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2008年11月

2008/11/28

夢はでっかく無職

コネタマ参加中: 「年末ジャンボ3億円」当たったら何に使う?

3億円を銀行に預けたらいったいどれくらいの金利がつくんでしょうかね?

ずっと低金利が続いているから、たいしてつかないのでしょうか。

もしも3億円当たったら僕はさっさと会社をやめてぶらぶらしますね。そうしたら、映画見て本読んで、映画見て本読んでを繰り返します。ええ、毎日ですとも。飽きはしません。

僕はとにかく集団で何かするというのには向いてないですね。個人主義でもないのですが、ほっといてくれと言いたくなります。誰にも干渉されず、誰にも干渉せず、まったくの孤独で生きていたいですね。世捨て人のように僕はなりたい。

それって3億円で実現できますぅ??

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2008/11/26

私は貝になりたい

中居正広と仲間由紀恵という稀代の人気者二人の主演作とあっては劇場の混みようも頷けるものだ。日曜の一回目を見たが劇場はほぼ満席の状態だった。

失礼な話を一つ。脚本を書いた橋本忍がまだ生きていたとは!橋本というと黒澤の脚本のイメージなのだが多くの人が鬼籍に入った中で彼一人がまだ現役でいるということに驚きを隠せない。すっかり亡くなったものだとばかり思っていたのだ、面目ない。

さてこの映画、テレビドラマ史に燦然と輝く傑作のリメイク版だが、僕はフランキー堺が演じたテレビ版はさすがに見ていない。

この映画の特筆すべきは中居正広だろう。特にラストシーンはすごい。すごいの一語に尽きる。中居がここまで傑出した俳優だとは知らなかった。自分の目の節穴を自覚してがっくりくる。

よく運命という。さらに運命には抗うことはできないなどと言ったりする。この映画はその運命の過酷さを描いている。赤紙一枚で兵隊に取られる運命の過酷さの向こうにさらに戦犯として逮捕される運命の更なる過酷さがある。運命に対して人は無力だともいう。この映画はその無力さを感じながら運命に抗おうと必死で生きた夫婦の物語だともいえる。

傑作だと思う。なんの遜色もなくそう言える。ぜひとも劇場で観てもらいたいものだ。

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おくりびと

巷での評判がどんなものなのかはよくわからないが、映画ファンとしては押さえておきたい作品であることは間違いないだろう。なにせモントリオールをとってきた作品なのだから。

この作品はなかなかに難しい問題を含んでいる。それは死への距離の取り方といった問題だろうか。

主人公はもともと東京でオーケストラのチェロ奏者をしていたが、楽団の解散と自分の才能の無さに見切りをつけて生まれ故郷の山形に妻を伴って帰る。たまたま見た求人広告をツアコンの募集と間違えて飛び込んだ先が納棺師の事務所で、仕事内容の詳細を知ると主人公は怖じ気づき逃げ出したくなるが、目の前の高給に目がくらんでしぶしぶとその仕事を始める。

といったのが大体のこの物語の設定だろうか。

死への距離の取り方の難しさは主人公と妻との関係に端的に現れる。主人公は自分が納棺師になったということを一切妻に打ち明けられないのだ。冠婚葬祭の仕事と曖昧に答えて勘違いされたまま時を過ごす。

この打ち明けられないことの背景は死をどうとらえるかを抜きにしては語れないのだろう。死者に対する尊厳をどの人も持っているのだろうが、いざ死を目の前にすると人はうろたえる。それは恐らく死とはできれば目にしたくないもの見たくないもの、ありていに言えば不浄のものという観念から人間は自由になることが難しいのだ。何となれば自分は生きているのだから。ものを食い、動き、話し、歌い、排泄するといった人間に等しく備わる能力一切がなくなってしまった状態を生きているものは理解しがたい。比肩しうる経験すら持っていないのだから、死を不浄として片付けるのはある意味ものの道理なのかもしれない。

