日常を見せてその日常が破壊されていく過程を見せていくものだが、この映画はそうはなっていない。いきなりパニックから始まるのだ。この部分を見ても、映画の製作者達がよほど原作を読み込んで、この原作を改作していったということが想像される。

さて、この映画の主要人物の二人だが、実にいい。柴咲コウが演じたハイパーレスキュー隊員はなかなかの造形の仕方だと思う。普通はこういう役は男が演じるのだろうと思うのだが、観客にとっての一般常識をあべこべにしてみせたのはお見事というしかない。だいたい登場シーンがかっこいい。仕事を持つ女性というのは現代のTVドラマや映画にごく普通に出てくるが、たいていの場合スーパーウーマンになってしまう。仕事もバリバリできて恋愛もして、ひょっとしたら部下の面倒見もよくてって感じですごいとは思うけど、こんなのはいねえよなとうそ臭さを感じてしまうのだが、この作品ではそんな感じはなく、素直に感情移入ができた。男っぽさと女らしさが絶妙にバランスを保っているのだろう。技ありの人物の描き方だと思う。

一方くさなぎが演じた潜水艇のパイロットは煮え切らない態度と逡巡し苦悩する姿が良かった。オレ、行くぜ、助けちゃうぜといったイケイケの男だったらこうはうまくいかなかっただろう。柴咲コウが演じるハイパーレスキュー隊員との対照的な性格が印象的で、良かったと思う。特に潜水艇に乗り込むまでの苦悩はそれが命を賭さねばならない過酷な選択であることを強く観客に訴えかけるもので、その姿に涙するものも多いのではないかとおもう。実にいい人物だと思う。

客の入りは上場であった。やはりたくさんの観客と一緒になって一つの映画を見るという行為は家でDVDを見るのとはやっぱり違う。たくさんのお客さんと感動を共有できるという体験はぜひともお金を出してでもすべきことなんだろうと思う。見て損はない映画だ。ぜひ一見することをお奨めする。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 17, 2006

ミッション・インポシッブル Ⅲ

いわずと知れたトム・クルーズの当たり役だ。おそらくこの夏の洋画で一番人気だろう。パイレーツ・オブ・カリビアンはその対抗というところか。

ま、ハリウッドの大作アクション作品であるのでこんなもんだろうという感じだ。様々なスパイの道具が出てきて視覚的にも楽しめる。また、アクションも派手でそれもグッドだろう。

だが、大味であることは間違いない。もう少し人物を掘り下げてもいいのではとも思うのだ。特に主人公の嫁さんへの思い、仲間に対する思いはもう少し掘り下げるべきだったと思う。そうでないと主人公の行動がとても軽くウソに感じられていただけない。アクションも見せねばならないということで難しい要求であることは承知しているがやるべきことはきちんとやるべきと思う。

さて、この作品はアクション映画であることはもちろんであるが、ある一面においてはサスペンス映画であるといえる。どんでん返しが多いのだが、言いたいのは、最後のどんでん返しつまり真犯人が自分の直属の上司であったという顛末にいたる道程が乱暴すぎるという点だろうか。観客に別の人物を示しておいて別の真犯人を提示するというのはよくあることであるが、そこに至るまでに納得のいくエピソードが付け加えられなくてはならない。この作品の場合真犯人の登場があまりに唐突で、それはそれで驚くけれども、その処理方法にがっかりしてしまう。これは恐らく主人公が犯人探しを自分でやっていないからだと思う。最初に間違った人物を犯人だと提示され、信じ込み、事態が進行していくにしたがって様々な矛盾点を見つけ出し、最後に自らの誤謬に気づくという一連の手続きをすっとばしているからだろう。いきなり現れて、いきなり自分が真犯人でしたと、ネタばらしをやるのはフェアではない。こういう手続きをいい加減にすることはサスペンス映画においては最も忌避されることでないか。2時間程度の映画でそれをやるのは酷なことだとは思うがやらなければ作品のクオリティは上がらないのだ。

最後に一言。さすがスパイ映画と思わせたのは誘拐のシーンだろう。そんなにうまくいくもんかいなと思いつつうまく作ってあったように思う。

恋人や友達と連れ立って見に行くにはちょうどいい、肩のこらない映画だなと思う。傑作ではないが十分に楽しめる映画だと思う。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 14, 2006

嫌われ松子の一生

恐らく今年の映画賞を総なめにする作品であろう。今年も邦画は調子がいいみたいだ。

劇場は日曜の午前中ということもあり、若い子が多かったように思われた。しかし他の時間帯ならばどうだったかわからない。おそらく中高年の興味をも引く作品なのではないかと思う。

さて、オープニングからやってくれる。最初の風景のシーンは完全に「風とともに去りぬ」のパロディだろう。また英語のタイトル「MEMORIES OF MATSUKO」が登場するがあれはもしかして「SAYURI」のパロディではあるまいか?そもそもこの作品のタイトル「嫌われ松子の一生」は「無法松の一生」が頭の中にあってつけられたものではないのか?その辺のことを知っている人教えて下さい。

この映画の決定的特長はその色彩感覚にあるだろう。様々な色がまるでごった煮のように画面いっぱいに載せられていて、見る人によっては落ち着かないと評するものであるかもしれない。伝統的な映画の作法からすれば異端といえるのかもしれないがその異端振りが新鮮だと思う。日本人でこのような色彩の構築を行う人がいたとは驚きだ。僕はウォン・カーウェイの初期の頃の作品を思い出してみていたがどうなんだろうか?

