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2008年5月

2008/05/19

少林少女

ついつい私用で記事のアップが遅れてしまった。仕事で忙しいのだ。ついでに言えば、風邪も引いた。ろくなことがない一週間だった。

フジテレビの強力宣伝のおかげか、客の入りは上場で年齢層は若い子が多めだ。小学生もいたからこのあたりは製作側の狙い通りか。

ありていに言えば、駄作だろう。少林サッカーにも遠く及ばない。笑いも不発気味だし、ストーリーもいまいちだ。一番よろしくないのは、少林拳とラクロスのつながりが弱いことだろうか?格闘を見せるならそれに集中させるべきだったろうし、ラクロスを見せるならラクロスに集中すべきだったろう。

悪の設定もいまいちだ。仲村トオル演じるところの悪党が結局何をしたいのかさっぱりわからない。大事な親友をさらわれて主人公が助けに行くという格好にはなっているが、ありがちなネタだし何より何のために親友がさらわれたのかさっぱりわからない。

いや、画面は派手ですよ。そりゃもう、CGとかドバーと使ってこれでもかと派手な感じです。画面には力はいっていたけどシナリオがあれではなぁ。突っ込みどころが満載で何にも印象に残りませんな。

ナイナイの岡村さんが出ていなければ絶対に見に行ってない作品だ。岡村さんはいい味出していた。この映画の一番の白眉だろう。他の俳優がいまいち腰が決まらない中、この人だけはきっちり仕事をこなしていた。ラスト近く主人公と対決するシーンはそれまでの雰囲気がガラッと変わってこちらがゾクゾクする感じだ。これがプロの仕事なのだろう。

さらにもうひとつ、ラクロスのキャプテンをしていた山崎真実は実にいい。出番は少ないがそれでも実にいい。たしかこの人めちゃイケに出てた人だよね。やべっちのお兄さんが経営している事務所に所属してたんじゃなかったかな?この人はいい!体が大きいからそれだけで目立つし、グラビア出身だからスタイルはいいし、言うことなしですな。演技は少し荒削りの印象だがうまくなるんじゃないか?ひとつの逸材ですな。

まあ、なんだかんだ書いたが、これ、一週間前に見たんだよなぁ。

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2008/05/07

ノーカントリー

正直に告白しなければならない。僕はこの作品について語るすべを持たない。何となれば、理解できなかったのだ。人物と人物の相関とその意味、作品全体の世界観。何を持っても理解できないことばかりだ。

3人の登場人物、保安官、殺し屋、金を持って逃げる男。この三人は僕の解釈では、それぞれに何かを象徴しているのだろう。殺し屋は神と悪魔が表裏一体となった存在。他人の意見には耳を貸さず、己の行動規範のみが判断の基準となっている。金を持って逃げる男はその神あるいは悪魔に翻弄される人間を象徴している。己の判断を信ずるものの、神の前ではその知恵は児戯に等しい。保安官は牧師のような存在。神の御前における人間の浅はかさを諭し、正しき教えに導こうとする。映画では金を持って逃げる男を警察の手によって保護しようとする。

この映画で印象的なのは、運命についてのくだりだろう。保安官が金を持って逃げる男の妻に語りかけるシーンだ。食肉牛を殺す屠殺場で暴れる牛を銃で殺そうとしたら、狙いが外れて弾丸が壁に跳ね返り銃を撃った人の肩に命中したというあのシーンだ。おそらくあのなんでもないようなシーンにこそ、この映画のもっとも感情的な部分が露出していると思う。

何が起きるかわからない。そう訴えているのだ。神ならぬ人の知恵など取るに足らないものだといっているのだ。神のごとき殺し屋も映画のラストで交通事故にあうという意外なおちが待っていた。運命に抗いあわよくばそれをコントロールしようとする人間の傲慢で救いがたい増長ぶりが人間を破滅に導くのだ。

深く静かに語られるこの映画は確かにコーエン兄弟の傑作だろう。日常の裂け目に現れる過酷な運命にとらわれ身を焦がし苦悩する人間の姿が丹念に描写されている。もう一度見なければいけない作品であるといえる。

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クローバーフィールド

傑作だ。いやはや、本当に面白いものを見させてもらった。そしてアイディアとそれを実現させた情熱に脱帽させられた。2日前に見たのだが、興奮が収まらない感じだ。今年は例年とは違って洋画が勢いを取り戻す年なのかもしれない。少なくとも邦画でこれといったすごいものが今のところ見当たらないから、今年は洋画の当たり年なのかもしれない。6月にはインディージョーンズも始まるから、なかなか目が離せない。

例によって午前中の上映に行ったのだがなかなかの客入りは上々だった。6割程度は座席が埋まっていて、世代的には若い世代が比較的多かったろうか?年配者もいたりしたから満遍なく入っている感じだった。

