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2008/11/26

おくりびと

巷での評判がどんなものなのかはよくわからないが、映画ファンとしては押さえておきたい作品であることは間違いないだろう。なにせモントリオールをとってきた作品なのだから。

この作品はなかなかに難しい問題を含んでいる。それは死への距離の取り方といった問題だろうか。

主人公はもともと東京でオーケストラのチェロ奏者をしていたが、楽団の解散と自分の才能の無さに見切りをつけて生まれ故郷の山形に妻を伴って帰る。たまたま見た求人広告をツアコンの募集と間違えて飛び込んだ先が納棺師の事務所で、仕事内容の詳細を知ると主人公は怖じ気づき逃げ出したくなるが、目の前の高給に目がくらんでしぶしぶとその仕事を始める。

といったのが大体のこの物語の設定だろうか。

死への距離の取り方の難しさは主人公と妻との関係に端的に現れる。主人公は自分が納棺師になったということを一切妻に打ち明けられないのだ。冠婚葬祭の仕事と曖昧に答えて勘違いされたまま時を過ごす。

この打ち明けられないことの背景は死をどうとらえるかを抜きにしては語れないのだろう。死者に対する尊厳をどの人も持っているのだろうが、いざ死を目の前にすると人はうろたえる。それは恐らく死とはできれば目にしたくないもの見たくないもの、ありていに言えば不浄のものという観念から人間は自由になることが難しいのだ。何となれば自分は生きているのだから。ものを食い、動き、話し、歌い、排泄するといった人間に等しく備わる能力一切がなくなってしまった状態を生きているものは理解しがたい。比肩しうる経験すら持っていないのだから、死を不浄として片付けるのはある意味ものの道理なのかもしれない。

主人公は妻に納棺師であることがばれてしまう。このとき主人公は家を出ていく妻を追いかけはしない。そのまま納棺師であり続ける。納棺師という職業に誇りを持っていたからというのは実にたやすい。その深奥はなかなか測りがたいが、死への恐れというものが彼の中で劇的な変化をしたというほかないのではないだろうか。もっともこのあたりのことを僕は述べることができない。凡人なのだ。

もうひとつ死に関連して死者をどのように処遇するかという問題もこの映画は含んでいる。ニューハーフの納棺で男装にするか女装にするかを家族に問うシーンが出てくるがなかなか興味深いものだ。というのもこの亡くなった人と家族との間では当然息子が女になるという葛藤があったはずだからだ。男装にすれば家族の希望が通るかも知れないが、亡くなった者への処遇として適切なのか。女装にすれば亡くなったものの希望はかなえることになるかもしれないが息子を女として送り出さなければならないという納得のいかなさが家族に残る。解はない。この家族は結局女装で送り出すことにするのだが、そこには物言わぬ死者の願望を受け止める生者の葛藤が横たわる。なかなか難しい問題だ。

大変静かな映画だがその内包する問題はなかなかに挑戦的で、答えのない答えを探すかのようだ。見ておいたほうがいい作品だろう。

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