内容は男運に恵まれない松子という女性の一代記なのであるが、よくも破綻を見せずに作品を作り上げたものだと感心してしまう。次々に男性が現れるが、映画の構成上短編小説を積み上げるような作り方をしているわけで、新しい男の人が現れるたびに、つまり新しい短編小説に移る度に物語の断絶の危機があるわけで、それをほころびも見せず一気に見せるのは至難の技であったと思う。脚本の力というのを見せられたように思う。

なんといっても松子のキャラだろう。ぶっ飛んでいるというかなんというか。およそ恋愛にまつわる不幸を一身に体現する登場人物なんてなんと珍しいことか。逆光源氏と呼びたくなってしまうのだ(まあ、実際に光GENNJIが出てきたけれども。それは言わないお約束)。松子の愛は全て献身の愛であるが、それは充たされぬ愛への欲求なのだろう。父親の幻影が現れるが、父へ捧げる愛を父ではない男の人に捧げたために起こる悲劇だということができるのだと思う。教え子である龍と付き合うが、この龍との愛がその辺りのことをよく象徴していると思う。龍は年下であり、教え子であり、庇護されるべき人間であると思うのだが、そういう男を愛することは、松子の志向とは著しく違っていると思うのだ。松子が求める愛は本当は庇護される愛であると思う。父親の膝の上で遊んでいる安心感が松子が本質的に求めた愛なのではないかと僕は思うのだ。

さて、松子が悪がきに殴られて殺されてしまうというのは、非常に現代社会を象徴していると思う。あの時松子は教師であった。だからこそ子供を注意してしまったのだ。だが、松子は時代が変化しているということに気づいていなかったのかもしれない。普通の大人ならば、迷惑そうな顔をしてガキどもをよけると思うのだが、それをしなかった松子は時代から取り残されてしまったのだろうと思う。あの場面が物悲しいのはそのためではないかと僕は思っている。

さて、中谷美紀には言及しなければなるまい。実にすごい芝居であった。恐らく彼女の代表作になると思う。まだ見ていないひとは是非見に行って欲しい。絶対に損はしない作品である。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 29, 2006

かもめ食堂

日曜のお昼に見たが、ほとんどが女性であり、男性はほとんどいなかった。なるほど女性に受けそうな物語ではある。しかもかなり満杯状態であった。よくヒットしているらしい。

男の僕としては、この作品をどう評するべきか率直に言って苦慮する作品である。

一言でいえば大人のメルヘンであろうか。理屈じゃない映画だ。

ほんわかした雰囲気と、善人しかでてこない設定と、筋らしい筋がない話法とがよくマッチしているのだろうと思う。

もちろん駄作ではない。かといって傑作だと肩肘張って論ずるような雰囲気の作品でもない。なんとも書きようのない作品だ。恐らく女性のほうがこの作品の魅力を論ずるのに向いている、男ではだめだ。男はどうしても理屈っぽい。なんとも言いようのない作品である。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 28, 2006

ダ・ヴィンチ コード

今年一番の話題作かもしれない。映画公開にあわせて文庫本も快調に売れているらしい。土曜の昼ごろに見たが、客の入りはまずまずであった。

だが、一部では駄作との評があるらしい。僕としては駄作とは思わなかった。恐らくキリスト教圏の人々と日本人の感じ方の違いなのかもしれない。

例によって僕は原作より先に映画を見てしまったが、映画館を出た後、本屋に直行し原作本を買ってきた。日本人にはとっつきにくい題材であることは確かだ。

キリスト教の誕生にまつわるミステリーと解してよいのだろう。だが、テンプル騎士団がどうしたとか、マグダラのマリアがどうしたとか、ストーリーはなんとなく追えるもののなかなかついていきがたい。キリスト教に予備知識がないものには難しいというのが率直な感想だ。

それよりなにより説明セリフがどうしても多くなってしまうのは、致し方ない面があるにせよやはり退屈だ。いや、退屈させないように作っているのだが、そしてそれは非常に上手に作ってるのだがやはり退屈だ。だが説明セリフを飛ばして作るわけにはいかない作品であることは間違いないわけで、そういった面でも難しい作品なんだなと思った。

また、聖杯が何で、誰であるかというこの作品の最大のオチが映画の後半からなんとなく読めてしまうのもこの作品の欠陥であるかもしれない。

全体として説明に忙しく、ミステリとしての醍醐味は少ない作品かもしれない。その辺りが駄作と評されてしまうのだろう。ただ、話題の小説が必ずしも良質な映画作品になるとは限らないわけで、この映画はその典型であるかもしれない。

そうそう、どうでもいいが、ヒロイン役をやったオドレイ・トトゥは恐ろしく足の細い女優さんだった。そしてトム・ハンクスの髪型はまったく似合っていなかった。妙なところに目がいってしまうのも、この作品の力のなさを表しているのかもしれない。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (1)

May 14, 2006

風と共に去りぬ

現在静岡のサールナートホールにて上映中である。こういう機会を逃すと名画をDVD等で見なければならなくなるので、雨なのに見に出かけた。

感想。長い!これに尽きる。1回休憩を挟むが後半はさすがにくたびれた。ただ内容は盛りだくさんで飽きさせない作りになっているのが救いであった。

どうでもいいが、観客は9割方女性であった。男性は数えるほどしかいない。女性はクラーク・ゲーブルに憧れているのだろうか?女性の感想を聞いてみたい気がする。

内容については説明するまでもないだろう。それくらい有名な作品だ。初見の僕でも知っているくらいなのだから。ただ、一男性としていうならば、スカーレットみたいな女性は御免こうむるといいたくなってしまう。じゃじゃ馬みたいな女性ならばかわいいのかもしれないが、スカーレット並みに強い女性だとしっぽ巻いて逃げ出したくなってしまう。はっきり言って憧れないなぁ。

一つだけ思ったのは、日米で理想の女性像というものが違うのだろうと思ったことだ。おそらく日本人の好みとしては、スカーレットの親友であるメラニーのほうが好ましく思うのかもしれない。彼女の役回りは控えめで、おっとりとしていて、誰からも愛され、夫に寄り添うという貞淑な妻といったところだろう。それは「耐える女」に通ずる価値観かもしれない。もっとも現代日本の女性たちがどう思うかは知らないが。

一方アメリカにおける理想の女性像はまさにスカーレットみたいな女なのではないか?自己主張がはっきりし、行動的で野心に溢れている。それでいて一人の男性を思い続ける純真さも持ち合わせていたりもする。ひょっとしたらアメリカの男性はこんな女を乗りこなしてみたいと夢想するのかもしれない。

スカーレットみたいな女性は日本の価値観にはないものだろう。名画といわれているが案外日本人の受けは良くないのではなんて思ってみたりもする。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 07, 2006

キャッチ ア ウェーブ

連休のちょうど真ん中辺り、5月2日に見に行った。

16歳の高校生が書いた原作の映画化ということで話題になっていたが、観客は若い子が大半で僕としては見に行くのを躊躇したほどだ。もっとも座席は3分の1ないしは4分の1程度しか埋まっておらず、あれれ?とおもった。

