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2007年11月

2007/11/25

ミッドナイトイーグル

大作映画である。宣伝にも力が入っているようだがイマイチな浸透力しかない。そりゃそうだろう。「ホワイトアウト」と「亡国のイージス」を足して2で割ったような作品なのだから。

ストーリーはこうだ。日本アルプスに米軍のステルス戦闘機、通称ミッドナイトイーグルがテロ組織に墜落させられた。政府は極秘裏に安全保障会議を招集しこの戦闘機の回収に乗り出す。一方元戦場カメラマンの主人公は墜落した戦闘機の機影を偶然カメラに収めていた。後輩の新聞記者にその写真を見せると一緒にアルプスに行く羽目になる。後輩のその新聞記者は政府の動きがおかしいと気付いたのだ。何かこの戦闘機には謎がある。実はその謎とはこの戦闘機の積んでいる爆弾は核兵器で・・・・。

ね、なんだか似ているでしょ。「ホワイトアウト」と「亡国のイージス」に。

こういった作品で難しいのは物語が分散しやすいということだ。この作品では主人公がいるアルプス、内閣の安全保障会議、もう一つはテロ組織の謎を追う記者に分散している。分量の保障されている小説ならば一つ一つのエピソードの密度を濃くしていくことができるかもしれないが映画では時間の関係もあってなかなか難しい。この作品の処理はそれでもうまくやった方ではあるが、それでもエピソードが何だか薄っぺらい。シーンの切り替わりが激しくて見ているほうは落ち着きがないのだ。当たり前の話だがこれでは登場人物に感情の移入は非常に難しい。

さらに言えばこの手の作品はご都合主義になりがちだ。いただけないと思ったのはテロ組織の謎を追っている記者がパスワードをテロリストから手に入れてしまうところだろう。なぜかこの記者はテロリストを助け、どういうわけだかテロリストはパスワードを記者に渡してしまう。実際の小説を読んでいないからわからないがおそらくこのあたりの描写は丁寧にされていたのだろうが映画ではそうはいかない。どうしてもご都合主義に見えてしまうのだ。

この作品のラストは評価の分かれるところだろう。爆弾を奪回に来たテロリストを主人公もろともトマホークで焼き払ってしまうというものだが、ハッピーエンドでもよかったかも知れずなかなか難しいところだ。日本人が好む自己犠牲を表現してみたのかもしれないがなんだかなぁと思ってしまう。こういうことなのだろうか自己犠牲って?

さらにいえば、ラストで主人公と記者が話すシーン。許しを請う主人公に記者は許しませんと言い放つ。あれはおそらくちゃんと戻ってこないあなたを許しませんということなのだと思うがなんだか後味が悪かった。もう少し言葉の選びようがあると思うのだが。何とでも受け取れる言葉をあえて使ったその意図がはたしてちゃんと観客に届いたか疑問でもある。

どうでもいいが竹内結子はきれいでしたな。うん、美人だ!年をとってよりきれいになったような気がする。ちょっと惚れたかも。

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やじきた道中 てれすこ

和製コスチュームコメディ映画、かつバディムービー、かつロードムービー。いやはや面白い。キャスティングがこれほどまでにはまる映画もないものだ。

中村勘三郎と柄本明と小泉今日子。3人の力のある役者が画面に出て芝居をするだけでなんだかおかしい。芸達者なのだがこの三人を表現するのに「芸達者」という言葉だけでは足らない気がするのだ。だからといってこの三人に対する他の言葉があるかといえばそれは多分ないのだと思う。言葉を超越した感じのおもしろさだ。

コメディとしてはおそらく定石どおりなのだろう。人のいい弥次さんにオッチョコチョイの喜多さん、はすっ葉なのに純情な面を持つお喜乃。こうして人物の造形を考えただけでもその定石さを理解できるだろう。道中で起きる珍騒動は荒唐無稽なものばかり。定石をいかに料理すれば面白くなるかのお手本のような作品でもある。

本作は落語の題材がふんだんに取り入れられている。僕自身は落語がそんなに詳しくはないのでろくにわからなかったが、落語を知っている人にはおかしくって仕方がなかっただろう。こういう作品を見るとつくづくいろいろなものを見ておかなければいけないなぁと痛感するのである。

ところで、てれすこのくだり、つまりお奉行様とのくだりなのだが本編となん接点もないのはなんだろう?面白かったからなんとなく流してしまうが、根本的にお奉行のシーンはなくてもストーリーは成立してしまう。作っている方としては遊びのつもりでいれたのだろうが、僕はシーンは密接に関連しているべきだと思っているのであれいいのかなと思ってしまうのだ。