主人公は妻に納棺師であることがばれてしまう。このとき主人公は家を出ていく妻を追いかけはしない。そのまま納棺師であり続ける。納棺師という職業に誇りを持っていたからというのは実にたやすい。その深奥はなかなか測りがたいが、死への恐れというものが彼の中で劇的な変化をしたというほかないのではないだろうか。もっともこのあたりのことを僕は述べることができない。凡人なのだ。

もうひとつ死に関連して死者をどのように処遇するかという問題もこの映画は含んでいる。ニューハーフの納棺で男装にするか女装にするかを家族に問うシーンが出てくるがなかなか興味深いものだ。というのもこの亡くなった人と家族との間では当然息子が女になるという葛藤があったはずだからだ。男装にすれば家族の希望が通るかも知れないが、亡くなった者への処遇として適切なのか。女装にすれば亡くなったものの希望はかなえることになるかもしれないが息子を女として送り出さなければならないという納得のいかなさが家族に残る。解はない。この家族は結局女装で送り出すことにするのだが、そこには物言わぬ死者の願望を受け止める生者の葛藤が横たわる。なかなか難しい問題だ。

大変静かな映画だがその内包する問題はなかなかに挑戦的で、答えのない答えを探すかのようだ。見ておいたほうがいい作品だろう。

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2008/11/23

人間って小さいなぁと思った瞬間

コネタマ参加中: 旭山動物園と美ら海水族館、どっち行く?

北海道の旭山動物園には行ったことがないけど、美ら海水族館は今年行きました。しかも社内旅行で。

社内旅行というと団体旅行で窮屈な思いばかりですが、ここだけはそんなことを忘れさせてくれる場所ですな。

巨大水槽に泳ぐジンベイザメは圧巻です。海の中ってこんなことになっているのと思うばかりで圧倒されます。何時間でもそこにいたいくらいで、団体旅行の時間制限をぶっ飛ばしてやりたくなりました。しかもこの水槽の前は人だかりができて動かない!!思わず見入ってしまう気持ちがわかります。

それから不思議なことにこの水族館は中国系の観光客が多かったですな。あれは何でなんだろう?いつもこんな感じで中国系の人が多いのかな??僕は彼らは台湾からの観光客ではないかと睨んでいるのだが、はて????

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ショーシャンクの空に

言わずと知れた90年代の傑作映画。この映画をお気に入り映画に挙げる人が結構いたものだが、現在はどうなんでしょうね。今回はブルー・レイで観ました。映像が奇麗だというのは納得。

ストーリーについてはいいだろう。下手な粗筋書きは野暮というもの。特にラストどんでん返しは圧倒的だろう。

希望ということが映画中に盛んに出てきて印象深いが、前提として理不尽な理由で虐げられ絶望しているという状況が執拗に描かれていることは指摘しておいていいだろう。調達屋レッドの語る刑務所の壁の概念、つまり初めは壁を憎み、慣れ、頼るようになるという心理の変遷は自由を奪われ、人間性を奪われていく過程とみなすことができるように思う。人間はその人間性を奪われると、奪った者たちに反抗するどころか逆に従順になり頼るようになるというまことに恐ろしい精神の変遷をたどるのだ。そういう状況に至る人間はおそらく、自分の中のなにがしかを守ることができ、なにがしかを失いその勘定があっているのかどうかさえ判断することを放棄してしまうに違いない。そして奪った者たちはその奪ったことに少しも罪悪感を感じることなく安住し、自分が何を奪ったのか省みることすらしない。レッドがいう壁に頼る状況というのは一見安定しながらも不自然な状態が放置され、それを誰も改善しようとはしない状況なのだ。

主人公アンディーはその状況に一石を投じる者だ。わからず屋の議会を説得して刑務所に図書館を作り、刑務官の税金の申告書を作り、果ては所長の裏金作りを行う。たくさんいる囚人と刑務官の中で彼唯一人が人間性を失わず希望を失わなかった人間なのだ。ラストにアンディーは安住の地である刑務所から脱獄するのだが、それは勘定に見合わない絶望に反旗をひるがえしているに相違ない。この映画で希望が輝くのは奇妙な安定の中に居座り続ける絶望があまりに深刻だからといえるのだろうと思うのだ。