感想を一言で述べるとしたならば、退屈な映画であった。新鮮味がないとでも言おうか、ヒロインを演じた加藤ローサがかわいいなと思った程度であった。サーフィンというスポーツがそれほど珍しくなくなった昨今、あえてサーフィンでなくてもいいじゃないかなんて思ったりもした。

なんでつまらなかったのか色々考えたがひとつだけ思ったのが、主人公に魅力がないことだろうか。はじけてる感がまったくないのだ。

まずなんといっても主人公がサーフィンをやらなければならない動機が非常に弱い。サーフィンショップにひょんなことから転がり込んでサーフィンを始めるわけだが、サーフィンに強烈な憧れを持っているかといえばそうでもなく、どうしてもサーフィンをやらなければならない状況に追い込まれたのかといえばそうでもなく、サーフィンをやらなければならない強烈な動機に欠ける。パンフにもあるようにウォーターボーイズに影響を受けたようだが、あの作品の主人公はシンクロをやらねばどうしようもならないという完全な巻き込まれ型の主人公であった。だからこそ観客は主人公に声援を送ることができたと思うのだが……。

また、周辺の人物も面白みがなかった。最悪なのは主人公の友人二人である。彼らがなんのためにいるのか考えたほうがいい。映画の中では彼らはほとんど何も有益な役回りを演じてはいない。そこに存在しているだけの意味のほとんど感じられない存在である。強烈な個性を発揮するわけでもなく、ただ騒いでいるだけで、まったく主人公をアシストしていない。

さらにいえばなんで坂口憲二が出てきたのかよくわからない。恐らく兄貴的な存在として登場させたのだろうが、主人公達にほとんどコミットしていない。よくわからない存在だ。

映画を見ていてああ、これはいけないと感じたのが、ヒロインに問われて主人公が夢を語る所だ。なんと主人公は映画を撮りたいというではないか!ならば、サーフィンなんかやってないでさっさと映画撮れと突っ込みたくなる。サーフィンという行為と映画を撮るという夢が乖離しているのは率直にいって好ましいものではない。目的と手段がばらばらになっている印象を与えはしないか。

また夢を語るにはその前提としてその夢に強烈な憧れを持っているという描写が必要だ。この映画でも夢を語る前にホームビデオでヒロインを撮影をするという前フリがあるが、この描写では弱すぎる。単に映像を撮るのがうまいということに終始していては「特技」のレベルに堕してしまうからだ。一つ一つの描写をもう少し大事にしていかないといけない。

随分ちぐはぐな映画であったというのが正直な感想である。カネを返せとまではいわないがもう一度撮り直せとは言いたくなる。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (2)

April 30, 2006

寝ずの番

話題になっていた津川雅彦ことマキノ雅彦の第1回監督作品である。

ゴールデンウィークの初日、しかも昼の2時半からの上映であったにもかかわらず客の入りは決していいとはいえなかった。客層は中年以降の人が大半で僕と同年齢や僕より若い人は皆無であった。

見ていて唖然とした。下ネタのオンパレードなのだ。特にラストの歌合戦などは最悪であった。ほとんど悪ふざけにしか見えなかった。ああいうことを映画にしてはいけないと強く感じた。

映画の冒頭は「そそ」と「そと」を聞き間違えるというネタなのだがここでの観客の受けは良かった。よく笑い声が聞こえていたし、皆楽しそうであった。ところが映画が進むにつれ下ネタばかりが目に付くようになると、観客から笑い声が消えた。もう、見事に消えた。完全にお客は引いてるなとわかってしまった。

萩本欽一、あの欽ちゃん球団の欽ちゃんは下ネタを決してやらないという。お弟子さんたちが下ネタをやるとすごく怒ると聞いている。それは何も欽ちゃんが倫理的だとか、フェミニストだとかではなく、下ネタをやると一回目はお客は笑ってくれるが2回目、3回目になるとお客は笑ってくれないからだという。今回の映画は図らずも欽ちゃんの下ネタに対する評価そのままにお客が反応していた。こういうことを映画の製作現場の人々は知らないわけではなかろうに。こんな作品は作るべきではなかったと思う。

恐らくは落語の艶笑話を狙って作ったのだろうが、狙いは外れているといわざるを得ない。

また、この作品の特徴は3つの小話からなっているということだろう。師匠の死とお通夜、一番弟子の死とお通夜、おかみさんの死とお通夜。この構造は果たして成功なのだろうか、失敗なのだろうか。

少なくともこういう構造にしたことはテンポがよくなるとは言える。だが、人物の掘り下げには向いていないと思う。師匠という人が中心になって、全ての登場人物が関係付けられているのだから本来なら師匠を深く掘り下げていくべきだっただろう。例えばおかみさんの通夜で師匠の恋のライバル、鉄工所の元社長が出てくるが、この人物が師匠のお通夜で出てきても全く違和感がなく、むしろ人生の不可思議さ、切なさが表に出てきたのではないかと思う。なにせこの社長師匠のファンだったのだから。

おかみさんの死と一番弟子の死はなくても良かったのではないか。師匠を深く掘り下げ、師匠を反射板にして、弟子を初めとする回りの人物の人生を照射すべきでなかったのではないかと思う。物語の分断は最も避けるべきことだと思うのだが。

ごく平たく言えば、期待はずれの作品であった。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 18, 2006

プロデューサーズ

トニー賞受賞のブロードウェイミュージカルの映画版。昨今のハリウッドではミュージカルがはやっているのだろうか?この手の作品が増えてきたなぁと思う。

月曜の昼間だっただけに客の入りは少なく、大劇場でこの人数はさびしいなと思えるほどの人数だった。まあ、時間帯が悪かったのだろう。

さて、内容のほうであるが・・・・・・。楽しいことは楽しいのだが、全く印象に残らないという僕にとっては奇妙な印象のある作品であった。

それぞれのキャラクターは皆奇妙奇天烈で、いっちゃってる人たちばかりなのだが、劇場を出るとな~んにも残らない感じだ。全員が全員強烈なキャラというのは、かえって全員が沈没するという一つの典型だろうか。

ストーリーも面白いことは面白いのだが、だからといっていまここで僕が何かを力説するというようなものでもない。本当にこんなのがトニー賞を受賞したのか?

