傑作だ。いやはや、本当に面白いものを見させてもらった。そしてアイディアとそれを実現させた情熱に脱帽させられた。2日前に見たのだが、興奮が収まらない感じだ。今年は例年とは違って洋画が勢いを取り戻す年なのかもしれない。少なくとも邦画でこれといったすごいものが今のところ見当たらないから、今年は洋画の当たり年なのかもしれない。6月にはインディージョーンズも始まるから、なかなか目が離せない。
例によって午前中の上映に行ったのだがなかなかの客入りは上々だった。6割程度は座席が埋まっていて、世代的には若い世代が比較的多かったろうか?年配者もいたりしたから満遍なく入っている感じだった。
さて、この映画には少々の説明が必要かもしれない。いわゆるパニックもので、なおかつ、怪獣が出てくるのだが、そんじょそこらの映画とは一線を画す。ゴジラあたりとは違うのだ。この映画を個性的にしているのはその話法であろう。
直接話法と間接話法というのがある。なんだか英文法のようだが、主観と客観といってもいい。とにかく、この話法の常識を覆す手法をとっている。
当たり前の話だが、映像作品において直接話法はありえないとされている。何となれば、映像作品中に出てくる登場人物の生活や行動にカメラなどないからだ。登場人物たちはそこにカメラなどないものとして振舞っている。従って観客は登場人物の生活を覗き見しているのであり、演じる俳優はカメラに目線を合わせることを一部の例外を除いて決して行うことをしない。映像作品は常に第三者の立場で登場人物を描写し、一人称で語られることなどない。映画の冒頭で主役級のモノローグが入っていることがよくあるが、あれは一人称的に見せているだけで、純然たる一人称ではない。小説などの文芸と違って「私」とか「僕」という一人称の作品は成立しないのだ。
ところがこの作品はそれを成立させてしまっている。あるいは成功しているように見せかけている。
この映画の設定はすべて家庭用のホームビデオカメラで撮影された映像ということになっている。実際にホームビデオカメラで映画を作ったわけではないのだが、一応そういう設定になっている。この設定があるからこそ主観が入り込む隙がある。
ニューヨークの一角にあるアパートでは日本への栄転が決まったロブのためにサプライズパーティーが開かれていた。ロブの兄貴が一計を案じてビデオでロブにメッセージを残すことを考える。友人の一人にカメラを持たせて、パーティーに来た一人ひとりにコメントを残すように促していくのだが、そのとき突然大きく建物が揺れた。
このビデオカメラが作品を最初から最後まで撮影者の主観を代弁し続ける。怪獣に襲われたニューヨークを逃げ惑う人々。主人公ロブの恋人を助けに行くまでの道行き。仲間の死。
すべてが克明に撮影者の主観で描写されている。たとえば怪物に襲われて逃げ惑えばカメラは激しく揺れ、ロブの恋人を助けるときにはカメラは無造作に置かれる。
いままでこんな映画があったろうか?
主観によって描写されているわけであるから、そのときの撮影者の興味が向くほうにのみカメラは向けられる。従ってなぜ怪獣が現れたのか、この怪獣をいかに倒すのか、街全体がどのような状況になっているのか。怪獣映画やパニック映画ではおなじみの視点がすっぽり抜け落ちている。代わりにあるのは、いかにこの困難から逃れるかとロブの恋人は救い出せるのかのこの2点しかない。その他の客観的な描写はすべて省かれている。街が破壊されている程度など皆目わからない、目の前の破壊されている状況しか描かれないのだ。
かろうじてわかるのは、何らかの方法で怪獣は倒されたということだけ。というのもネタばれになるが、このビデオカメラの映像は怪獣が倒され、街全体が破壊されたあと、偶然にセントラルパークから回収されたものということになっているのだ。
なんともすごい映画が登場したものだ。アメリカ映画はこれだからわからない。CGもふんだんに使われているが、そんなことはどうでもよろしい。とにかくとんでもない強烈な映画が現れた。間違いなく傑作の範疇に入る代物だ。ぜひ鑑賞することをお勧めする。
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