なにはともあれ面白い作品である。笑いたい人、ちょっとほろっとしたい人にはお奨め作である。

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2007/11/22

兵士に告ぐ

自衛隊の今を伝える貴重なルポの第4弾だ。もっとも僕は第三弾の「兵士を追え」を読んでいないのであまりいい読者とはいえないのだが。

本書の特徴は一言でいえばわかりにくいということだろうと思う。今回は九州に新しくできた西部方面普通科連隊を中心にして描かれているが、日本の安全保障環境がそれまでの北海道中心から中国を睨んだ九州地域への改編時期にあたり、自衛隊のもっとも分厚いベールに包まれた部分を取材していることから来ているのではないかと思う。西部方面普通科連隊の凄さも役割も重要さもそこからくる隊員の葛藤もなんだかすりガラス越しに見ているような気がしてならないのだ。

おそらく大部分の日本人がわが国の安全保障環境がそれ以前と比べて大変難しくなっているのは理解していると思う。憲法九条に関する世論調査において改憲派増えているのはその証左であろう。だからこそ国家が何を考えどう行動しようとしているのか誰もが知りたいと願っているのだ。

本書の取材方法はそれまでの取材方法と変わらず、末端の兵士にインタビューをするというものである。時にはその厳しい訓練にくっついていくということまでしている。いわばボトムアップ式の取材方法と言えるだろう。本書に出てくる自衛官の階級でもっとも高いのは百十数名を束ねる中隊長である。それより上の階級の人にもインタビューを試みているようだがほとんど出てこない。名もなき兵士の呟きを聞き漏らすまいという姿勢は素晴らしいものだ。僕らが普段接する「自衛隊」は新聞やテレビに出てくる「自衛隊」であってその生の姿を垣間見ることはほとんどない。兵士の息遣いまで聞こえるようなこのルポはその意味で大変貴重なのだ。

だがそれでもわからないことが多い。例えば米軍との一体化である。より強固になっていく米軍との一体化の波を現場で捉えようとしているが、その波の正体が一体なんなのか正直腑に落ちない。本書ではミリミリの話や自衛官なのに射撃をちっともさせてもらえないS士長の話が出てきて、日本的な組織のあり方が解体されていくのを描いているが、それがどんな結果になってどんな幸不幸を招くのか描ききれていない。少なくとも自衛隊のなかにおいて米軍が神聖にして侵すべからざる存在であることはわかるのだがそれによってもたらされる影響の広がりと深さがわからないのだ。

おそらく必要なのは幹部自衛官が何を考えているのかを探ることなのだろう。それは国家の秘密に触れることでもありなかなか難しいことだとは思うのだが、もし次回作があるのならそういった点にもう少しつっこんでいただきたいと僕は思う。

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2007/11/20

白鳥百合子 dazzle

ご存知白鳥百合子のイメージDVDである。

dazzleはまぶしさ、まばゆいもの、目がくらんだ状態という意味なんだそうだ。まあ、確かに我らが白鳥を初めて目にした者はそのような印象を受けるだろう。

誰が見ても美しい人だ。衣装良し、ロケ地良し。申し分なしのものなのだが、しかし僕の目には既視感がちらついてどうしようもなかった。

端的に言えば飽きてしまう。それまで発表されたDVDと一線を画すものではなかった。素材の良さに頼り切った作品でしかない。作りこみも対象に対する切り込みも甘いのだ。

誰もが白鳥百合子の素材の良さを認めるだろう。だがその素材を用いて何をしたいのだろう?何を表現したいのだろう?きれいな女の子をきれいな海辺に連れてきてにっこり笑わせるだけが能ではあるまい。

エロティシズムを表現したいのか、清純さを表したいのか、あるいは悪魔的な娼婦性を表したいのか。その素材が持つ特性とポテンシャルを十分に表現しているとはとてもいえないのだ。

テレビに映し出された白鳥の映像を見ながら僕はため息をつかざるを得なかった。もったいない。50分という時間の間、そんな言葉が僕の頭をぐるぐる回り続けていた。

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2007/11/19

刑事コロンボ 殺人処方箋

現在ディアゴスティーニで発売されているコロンボシリーズの第一巻である。もちろんコロンボシリーズの第一作であり、コロンボは小池朝雄が吹き替えている。

何に驚いたといって、コロンボが小奇麗なのだ。僕が記憶しているのはよれよれのコートを着て、ぼさぼさの鳥の巣のような髪型でだらしないおっさんの代名詞的なものだったがこの作品ではコロンボはコートを羽織ってはいるがきっちりと着こなしているし、髪型だってきれいなものなのだ。はじめからコロンボはコロンボではなかった!作品を重ねていくうちにあの魅力的なキャラクターが形作られたのだと初めて知った。

しかしコロンボ的なところは随所に見られる。「うちのカミサン」という口癖や去り際に核心を突く重要な質問を投げるところなどなど、コロンボのしつこさとすっとぼけた味わいがこの初期の作品でもう既に現れているのだ。はじめからコロンボはコロンボだったのだ!