ラストに所長は自殺するのだが、奪ったものの大きさを自覚して死んだのだろうか?ただ、巨額の金を取られただけでなく。

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2008/11/07

愛するということ

エーリッヒ・フロムの新訳版だそうだ。と、書いてみたものの本当はこういう作者も作品も全く知らないで買った本なのだが・・・。

新フロイト派に属する人のようで、とはいうものの新フロイト派なんていうものがあること自体初めて知ったのだが。いわゆる心理学者というもので了解していいんだろうと思う。

さて、今作だが何の予備知識もないで読む僕としてはなかなかとっつきにくい。というのも、この本は愛を素材にして心理学上の理屈を述べているからだろうと思う。要するに数学で公式だけ与えられてしまって途方に暮れている高校生のような気分になってしまうのだ。

頭の悪い僕としては実例を挙げてほしいところだ。愛というものを分析して内容を詳述するのはいいのだが、なんだか理屈っぽくてかなわない。実例が上がっていると理解のいい手助けになると思うのだが。

なんだか難解さだけが印象に残ってしまった。

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龍が如く

人気ゲームソフトの実写映画化だ。DVDで見た。

まあ、単純に白鳥百合子が出ているから見たともいえるのだが。

すみませんね、ファンで。

少ししか我らが白鳥は出てこなかったが僕的には満足ですよ。ええ、少しでも出てくれるのはうれしいことです。

作品としては新宿歌舞伎町を模した神室町で一晩のうちに起きるいくつもの物語を描写したものといえるだろう。したがってまとまりには欠ける仕上がりになっている。

主人公はもちろん桐生一馬だ。それが消えた百億を追って謎の少女遥とともにいく。これが一応の基本的なストーリーなのだがはっきり言ってゲームをプレイしていないものには何のことかわからないだろう。なぜ桐生が遥と一緒にいるのか、真島はなぜあんなに桐生に対して執念深いのか、まったく言及されていないからだ。話法を無視しているとも言える映画だ。

だが、繰り出される役者のエネルギーはすさまじいものがある。特に岸谷五郎の真島はすばらしい。こんなやつだった、ゲームの中でも。

笑ったのは錦山との戦いで桐生が栄養ドリンクを飲んで復活するという描写だろう。これもゲームをしていないと笑えない場面ではあるのだが、こんなシーンを平気で入れられる三池監督というのは天才というより超人ですな。

全体的にクレイジーに満ちた作品だ。そして何だか清清しい。稀有な作品でしょう、おそらく。

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レッド・クリフ

この秋一番の話題作といえるだろう。ジョン・ウーが監督をして総額100億の制作費をつぎ込んだ「レッド・クリフ」である。

三国志中でもっとも有名な赤壁の戦いを描いた今作であるがいやはや、確かにお金はかかっていますなぁ。合戦シーンも派手だし、人民軍兵士をエキストラに使用して何だかうじゃうじゃ人はいっぱいいるし、何かもがスケールが大きい。

だが、僕の感想を率直に言わせてもらうならば壮大な駄作と呼びたい。2時間半くらいの映画だが上映中に久しぶりに早く終わらんかなと思ったものだ。豪華なだけの作品はあっという間に飽きる。

確かに人物に何らかの個性を与えようとしているのはよくわかる。その辺りの努力は認めよう。だが、ちっとも個性が際立つという感じではないのだ。たとえば諸葛孔明は劉備の天才軍師だが、ちっとも天才には感じられない。関羽も張飛も豪傑っぽくない。

あっといわせるものがないのだ。映像は確かにすごいが、そこに描かれる人物はすごいと素直に思わせる要素がまったくない。三国志とは超人的な豪傑と知略に富んだ軍師たちのあふれ出る個性のぶつかり合いで進んでいく物語だが、こうまで人物の描き方が甘いとがっくり来てしまう。

