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2009/06/01

漢書に学ぶ「正しい戦争」

櫻田淳の著作を読むのは今回で2冊目だ。ずいぶん前に買ったものだが、今までほったらかしにしていた。もちろん興味があって買ったわけで、ほっておく必要などないのだがなかなか忙しく、このほど読了というわけだ。

一読して思ったのは「櫻田の言わんとすることはわからないではないが、これを万人に理解させるのは相当骨の折れる作業に違いない」ということだ。

軍事行動の態様を漢書「魏相丙吉傳」に従い5つに分類し解説しているのだが、本書の肝は恐らく最終章の『「フクロウ派」の信念』だろう。これは国際政治あるいは国際的な安全保障に対する心構えを説いたものだが、作者が提示するフクロウ派という語にこそわかりにくさが見え隠れする。

フクロウ派という語は専門家には既知のことかもしれないが門外漢の自分には初めて聞く概念だった。乱暴な言い方をすればハト派とタカ派の中間といった意味合いになるもののようだが、この中間という概念が実に曖昧だ。皮肉なことに本書に出てくるハト派やタカ派の語彙は実に豊富だがフクロウ派を表わす語彙の少なさは特筆に値する。それだけこの語が新しく、語そのものに歴史の蓄積の少なさが表れている。そもそもフクロウ派の概念をあらわすのにハト派やタカ派の概念を援用しなければならないのだから歴史の浅さは覆うべくもない。

だが、このフクロウ派の考え方そのものは今の日本にとっては非常に大事なことではないかと僕は考える。というのもそれまで支配的だった観念的な平和主義が湾岸戦争を皮切りにした国際情勢にものの見事に対応できず切り崩され、そのあと勃興するかに見えた保守あるいは民族主義的な考え方もその独善的な姿勢によって結局は国際社会のなかで生きていくことは難しそうだということが透けて見えてしまいそうな昨今においては偏りの少ないより現実的な選択を行ううえでは一種の光明を与えてくれそうな印象を少なくとも持たせてはくれる。

だが実際に何かを選択する場合にはこのフクロウ派の考え方は悩ましいものになるしかない。作者も言っていることだがハト派やタカ派の論議は実に明快でわかりやすい。それは議論の本質が自分が信ずる信念に忠実で純粋性をより高める方向に向きやすいためだからだ。極端に走ると作者は言うが、あらゆる事態に観客にしかなれない我々一般人にはこの極端に走るという極めて鮮明な色づけに目が向かいやすくなるのは致し方ないことだろう。翻ってフクロウ派の議論は煮え切らずつまらないものになりやすい。そりゃそうだ中間的なのだから。本書ではフクロウ派は情勢の統御を追求すると書いてはいるが、それは情勢を劇的に変えてくれる特効薬を持ち合わせていないということを初めから織り込まなくてはならず、選択肢として褪せて見えるのは仕方のないことだろう。悪くすれば情勢が膠着状態に陥ったらお手上げになってしまうということも考えられることなのだから。

だがしかし、現実的な選択として第三の道が用意されているのは考えてみれば幸いなことなのだ。選択することの責任の重さや未来への影響を考えたとき、少々つまらなく物足りない選択肢を半ば消極的に取らねばならない場面もあるかもしれないのだから。無難という安心を現実的と言い換えるのに人はさほど躊躇はしまい。

フクロウ派という語にかかわる概念の蓄積が今後進めば考えは少しは変わってくるかもしれない。そんなことを思った次第だ。

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