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2008/12/08

さくらん

映画館で観たいと思って結局見逃してしまった作品だ。DVDでやっと見ることができた。

舞台は江戸時代、吉原である。

まずはそのビジュアルのすごさが目につく。派手で時に禍々しささえ感じさせるその色づかいはすごい。赤が基調となり、なおかつ単純な幾何学模様を多用したセットの造形は従来の時代劇の枠を飛び越えている。

また登場人物たちの言葉遣いも現代的だ。いわゆる時代劇ではない。

さらに言えば主演の土屋アンナもまた普通だったら時代劇に出演できるような女優ではなかろう。確か彼女は外国人とのハーフだったと思うが、その顔立ちから普通だったら時代劇の製作者は躊躇するのではあるまいか?もっともまったく違和感無くてこの女優の力の高さを再確認したものだが。

この映画の特異な点は親が全く描かれないことだろう。女衒に売り飛ばされて吉原まで来る道程は描かれているのに、親との別離は全く出てこないし、大人になってから親を語るシーンもなかったはずだ。唯一あったのは故郷を貧しかったと語ることだけで親の存在がこれほど希薄な映画も珍しい。

原作ではどうなっているのだろう。ひょっとしたら原作でも同じように親の存在は希薄なのだろうか?

これを核家族化した親子の断絶と解釈するのは非常にたやすいことかもしれない。だが内実はもっと根深いのではあるまいか。

あらゆるものから切り離されてしまった個人というものの頼りなさを僕はこの映画から感じる。この主人公の意地っ張りで反抗的な態度とその裏腹とも言うべき弱さや優しさは表裏一体のものだ。人と人とのつながりというものは人をその場に押し込めてしまう恐るべきものだが反面非常に安心できる子宮の中のごとき温さをもあわせもつものだろう。そこから切り離された人間の悲哀というものが垣間見えるように僕には思えてならない。吉原の女たちが身請けをしてもらえる日のことを夢見ている描写がたびたび出てくるが、それは裏返して言えば切り離され吉原という狭い世界で暮らす人間が、切り離されてしまったものを再びつかみ取ろうとする切ないうめき声ではなかったか。

そう言えばこの主人公はそこに勤める若い男とともに吉原を抜ける。この若い男というのは吉原に勤める女から生れそこしか知らない籠の中の鳥の男であった。子のいない女郎屋の主人夫婦の姪っ子と無理やり結婚させられるところであった。この男もまた、親がほとんど描かれない男である。

何だか考えさせられる映画だった。色彩感覚のすごさばかりに目がいくが、内包する主題の重さを考えるときこの映画を傑作と呼んで差支えないのではあるまいか。そんな気がした。

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