作品の内容そのものだが、僕にはちょっとうーんという感じがしてしまった。特に最後のオチがいただけない。ラストは犯人を追い詰めて鮮やかに謎解きをするというのではなく、犯人を嵌めて罪を暴くというものだ。コロンボシリーズは僕は子供のころに見たので、あまりはっきりした記憶がないのだが、僕の印象としては知的な謎解きゲームという印象があった。また犯人との心理戦を丁寧に描くという印象もあった。この作品もそういうラインに乗ってはいるのだが、ただラストのどんでん返しがあまりにこすいので面白さを半減させてしまう。どちらかといえばそれをやっちゃあおしまいよとでも言いたくなるのだ。

ただ後のシリーズではこういったものは陰を潜めるのだろう。

ところでこのシリーズ買い続けるべきなのだろうか?お金続くかなぁ。

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2007/11/18

ヘア・スプレー

公開されてから随分経つが今頃になってやっと見ることができた。やはりミュージカルは音響のいいところで見るべきものだと思った。この作品の音楽はみなノリが良くて楽しい音楽ばかりなのだ。それに衣装がとてもキュートだ。現代の目から見たらひょっとしたらダサさをも感じさせるものかもしれない60年代のファッションはおとなしめでありながら華やかさも失わない美しいものだ。ありていに言えばこの作品は楽しさに満ち溢れている。

さてどこから書くべきだろうか?この作品は表面上の楽しさの奥底に非常に重いテーマがどっしりと置かれている。

黒人差別が描かれているのだが、こういった作品が未だに作られて好評を博しているということはこの問題が現代アメリカが今まさに直面している問題であり、60年代から続く差別の克服に現在においても成功していないということの証明でもあるのだろう。

物語は60年代のアメリカの地方都市ボルチモアの放送局だ。この時代は今の感覚からでは理解できないが黒人の放送日というのがあったらしい。映画では「コーニー・コリンズショー」という若者に馬鹿受けの白人のダンス番組に月一回の黒人デーがあったという設定だ。

テレビの番組にもそんな差別があったのだというのだから驚く。もちろん映画はその差別の解消を目指して進んでいくのだが、僕が印象に残っているのは、「コーニー・コリンズショー」のホスト、コーニーが差別主義者の番組プロデューサーに言い放つラストのセリフだ。このラストでは番組内で白人と黒人が一緒になって踊り狂うのだがこのホスト、コーニーはその状況を指して「これが未来なんだ」と言い放つのである。

「これが未来なんだ」登場人物の一人に言わせたそのせりふの通りの未来はアメリカにやってきたのだろうか?おそらくそれは非常に苦い現実を言い表したセリフなのだろうと僕は思う。アメリカから伝わってくるニュースで黒人の暴動が起きましたなんてのは今でもたまに飛び込んでくる。ハリケーンカトリーナのとき、ロスの暴動。何年か置きに伝わってくるそのショッキングなニュースはアメリカが根源的に抱え込んでしまったストレスがちょっとしたことで爆発してしまうことをよく表していると思う。表面上の明るさとは裏腹にアメリカの社会というのは非常に緊張した状態が常に続いている社会なのだ。

「これが未来だ」と60年代の登場人物に言わせたその理想は現在においても理想のまま達成されることなくアメリカ社会の中に横たわっているのだと思う。

とはいえ、この映画はそんなに緊張して観るような思想性に溢れた作品ではない。楽しくハッピーな映画だ。むしろこう言ったほうがいい。重いテーマを華やかなダンスと楽しい音楽で軽やかに表現したものだと。製作者のその手腕がこの映画を非凡にしているのは間違いないだろう。

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2007/11/04

ALWAYS続 3丁目の夕日

前作から2年。多分続編が作られるだろうと思っていたが、やっぱり作られた。前作の良さを知っている者からすれば、この続編制作の知らせは少々の不安を感じさせるものであったが・・・。

公開初日に観させてもらった。どうせ混むだろうという予測の元9時半から始まる回を観たのだがいやはや驚いた。こんなに早い時間なのに客席の八割が埋まっていたのだから。その後の12時からの回もすさまじい人で、観客の期待感の高さを窺わせるものだった。

感想を率直に言えば、粒が小さくなってしまったという感じだ。前作のうねるような感動はなかった。しかし、だからといってクオリティが低いとはいえない。いやむしろ続編を作るという事情を考慮しても比較的高いクオリティを保っているのではないだろうか。観客から鼻をすするような音が聞こえたのがその何よりの証拠かもしれない。