さて、この映画には少々の説明が必要かもしれない。いわゆるパニックもので、なおかつ、怪獣が出てくるのだが、そんじょそこらの映画とは一線を画す。ゴジラあたりとは違うのだ。この映画を個性的にしているのはその話法であろう。

直接話法と間接話法というのがある。なんだか英文法のようだが、主観と客観といってもいい。とにかく、この話法の常識を覆す手法をとっている。

当たり前の話だが、映像作品において直接話法はありえないとされている。何となれば、映像作品中に出てくる登場人物の生活や行動にカメラなどないからだ。登場人物たちはそこにカメラなどないものとして振舞っている。従って観客は登場人物の生活を覗き見しているのであり、演じる俳優はカメラに目線を合わせることを一部の例外を除いて決して行うことをしない。映像作品は常に第三者の立場で登場人物を描写し、一人称で語られることなどない。映画の冒頭で主役級のモノローグが入っていることがよくあるが、あれは一人称的に見せているだけで、純然たる一人称ではない。小説などの文芸と違って「私」とか「僕」という一人称の作品は成立しないのだ。

ところがこの作品はそれを成立させてしまっている。あるいは成功しているように見せかけている。

この映画の設定はすべて家庭用のホームビデオカメラで撮影された映像ということになっている。実際にホームビデオカメラで映画を作ったわけではないのだが、一応そういう設定になっている。この設定があるからこそ主観が入り込む隙がある。

ニューヨークの一角にあるアパートでは日本への栄転が決まったロブのためにサプライズパーティーが開かれていた。ロブの兄貴が一計を案じてビデオでロブにメッセージを残すことを考える。友人の一人にカメラを持たせて、パーティーに来た一人ひとりにコメントを残すように促していくのだが、そのとき突然大きく建物が揺れた。

このビデオカメラが作品を最初から最後まで撮影者の主観を代弁し続ける。怪獣に襲われたニューヨークを逃げ惑う人々。主人公ロブの恋人を助けに行くまでの道行き。仲間の死。

すべてが克明に撮影者の主観で描写されている。たとえば怪物に襲われて逃げ惑えばカメラは激しく揺れ、ロブの恋人を助けるときにはカメラは無造作に置かれる。

いままでこんな映画があったろうか?

主観によって描写されているわけであるから、そのときの撮影者の興味が向くほうにのみカメラは向けられる。従ってなぜ怪獣が現れたのか、この怪獣をいかに倒すのか、街全体がどのような状況になっているのか。怪獣映画やパニック映画ではおなじみの視点がすっぽり抜け落ちている。代わりにあるのは、いかにこの困難から逃れるかとロブの恋人は救い出せるのかのこの2点しかない。その他の客観的な描写はすべて省かれている。街が破壊されている程度など皆目わからない、目の前の破壊されている状況しか描かれないのだ。

かろうじてわかるのは、何らかの方法で怪獣は倒されたということだけ。というのもネタばれになるが、このビデオカメラの映像は怪獣が倒され、街全体が破壊されたあと、偶然にセントラルパークから回収されたものということになっているのだ。

なんともすごい映画が登場したものだ。アメリカ映画はこれだからわからない。CGもふんだんに使われているが、そんなことはどうでもよろしい。とにかくとんでもない強烈な映画が現れた。間違いなく傑作の範疇に入る代物だ。ぜひ鑑賞することをお勧めする。

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2008/05/06

しずり雪

プロフィールをみて驚いた。この作品がデビュー作であるという。それにしては熟練しているではないか。もう何年もプロとしてやっているような印象さえ受ける。

時代小説で短編の連作集である。もっとも岡っ引きの友五郎親分だけは全部の作品に出てきて作品に一貫性を与えてくれている。

時代小説でなおかつ町人物となると人情噺となるわけだが本作もその範疇にもれない。僕は人格が非情にできているのだろうか、この人情噺というのがいまいち好きになれない、僕が人情噺が嫌いな理由のひとつは登場人物がみな善人になってしまうというのがある。悪人風の人物がいても実はこんな背景がありました的なものがどうしてもなじめないのだ。この作品もその例にはもれないのだが、この作品は別だ。嫌いなのに好きにさせられてしまう不思議な魅力を持っている。

まず何といっても巧緻だ。ストーリーの構築もキャラクターの造形も描写の的確さも何もかも新人離れしている。「寒月冴える」という収録されてい短編などこれといった事件もないくせになぜか印象深い。

いろいろ考えるが、短編の効用というものだろうかと考える。紙面を埋めるために余計な描写をしている余裕がないのだろう。作中の人物がみなある種の厳しさを持っているような印象があるのは無駄を省いた文体にあると見た。善人しか出てこない作品なのに好ましく思えるのはそういった事情があるかもしれない。

なかなかよい作品だと思う。佳作と評してよいと思う。

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