明るく能天気な作品ではあり、音楽もダンスも楽しいものだが、繰り返し見たいと思わせるような作品ではない。

もしこの作品で一つ光るところを上げよといわれたら、冒頭の場面、主人公の二人が出会うシーンだろうか。人物の出し入れ、主人公達の置かれた立場や、各人の性格付けなどオフィスの一室での出来事に見事に集約し、こうやって人物を描いていけばいいのかと大いに勉強になる。この部分だけがすばらしかったなと妙なことに感心させられる作品である。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 05, 2006

県庁の星

書店でこの作品の原作本を見たとき映画になるんじゃないかと思っていたがやっぱり映画になった。ちなみにまだ原作は読んでいません。

比較的きれいにまとまっていた作品だと思う。わかりやすいストーリー、わかりやすい映像、わかりやすい人物の設定、誰でも知っているスターの出演、どれをとっても文句のつけようがないのだ。しかしどうもいただけない。なんとなく不完全燃焼のような気持ちがしてしまう。面白いことは面白いのだが、だからといって夢中になれるかといったらそうでもない。月並みな感じがしてしまうのだ。

なぜだろう?

ストーリーは県庁のエリート官吏が民間との交流でさびれたスーパーにやってくる。官吏は民間の智慧を勉強するといっておきながら、決して官僚的な仕事の進め方を捨てようとはしない。民間のスーパーもどうせそんなこったろうと思って官吏とは距離を置いている。だが双方は問題を抱えている。スーパーは在庫の山を抱えこれをどう扱っていいかわからない。消防署からの査察で不備を指摘され営業停止寸前まで追い込まれる。官吏は自分が立案した巨大プロジェクトが無事進められるか心配でならない。物語は双方の智慧を生かしながら問題解決に立ち向かっていく。

スーパーエーリートがあるいは貴種が何かの事情で流離して場末の寂れた場所にやってくる。そこで昔のやり方が忘れられず、その場末で地元の人々と摩擦を起こしていく。だが、何らかのきっかけでやがて双方がお互いを理解しあうようになり双方に立ちはだかる壁を乗り越えていく。

こういった作品は大体こんな感じで話が進むわけで、この作品も見事にそれを踏襲している。この手の物語は無数にあり、これからも無数に作られていくのだろう。

僕がこの作品を不満に思うのは定型にきっちりはまりすぎていることではないかと思う。目新しさがどこにもなく既視感があるということだ。オーソドックスな作品は見ていて安心感があるが、だからといってそれに安住してはいけない。何らかの工夫は常に必要であると思う。

工夫といえばスーパーという場所にも言える。実は僕らはスーパーにはよく行く。もちろん客としていくのだが、自分の周りの人でスーパーでバイトしていたなんて人は多いだろう。学校を舞台にしたものもそうだが、皆知っている場所を舞台とするのはなかなか難しいものなのだ。下手な嘘はつけないし、だからといってそれを忠実に再現しても仕方がない。なかなか難しい場所を選んだと思う。

また官吏が心を開くきっかけは官吏の挫折であるが、その挫折は二つのことから成り立っている。一つは官吏がプロジェクトから外されたこと、それに伴い恋人から別れを告げられたこと。もう一つはスーパーで自分が企画した弁当がさっぱり売れなかったことだ。基本的にこの作品は二つの場所、県庁とスーパーで物語が進められている。よくあることだがこういった形は物語が分散しやすい。三谷幸喜を見ていればわかるだろう。三谷作品は基本的に場所を変えることがなく一つの場所で物語を進めていく。こうすることによって物語の分散が防げるのだ。この作品ではその手は使っていない。はっきりと二つの場面を振り分けている。だからといって官吏が心を開くきっかけを二つの場所にまたがって作っていいわけがない。物語の密度が下がってしまってはいけないのだ。

しかしこの作品は及第点を与えてもいいのではないだろうか?そこそこ面白いし。だからといって今年のベストテンにはとてもじゃないが入らないとは思うが。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 20, 2006

PROMISE

月曜日でしかも雨降り。寒くて映画館に行くのが億劫なくらいだがせっかくの休みをもったいないと思い直し、出かけてきた。

客の入りは散々で、広い劇場に20人程度だった。客層なんていってもこれでは判断のしようがない。もっとも平日だから中年層が断然多かったように思うが。

「さらば我が愛/覇王別姫」で巨匠になってしまったチェン・カイコー作品であるが、今ひとつな感じがした。

そりゃあね、衣装は美しかったよ。画面も迫力があった。アクションだって派手でかっこよかったかもしれない。何より出演した俳優の熱意は素晴らしかったと思う。ただ、ストーリーテラーとしての能力がどうなんだろう?

一人の貧しい少女が満神という神様に出会って、「世の中の全ての男から望まれる姫にしてあげましょう。そのかわりあなたは一生本当の愛を得ることができない」と約束するところから物語りは始まるのだが、この物語の始まりは実にワクワクさせられる。この少女のその後の人生がどうなるか、俄然興味が出てくるが、その後がいただけない。物語の冒頭で少女に興味を持たせたくせに、その後の物語は少女の物語ではないのだ。

その後の少女は傾城という美姫になるのだが事実上物語りは光明という戦に強い大将軍を中心に物語が進められていく。ではこの物語は光明と傾城の悲恋の物語なのかといえばその通りではあるけれども、その通りではないとも言える。なにせおいしいところは全部光明の奴隷が持っていってしまうのだ。

要するに人物の配置がイマイチな映画なのだ。本来主人公になるべき人がならず、登場人物の主従が間違っている。多くの登場人物の背景を描こうとして余計なところに力が入りすぎ観客に主従の混乱を招かせている。これでは観客は物語に入り込めない。

僕はこの映画を傾城に絞って物語を構築すべきではなかったかと思う。そうすれば余計な物語がすっきり整理されて面白くなっただろうに。冒頭部の出来がよかっただけに、惜しまれる結果となった作品である。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 14, 2006

フライト・プラン

ジョディ・フォスター主演の映画である。前評判のほうはどうだったのだろうか?客の入りはまずまずであった。

なんといってもこの映画はアイディアが秀逸だ。密室である旅客機の中で我が子が誘拐される。どこにも隠れるところがないのに娘はちっとも見つからない。まわりの乗客たちに聞いても皆知らないといい、主人公は自分の記憶のほうが間違っているのではないかとあべこべに思ってしまう。しかし主人公は娘がいたことの痕跡を発見して、俄然見つけ出そうと努力する。

