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2009/07/08

MW

やれやれと思わぬでもない。玉木宏という人気者を主演に据えてこの出来栄えとはいかがなものかと少々意地悪なことを書いてしまいたくなる。しかも手塚治虫の原作のテイストをぶっ壊してしまっているように思えてならない。お粗末なハリウッド映画と大差ないのだ。

まず冒頭のシーンからいけない。アクションシーンの連続なのだが、そしてそれは非常に力の入ったシーンの連続なのだが既視感に溢れ、あっと驚く要素が皆無だ。華麗な逆転劇もなければ、息をのむようなスリルもない。刑事に追われている主人公結城が無事に逃げおおせるだろうということまで予見されて熱意が完全に空回りだ。

また結城と賀来神父の関係もきちんと描けていないから原作を知らない観客が見たら戸惑うだろうし、原作を知っているものからすれば物足りなく思うだろう。神の僕たる賀来が結城の犯罪を知りつつなぜその片棒を担いでしまうことをするのか。このあたりのことを本当はきっちり描かないと作品の方向性を見失うし、また主人公たる結城の悪魔的な行動と心理が浮き上がってこない。原作では賀来と結城はホモセクシャルな関係で人を平気で殺す結城が例外的に特別視するのが賀来なのだ。賀来は結城の年の離れた幼馴染であり、結城に一種抜きがたい愛情を持っていて、神の御心にそむくような行いをする結城の暴走を何とか止めたいと願って呻吟するという役どころだ。こういった背景があって手塚のMWは描かれているのに、それらをきちんと描かないから、あるいは再定義しないから非常に薄っぺらないアクション映画になってしまっている。パンフレットを見ると結城と賀来の目線でそれを表現しているというが、そんなこと観客に分かるわけがない。エピソードを一つ、それも冒頭に近い部分に入れればこの作品の人物にきっちりと陰影をつけことができただろうに、それを怠るから凡庸な仕上がりになってしまう。おかげでラストシーンがなんのこっちゃわからなくなってしまった。

もう少し人物を整理するべきだったろう。例えば石橋凌演じる刑事は結城を追い、石田ゆり子演じる新聞記者はMWの謎を追うがこれはまとめて一人の人物にしておくべきだったろう。どちらも「追う」ということにかけては変わりがないのだから。またMWに関わった巨悪が少しも巨悪に見えないところがもったいない。

そもそもアクション映画にしようという方向性が間違っている。人物を執拗に追いかける犯罪映画にテイストを絞るべきだった。ちゃんと作ればたいした評価を得られただろうに、商業映画だからといって無用な皮算用をしたのだろうか?もったいないことをしてくれたものだ。

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