初っ端のゴジラのシーンは凄かった。完全に観客の度肝を抜く仕掛けだった。

今から振り返れば、前作は家族を作るという映画であったかもしれない。茶川家でいえば売れない小説家の茶川さんと身寄りのない少年淳之介が新たな家族をつくり、鈴木オートでは六ちゃんという集団就職をしてきた少女を家族に向えいれるという物語だ。今作はその家族のその後の物語であり、ゆえに前作のようなダイナミズムは感じられないかもしれない。しかし鈴木オートでは親戚の子を預かるという物語があり、茶川家では芥川賞を受賞しなければ家族をとられてしまうという危機がある。あまりに凡庸な意見を言わせて貰うならば、時代が変わろうとも家族をめぐる物語というのはあまり変わらないなぁというものだ。

戦争の記憶というのが底流に流れているのもこの作品の一つの特徴だろう。そこには戦友を失い、家族を失い、恋人と別れるという素朴な感情が静かに流れていて、いわゆる戦争責任を声高に叫ぶような頭でっかちな思想性はない。だからこそ戦争とはいかなるものか指し示している。思想に縛られない素朴な感情こそが戦争を論じる際の必要な素養なのではないかと思ったりもした。

どうでもいいが、堀北真希はほんとうにかわいらしい女優さんですな。鈴木オートの作業服も水玉のワンピースのドレスもかわいらしかった。2年前の前作には何らかの硬さがあったが、今作ではその硬さもとれ、非常にいい方向に向いているのではないだろうか。もっともっと飛躍して欲しいと願わずにはいられない。

それから今作に出ていた子役はみないい芝居をしていた。単純に大人の物語ではなく子供の世界もきっちり描かれていた。鈴木オートの一人息子も今回はよく目立っていたぞ。そしてその家に居候する少女はきれいな子だった。小池彩夢という子役だそうだがこんなきれいな子がいるんだなと思った。二人とも大成して欲しいなと思う才能だった。

そして前作の感想でも述べたが茶髪のものが一人もいない。ほっとする背景とともに日本人にはやっぱり黒髪が似合うなと思う。薬師丸ひろ子の髪も茶川さんのぼさぼさの黒髪も六ちゃんのつややかな髪もみな美しい。現代は経済の発展とともに何かを失ったと評されることが多いものだが、茶髪とともに我々は美意識というものを失ってしまったのかもしれないと僕は思っている。

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2007/11/01

スターダスト

クレア・デインズ主演作ではあるのだが、日本ではどうなんだろう。彼女はイマイチの知名度しかないかもしれない。日曜の昼の回に行ったが、客席はそれほど埋まっているという印象ではなかった。

さて、感想をありていに言えば、死がこれほど軽んじられている映画もない。一言でいえば不愉快な映画だ。

死ぬ人間の数が多すぎる、しかも下らぬ死が多すぎる。2時間あまりの中でいったい何人の人間が死んだのか、いちいち数えるのも憂鬱になるくらいだ。

そりゃ、映画にはさまざまなタイプがあるから、チャンバラ映画や、戦争映画ではこの映画の死者の数よりもっと多くなる。しかしだ、これらの死には何らかの意味が付されているものだが、この映画の死は実際下らぬ。人間の欲望を丸出しにした、そんな死しか描かれていない。したがって観ている者は非常に不愉快な気にさせられる。死がストーリーの都合に合わせて置かれているような、非常に粗雑な描写なのだ。

加えて、ストーリーの運びの手際の悪さは否めない。様々なシーンが出てきて、それはそれで目には楽しいのだが、ただそれだけなのだ。シーンをただ漫然とつなげただけでは観客には訴えるものがない。

さらに言えば、期限というリミットを設定しているのだが、切迫感がない。主人公は愛する女性に、流れ星を一週間後の彼女の誕生日までにプレゼントするという約束で村を出て旅に出るのだが、この主人公がその流れ星の女性に恋をするだからいただけない。別に期限までに愛する女性のもとに戻る必要性がまったくなくなってしまったのだ。一応はセオリーどおりに村の女性の所にまで戻るのだが何のために戻ったのか説得力がない。設定が間違っているのだ。

さらにいえば、現代的な女性像を示したつもりの流れ星の女性だが、その価値観は実に手垢にまみれている。この女性は勝気で主張すべきところはしっかり主張するという形で描かれ、主人公の青年の気弱さと対比されているのだが、ちっとも面白くない。魅力が一つも感じられない。あまりにも凡庸すぎるのだ。

駄作と評してよいのではないかと思う。救いはロバート・デ・ニーロの怪演とミッシェル・ファイファーの妖艶な美しさだろうか。彼ら二人がいなかったらこの映画は救いようがなかったことだろう。その程度の映画だった。

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