ハリウッドらしい娯楽作ではないか。そう思うのだが、しかしアイディアの秀逸さが生かしきれていないように思った。

主人公はこの旅客機の設計者であり、誰よりもこの機について詳しい。娘の痕跡を発見した後、俄然見つける気になって、技術屋らしい方法で追跡者を巻くのだが、この辺は見ていて面白かった。普段は絶対に見ることができない航空機の内部を見せてくれるし、ヒーローの面目躍如だ。自らの持つ知識で奇想天外な方法で危機を脱するのは見ていて胸のすく思いがする。

しかし、物語は後半尻すぼみになる。機体が着陸してしまうのだ。前半の面白さは上空にあってどこにも出られない密室劇にあったのだと思うのだが、着陸してしまうと密室でもなんでもなくなる。おかげで緊迫感は半減し、面白みのない作品になってしまうのだ。

ハリソンフォードにエアフォースワンという作品があったが、あれはほとんど上空の話であった。上空にあるというのが緊迫感を生む、絶好の調味料になっていたのだが、この作品ではそれがどこかに消し飛んでしまっている。

思うに、この作品の製作者は航空機の先端部分は少々の爆発にも耐えられるというようなことを知っていて、どうしてもそれを入れてみたくなったのではないかと思う。だがそれは余計な知識のひけらかしではないかと思う。緊迫感を半減させてまで入れるべきではなかったと思うのだ。物語の全てを上空で行うべきであったと思う。

アイディアが秀逸であったのに実に惜しい作品にしてしまったと思う。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

博士の愛した数式

話題の小説の映画化ということで期待を込めて見に行った映画である。客の入りはまあまあというところか。想像していたほど多くはなく小説ほどには期待感のない映画なのかななどと思ったりもした。

見た感想は可もなく不可もなくというところか?凡庸とまでは言わないが、さりとてきらりと光る個性もなかった。

この映画の時間経過の表現の仕方がなんとも古臭いなんて、どうでもいい事を思ってしまった。時間経過を表現するため、風景とか草花を写すというのはよくある手だが、この作品はそれがずいぶんたくさん使われていてうんざりだった。あんなにたくさん風景のショットを入れるくらいなら、きちんと話を切り回して欲しかったと思う。脚本の技術に難点があるかも。

小説とは違いこの作品ではルートが狂言回しの役を背負う。数学の先生になったルートが教壇で生徒に博士の思い出話を話しながら、数学の講義を行うというものだ。やはり小説をそのまま映画にするには難しい点があったということなのだろう。

一つ苦言を呈するとすれば野球の取扱いだろう。小説では博士が野球場にいくという緊張感が、外界との関係を遮断して生きてきた博士の境遇を知らしめる効果があった。またそれゆえに阪神の試合を見に行って熱を出すという因果もきちんと描かれていたが、映画では野球場に行くという緊張感もなく、なぜ博士が熱を出したのかという因果が示されていない。観客はなんで博士に熱が出たのかイマイチわからなかったのではないか?こういう雑な仕事はしてはいけないと思う。

全体的にみて、あまり個性的な作品ではなかったと思う。これといった面白みにも欠けると思う。もっと冒険してもいいのではないかと思った次第だ。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 13, 2006

単騎千里を走る

約3週間も我がブログを放っておいてしまった。久しぶりにパソコンの前に向う。

さてこの長い期間に見た映画の感想を記録しておこう。今回は「単騎千里を走る」である。

日本国最後の銀幕のスター高倉健の主演映画である。日本映画華やかなりし頃を知る映画スターであることは今さら言うまでもないだろう。そして、今でも多くの映画ファンが無条件で愛している稀有なスターでもある。

その高倉健もかなりの高齢となった。新作がいつまで見られるかわからない。見られるうちに見ておかなくてはいけないスターだろう。

見たのは先週の日曜日であったが、驚くほど観客が少なかった。固定客である中年の人々が中心であったとはいえ、ここまで少ないかと驚いた。だがそんな中でも若い観客もちらほら見られた。ちなみに僕が見た座席のすぐ後ろは若いカップルであった。健さんの神通力は今でも健在なのかと思った。

内容だが、実に淡々としていた。これといって大きな山場があるのではなく、また登場人物も特に個性的というわけでもなく、いまどき珍しいくらいの淡々とした映画であった。これでは若い観客をたくさん呼ぶのは難しいといわざるをえない。

仲たがいしている父と息子、息子の不治の病に犯されることにより、父は息子のために息子の研究テーマである中国仮面劇の「単騎千里を走る」を撮影しに行く。

この映画で面白いのは父と息子の仲たがいの原因が全く示されていないというところにある。仲たがいという現実のみが示されていてその現実が前提となって物語が進められていいくのだ。当たり前のことだが普通はこういうことはしない。というのもこういう手法は観客を混乱におとしめる効果を持ってしまうからだ。

物語の発端となる原因の提示というのは実は大事なもので、この映画の場合、この親子が仲たがいしている深刻さの度合いというものを計りかねてしまう。見舞いに来た父親を息子が拒絶することでその代用としているが、しかしこれはなかなか伝わりにくいのではなかろうか?父は中国に旅立つが、父の行動の源泉は息子との仲たがいにあるのに、深刻さを計りかねるので、父が息子と仲直りしたいという強い希求になんら説得力を与えることができていない。

僕は映画を見ながら志賀直哉の「和解」を思い出していた。この小説は息子のほうの話であったが、この作品もまた、仲たがいの原因をほとんど描写していなかった。それがゆえに僕は腑に落ちない、感想を抱いたものだ。

まさか中国人であるこの監督が和解を読んでいたとは思えず、偶然の一致なのであろうが真に面白い一致と思った次第である。

さてこの映画の特徴的なことは、日本が舞台の時は日本人監督に撮影を任せていたことである。おかげで画面の質がまるで違い、統一美を失っている。作風の違う監督をよくもつかったものだと思う。

最後に中国人にとっては高倉健は間違いなく、外国人であり、そんな人を主役に据えて映画を撮るのは中国人には大変であったのではないかと思う。その冒険心は褒めてやらねばならないと思う。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 17, 2006