原作である三国志の物語の構造をもう少し取り入れるべきではなかったのか。とくに赤壁での面白さというのは、強大な敵、曹操にたいして弱者連合を組む劉備と孫権が知略を尽くして挑むという物語だが、単純な弱者連合ではなく、負け戦ばかりが続く劉備軍の実力を孫権側が常に疑うというものであったはずだ。味方にまで心配され疑われる劉備とその配下の武将がその疑いをあっといわせる方法で逆転させていく面白さこそがこの物語の面白さなのだ。単純に曹操に対する葛藤があるだけでなく、孫権と劉備の間にも葛藤が横たわっているはずなのだ。だがそこを描いていないためにこの作品は駄作にならざるを得ない。

諸葛孔明はその天才振りを発揮するのは孫権に対してであり、関羽や張飛、超雲も孫権に対してその力を見せて見せるのだ。したがって、物語における曹操の役割とは劉備軍にとっての反射板であり、反射された光というのは孫権軍に向けられている。だからこそ孫権家中の老臣たちが劉備との同盟について反対する中、周愉が劉備にとってのよき理解者になることができるのであり、魯粛が道化師を演じることができるのだ。彼らは劉備の理解者という役割を担わされているだけではなく、劉備配下の武将たちの良き引き立て役でもあるのだ。

シナリオ作りの失敗だと僕は思う。

それから気になるのは、合戦シーンで何で関羽や張飛、超雲は兜を被っていないのか。意図としては兜を被らずとも強さ抜群であるというところを見せたいのかもしれないが、これはいただけない。こういう描写をお座成りにするようではうるさ方の観客を引き付けることはできない。少し甘いんじゃないか?

ま、こんな作品ではあるが、金城武はかっこよかった。映画を見るまでは金城が諸葛孔明と聞いて少しマッチョすぎるんじゃないのかと思ったが、よくハマっていた。それから孫権の妹を演じたヴィッキー・チャオ。彼女も美しくじゃじゃ馬な役どころをよくこなしていた。この二人だけだなこの作品でよかったのは。小喬役のリン・チーリンはあれでいいんかい?あとは見るべきものがない作品であった。

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2008/11/06

バブルへGO タイムマシンはドラム式

DVDで観た。

劇場でも見たからこれで2度目ということになる。前回の感想文はこちらhttp://hanahanameiwaku.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/index.html

あれから1年以上が経過しているのに面白さはちっとも変わらない。そして面白いことに2度目に見たというのに印象も変わらない。ある意味不思議な映画だ。ニューシネマパラダイスの時に持った感想とはえらい違いだ。これもある意味この映画の力ということができるのだろう。

1年前にも書いたが、やっぱり能天気でノリがいい映画だ。

そして、やはりアイディアがいい。古すぎず、かといって新しい時代でもなく、現代とはあまりに違う時代。こんな時代をその歴史にもった日本という国は案外幸運な国なのかもしれない。

バブルについて一言。

バブルとは僕にとっては仰ぎ見るものだった。あのころ僕は中学生だったのだ。大人たちの気分に乗って日本はすごい国「ジャパン・アズ・ナンバー1」だと信じていた。無邪気だった。学校で教わる日本の歴史とは特に近現代史は自虐的で苦痛に満ちたものだったが、現実に目の前にある日本は世界中から羨望の眼差しでみられる輝ける国家だった。その落差を思うとき日本の後ろ暗い歴史というやつの溜飲を下げることができた。だからバブルが崩壊したあとの失われた10年は僕の中の日本のイメージが崩れ去るものだった。

この失われた10年の間に保守的な政治思想が台頭してきたのは偶然ではあるまい。例えば小林よしのりである。小林の行った仕事は保守の復興というよりは日本の誇りを取り戻そうとする運動に他ならなかったと思う。それはバブルと入れ替わるようにしてやってきた輝ける国家日本というイメージの再生産だったのだと思う。もちろん僕は小林にも踊った。

いま振り返ってみてバブルとその後の失われた10年とは何だったのかと思う。結局この二つの時代から透けて見えるものは、偉大な国家の幻影に酔いたがる卑小な自分の姿だったのではないか。少々の苦さを伴う感慨だ。今の僕は距離を置いて眺める気分が支配的だ。何にも踊らされてはならないという慎重で臆病な態度は熱狂を伴わないつまらぬもののように思えてしかたがない。

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