西遊記その2

2回目の放送であった。何だか今期はこのドラマを見てしまいそうだ。ついつい心の中で子供の頃見た、夏目雅子の西遊記と比べてしまうのだが・・・・・。勝手に比べられてしまう出演陣には申し訳ないことだと思ってしまう。

今回は僕は途中から見たので、感想も何もないのだが、どうも説教くさくて嫌になる。特に悟空が猪八戒に怒鳴りつけ、叱り飛ばすところなどなんだかなぁ、と思ってしまう。西遊記の実質的な主役は孫悟空であったとしても、旅をするグループ内では三蔵法師が先生で迷える三人の弟子を教え導くという役回りなのだ。三人の弟子は三蔵という先生に教えを受ける生徒であり、成長、要するに変化していくというところに西遊記の感動があると思うのだが、この作品では、悟空が先生役をやってしまっている。乱暴者生徒の役回りと先生役を同時にやるのだからいただけないこと、この上ない。

人物関係の位置づけをもう少し考えたほうがいいように思う。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 15, 2006

THE 有頂天ホテル

公開されたのが昨日であったから、今日はとんでもなく込んでいた。最前列までお客が入っていたのだから驚く。僕自身はあまり人ごみが好きではないが、こんなふうに劇場が満杯になっている姿を見るのは楽しい。またこの映画はまさしく老若男女別なく、見に来ていた。世代を超えて楽しめる映画というのは、映画の理想的な形なのだろう。

しかし豪華な出演陣だ。日本を代表する俳優がこれでもかと言うほどに贅沢に出演している。これだけの俳優を集めることができるのは三谷幸喜くらいなものか。

さて、映画の感想なんだが・・・・・・。確かに面白かった。度々笑わせてくれたし、グランドホテル形式を使って、様々な人間の様々な人生模様を切り取ると言うのは、魅力的だし、何より、この形式の作品の作り方と言うのは物語が散漫になりがちなのに手堅くまとめてあって、三谷幸喜の才能の豊かさを感じさせてくれる。それはそのとおりなのだが、なんだか不満が残る感じでもある。

どうしてこんな風に思うのか自分でも不思議なのだが、ただ僕が思うに、物語の密度が関係しているのかもしれない。通常僕らは主役がいて、脇役がいて、その主役の物語をじっくり腰を落ち着けて見る、と言うことを常にしている。当然スポットライトが当たる人数が限定されているから、物語の密度は濃くなる。しかしこの作品はそういうものではない。この作品のグランドホテルという形式は、いうなれば群像劇の一種であり、しかも通常の群像劇というのは何か一つの組織なり、団体なりにスポットが当たるものであり、その組織や団体は一つの方向を向いているものだ。スポーツ物のチームの構成員(勝利のために困難に立ち向かう)を考えれば考えやすいだろうか?

しかしこの作品の場合は、というよりグランドホテル形式というのは、てんでお互いに関係ない人の人生模様を切り取るため、それぞれの登場人物は一つの方向を向いているわけではない。悪徳政治家と腹話術師では方向性は共有できないのだ。したがって一人の人間の人生をじっくり描くということはできなくなり、一人一人の描写は希釈される。恐らく僕が抱いた不満というのは、希釈された描写からくるじっくり感とかずっしり感とかがないことに起因しているのだと思う。

しかしよく作ったものだ。筆耕係という通常見慣れない職種や、ホテル探偵(パンフを読むと実際にこういう人がいるらしい。保安課というらしい)といった実際に足を運んでみなければわからないような職種の人まで描いているのだから、たいしたものだと思う。何よりすごいのは説明セリフが少なかったことだ。この辺りはきちんと評価してあげるべきだと思う。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 10, 2006

西遊記

フジTV、月9の新ドラマ西遊記の一回目を見た。もっとも、冒頭のシーンを見逃してしまったのだが。

今回は牛魔王の話であった。ただ、なんというか・・・・・。たしか牛魔王の話は芭蕉扇が出てくるのではなかったか?今回は出てこなくて、なんだか拍子抜けしてしまった。ドラゴンボールでもこれが出てきたのだから出しときゃいいのにと思ってしまった。

香取慎吾の孫悟空よく似合っていた。衣装と金髪とあいまって実にかっこよかった。いままで、みた孫悟空の中でもっともかっこいいのではないか?

女性が三蔵法師をやるというのは、あの夏目雅子の路線の踏襲なのだろう。僕は小学生の頃再放送の奴を一生懸命見た。あのときの西遊記の影響力はすさまじいのだな改めて思った。結局日本で作られる西遊記は今後もあの路線を踏襲していくのだろう。それがいいことなのかなんなのかよくわからないが、中華圏では恐らく日本のような三蔵の作り方は考えられないわけで、そういう意味では、日本製西遊記を海外に持っていったときのインパクトの強さは、強烈なのだろうと思う。

多分、今後もこのドラマ見ちゃうんだろうな。もし見たらレポート書きます。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 01, 2006

キング・コング

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、新年1発目から映画の話題である。今年もバリバリ見ていくぞ!

今年の正月映画は低調だなと思う。見たいと思う作品がラインナップされていない。正月過ぎてからのほうが、三谷作品や高倉健さんの作品が待機していて、そっちのほうが面白いような気がする。

それはさておき、キングコングである。たいして期待してもなかったが、やっぱりねという感じであった。確かに映像は迫力があってすごかったが、もはや僕らの目には見慣れてしまったというべきものだろう。あまり感動はしなかった。これが10年前だったら喝采を浴びていたろうに。ちょうどジュラシックパークのように。

ストーリーのほうも何だか味気ない気がした。未知の島に住まうキングコングとの出会いなのだがこれも何だか既視感が邪魔をして面白みがない。また美女とキングコングが心を通わすのだがこの手の話もずいぶんいろいろなところで見てきたような気がする。

物語のラストキングコングが死んでビルから落ち、興行主が「美女が野獣を殺した」というセリフがあるのだが、思うにこれが全く生きていない。このセリフには色々な隠喩が隠されているのだろうが、それが指し示すものが全くわからない。私見だがこの映画におけるこのセリフの位置づけとは次のようなものではなかったかと思うのだ。

この作品における美女とは人間を意味するだろう。ここでいう人間とは洗練された文明を持ち、人間が自然を征服するという従来の価値観を代表するものだ。作品中船のクルーが島の原住民を無慈悲に殺していく場面があるが、銃という文明の利器で原住民を制していくのは象徴的である。また、映画クルーが原住民の子供をチョコレートで釣ろうとするのもそのあたりの人間の傲慢さを反映しているように思う。それに対して、キングコングは荒ぶる自然を象徴しているのだろう。美女を助けるため船員と映画クルーは島の奥に足を踏み入れ多くの犠牲者を出して苦労するのだが、そこでは文明はろくに役に立っていない。美女はキングコングの手の中で守られ数々の危機を乗り越えるのだが、美女はその危機に対してなんら主体的に行動することはない。むしろすべてキングコングの手の中で守られ放しなのである。人間が自然を完全制覇するのは無理だというのが、この映画の最初の論点なのである。

そんな人間とキングコングが、つまり文明と荒ぶる自然が心を通わすというのは一種の理想的なユートピアであろう。だがそのユートピアはもろく崩れていく。

キングコングはアメリカにつれてこられここで大暴れをしてしまう。命さえ落とすのだが、キングコングが荒ぶる自然を象徴するならば、アメリカにつれてこられたキングコングは自然世界から切り離された存在と定義できると思う。自然世界から切り離されたキングコングは自然の中にいたのと同じように美女を手の中に守ったまま大暴れする。だがその意味は前の意味とは違う。文明は美女を救うため、町を守るため全力でキングコングを倒しにかかるのだ。キングコングは文明にとって許されざる異邦人という定義づけをされてしまうのだ。そこでは文明の論理が幅を利かせ、自然の論理は生きる術がない。ましてや心を通わすというユートピアなどかけらも存在しない。人間が自然を制するのは善とされてしまうのだ。

「美女が野獣を殺した」とは文明と自然の相克を象徴的に表しているのだと思う。今ハリウッドでこの映画が製作されたのはアメリカにおける文明の定義づけが変わりつつあるのかもしれないと予感させる。ただ、それはそれほど自覚的でもなく、劇的に変わるということもないのであろう。過渡期の中で作られた映画といえるのかもしれない。

美女を演じたナオミ・ワッツは美しい人であった。清楚な美しさがあり、過剰なエロチックさを感じさせない。本当に美しい人である。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 31, 2005

2005年映画・書籍ランキング

2005年も今日で最後である。ちょうどいい機会だから今年目にした映画、および書籍のランキングなどを書いてみたいと思う。あくまで僕が見たものの範囲で選ぶので、何であれが入ってないの?とかランキングから洩れてる!とかいろいろおっしゃりたい方はいるであろうがあくまでも僕の独断と偏見で選んでいるので許して欲しい。ベスト5位までを選んだのでこの正月DVDでも見ようかな、本でも読もうかなという人は一つの参考にしてみてはいかがでしょうか。

ところで今回の記事でちょうど100本目となる。3月31日にこのブログを始めてよく途切れなかったものだと自分でも感心してしまう。今まで12086人の方が読んでくださった。ありがとうございました。

書籍

1位 博士の愛した数式 小川洋子

2位 雨恋 松尾由美

3位 バッテリー あさのあつこ

4位 ミカドの肖像 猪瀬直樹

5位 龍樹 空の論理と菩薩の道 瓜生津隆真

今年は上下巻本も含めれば22冊読みました。決して多いわけではない中から以上の5冊を選んだ。僕は買ってきた本は2回読むことにしているので、冊数はあまり多いほうではない。

1位の博士の愛した数式は文句なく完成度が高い。何度読んでも泣けるだろう。多くの人に勧めたい本だ。

2位の雨恋はミステリーとしての完成度は高いほうではないのかもしれないが、幻想的な美しさを備えた作品である。いつか映像作品になるのではないかと思っているのだがどうだろう?

3位のバッテリーは少年の成長過程を通して友情や家族の関係、悩み、孤独感が描かれている。大人になっても心が熱くなる作品である。

4位はタイムリーな話題の時に出されたものだ。しかし近代天皇制の本質に迫ろうとしている作品であり、衝撃的事実に何度も直面する本である。ぜひ読んでいただきたい。5位は仏教を完成の域にまで高めた僧侶の理論と生涯である。難解な論理ではあるのだが、絶対に征服してやろうと思わせるものである。

映画

今年は30本の映画を見た。実際の配収はどうだか知らないが、質としては珍しく洋画のほうが低調で邦画のほうが高かった。話題作も多く、スターウォーズ、NANA、電車男、宇宙戦争、亡国のイージスなどがあった。ハリウッドが何を題材としていいのかわからないという、悩みがよく現れた一年ではなかっただろうか?なんにせよ日本の映画ファンには邦画の勢いを取り戻したという事実は実りの多い一年であったには違いない。

洋画

1位 チャーリーとチョコレート工場

2位 コープス・ブライド

3位 オペラ座の怪人

4位 大いなる休暇

5位 宇宙戦争

選ぶのに苦労した全体的にレベルが低い。5位の宇宙戦争など入れるべきではないと思うのだが、他に選びようがなかったので選んでしまった。

1位、2位はティム・バートン&ジョニー・デップ作品である。1年の間にこのコンビの作品が2本も見られるのは幸せなことだ。僕は今年の主演賞はジョニー・デップにあげたいのだが。ちなみに助演賞にはチョコレート工場に出てきた、インド人のちっちゃいおっさんにあげたい。

3位は豪華絢爛さが売りの作品。チャーンチャラチャラチャーンが耳から離れない。

4位は有名スターがまったく出ていないにもかかわらず実に味わい深い作品である。カナダのフランス語圏の映画だ。ぜひぜひ見ていただきたい作品である。

邦画

1位 電車男

2位 ALWAYS 3丁目の夕日

3位 男たちの大和

4位 いらっしゃいませ患者さま

5位 妖怪大戦争

逆に邦画は選ぶのに苦労した。ここには出ていない阿修羅城の瞳、タッチ、春の雪、NANA、鳶がクルリとなどはぜひとも入れたかった。

1位は秋葉原のキスシーンが美しかった。そして日本中の男がエルメスに理想の女性像を見たのではあるまいか?また、ネットという文字で表現される空間を映像にしたという表現形式の苦労も評価すべきであると思う。

2位は一位と甲乙付けがたい。本当に良い出来で脱帽した。笑いと感動が合わさり、他のお客さんと味わったあの幸福な時間を僕は忘れまい。ロクちゃんをやった堀北真希に新人賞である。

3位は現在公開中の映画。自分が日本人であることを再認識させてくれる作品。東映らしいスケールの大きな作品であるともいえる。中村獅童の怪演に主演賞をあげたい。反町も良かった。

4位はアイディアの面白さを買った。もう少し遊んでもいいような気もしたが、それでも面白い作品であることに間違いはない。

5位は子供が見る作品であるにもかかわらず、ちっとも子供におもねらない作風が良かった。また役者の個性がこれほど光る作品もなかった。トヨエツ、ナイナイの岡村さん、栗山千明どれも素晴らしかったが、なんといっても菅原文太。あれほど生き生きして「小豆は体にええどぉー」と叫んでいる姿に驚いてしまった。主演の神木君も将来の豊かさを感じさせ、楽しみな存在である。

来年もたくさん本と映画に触れたいですな。やっぱりこういうものに触れるのはいいもんです。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

男たちの大和

日本人なら誰もが知っている戦艦の名前。アニメになって宇宙にも行ったっけ。当然ストーリーもよく知られており、今さらどうこう言うことない作品だ。言ってみれば定番の作品だと言える。

のっけから涙腺が止まらなかった。仲代達也が鈴木京香の訴えを聞いて船を出すべきか逡巡するところからもうダメだった。やはり僕は日本人なのだと痛感した次第。戦闘シーンなど見ていられない。悲しくて切なくて、日本人がこの戦艦の物語を得たことはその倫理観、道徳観、思想の形成に大きな意味があるのではないかと思う。

あの悲惨な戦闘シーンに一種の神々しさを見つけてしまうのいけないことだろうか?必死になって戦い、次々に戦死者を出してもその屍を踏み越えて機銃にすがりつく戦闘員の姿を愚か者と断ずることのできるものがいるだろうか?極限の、絶望的な状況の中で国を思い、故郷を思い、家族を思い、恋人を思い一機でも敵戦闘機を打ち落とそうとするその志をバカな戦争をしたと言って断罪することができようか?

物語のラストは日教組が喜びそうな結論で締めくくられていた。「とにもかくにも戦争は良くない。」だが、その結論は大和の物語とは相容れないものではなかろうか?かつてほどではないが、この国は自己否定の重い病にかかっている。日本人であることを否定するような奇怪な病が流行し、定着し、しかも正しい信仰であるかのように受け継がれようとしている。だが、大和の特攻は僕たち子孫に自己否定をするための材料を与えるために行われたのだろうか?

大和を含めた先の大戦の日本人の必死の抵抗は、自立して生きていくというテーマに集約されるように思う。自立を脅かされるということはそれまで日本人がつむいできた歴史、伝統、文化、習慣を脅かされるということにほかならない。そしてそれらは日本人が日本人らしく生きていく上で必要な要素であり、その要素を破壊されてはもはやそれは日本人とは呼べないのだ。そしてその必要な要素が国家というシステムによって守られている以上、国家の独立が脅かされている時は、日本人が日本人であるために日本人は戦うのだ。

戦後の自己否定の風潮は日本人を解体する作用しかなかった。そしてその風潮はある程度まで成功したが、しかし完了はしなかった。

戦後の自己否定の風潮は極めて単純な問いから導かれた解ではなかったかと僕は思っている。それは「どうして我々は負けたのか」という問いであったと思う。そして極めて単純な問いは極めて単純な解を導き出したのだと思う。「日本人だから負けたのだ」と。いわゆる進歩的知識人たちはその解を左巻きの思想によって脚色していった。それは複雑で玄妙で、魅惑的でさえあったのだろう。だが進歩的知識人たちは間違っている。進歩的知識人たちも日本人である以上、日本人が日本人らしくあるための要素から逃れることはできない。したがってその解はその問いに負けている。なぜならばその解は日本人的要素を多分に含み逃れることができないからだ。完全に日本人を解体された進歩的知識人ならばその解に説得力ある脚色をつけることができるのだろうが、そんなことができる者は日本にいるわけもない。

最近になって朝日新聞や日教組に代表される左巻きの思想は急速に衰えている。それは昨今の極東アジア情勢に刺激を受けたものであるといえるだろうが、同時に日本人の解体に成功しなかったという事情も加味されるのではないかと思う。我々はようやく左巻きの時代から脱却し、「どうして我々は負けたのか」という問いの真実の解を求めることができる時代が来たのではないかと思う。よく日本はあの戦争に向き合っていないというふうに言われるが、ようやく我々は我々自身の手であの戦争に向き合わねばならない時代になったということだ。恐らくその解は厳しい現実を突きつけることになるのだろうが、その現実から目をそむけてはいけないのだと思う。それが雄雄しく散った英霊たちの子孫の責任だと思うのだ。

ところで、今回の主人公中村獅童は怪物的な演技であった。歴史に残る名演技であったと思う。素晴らしかった。また反町隆史は僕は今まで全く評価していなかった。GTOの時代からこいつは大根だと思っていたが久しぶりに見て、認識を新たにした。彼もまた新兵の兄貴的存在として確かな演技を披露していた。素晴らしかった。

人気blogランキングへ

| | Comments (0) | TrackBack (2)

December 11, 2005

SAYURI

話題の昭和初期を描いたハリウッド映画である。少なくとも、欧米人による無責任な東洋への幻想が描かれていなかった。時代考証もしっかりしていた。かなり研究してこの映画を作ったのではないかと思う。それはやっぱりすごいことだとおもうのだ。評価すべきことなのだろう。

全体的に画面が暗かった。ヨーロッパ映画を思わせる暗さであった。曇天と言っていいのだろう。スカッとした明るさが全くなかった。晴れ間は2回。子供の頃会長に出会うシーンとラストシーンの会長と結ばれるシーン。監督さんの狙いがあってこういう色調の画面を作ったのだろうが、はっきり言ってこういう画面をずっと見せられるのはいささかくたびれる。

さてストーリーは無理矢理、置屋につれてこられた女の子が一流の芸者になっていく物語である。作りとしては古典的とも言える作り方をしていて、ライバルの芸者がいて、主人公はライバルと相当水を空けられているが、突然名コーチが現れてあれよあれよという間に追い抜いていく。憧れの男性がいてその人のことをずっと思い続けているが、憧れの男性