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2006年10月

2006/10/29

父親たちの星条旗

日曜日でもありお客さんが入っているかなと思ったが、実際にはそうでもなかった。見に行った時間帯が11:05からの回からでは仕方ないのかもしれないが、少しさびしいような気がした。

さて内容の方なのだが、硫黄島全体の戦いを描写したものではなかった。戦闘のごく初期部分しか描かれていない。しかも過去と現在が複雑にオーバーラップしていく物語の構成になっているためなかなか物語の筋が掴みにくいものになっているのは確かだ。

物語の焦点は銅像にもなり、今回の映画のポスターにもなった星条旗を立てる兵士の写真が実際はどういう経緯で撮られたか、またあの写真が撮られた後、そこに写っていた兵士がどういう運命にあったのかというところにある。そういう意味ではこの映画はいわゆる戦争映画ではない。どちらかといえば国家と戦争のかかわり方、或いは民衆と国家の共犯的な戦争へのかかわり方を描いていて実に興味深い。現代においても重要な示唆を与えてくれるのは間違いがないだろうと思う。

特に唖然としてしまうのは、何でもない写真が恣意的に使われ、それが事態を大きく動かしてしまう点だろう。実際この写真は本当に何でもない写真で、硫黄島の戦闘全体に勝利した時に撮られたものではなく、硫黄島のごく狭い範囲を占領した時に撮られたものだ。映画の中でも語られたが、この写真に写っている兵士の半分はその後の地獄のような戦闘で命を落としているわけで、真実と大きくかけ離れた一枚の写真に熱狂してしまう人間の愚かしさを正直怖いと思ってしまう。恐らくこのようなことは現在でも日常的に起こっているのだと思う。ただ僕らがそれを知らないだけで。写真やテレビの映像が真実を必ずしも伝えているとは限らないということを僕らは頭では知っていても、それを目にしたときそんなふうに僕らの頭が反応してくれないというのは肝に銘じておくべきことなのだろう。そしてそれがこと戦争において行われたという事実は衝撃的だ。国家の運命のみならず、そこに参加している兵士やその家族も巻き込んで、彼らの日常を大きく変更してしまうというのはあまりにも残酷に過ぎると思う。

地味な感じの映画だが是非観るべき作品だ。アメリカからこのような示唆に富む作品が作られたというのは実に興味深い。今まさに戦争が行われ、日本もまた憲法改正が真剣に論議されているからこそ、戦争とは何か、国家とは何か、国民とは何か、民主主義とは何かということを考えるきっかけになる作品だと思う。こんなに考えさせられる映画はない。今の時代にとても必要な映画だと思う。今日はいい作品をみたと思う。

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2006/10/22

ブラック・ダリア

正直に言えばよくわからない物語であった。

デ・パルマの作品で期待して見に行ったのだが、今ひとつな感じだ。

一つにストーリーが複雑すぎる。事件が起きて、その事件の謎解きは勿論行うのであるが、それと平行して事件解決に向う刑事二人の個人的なストーリーも語られていて実に複雑なのだ。

おそらくこの手の映画は2度3度と見返すべき作品なのだろう。

また原作も読んでみたいと思った。原作の香りも浴びながらこの映画を味わうべきなのだろう。

なかなか難しい映画であった。

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2006/10/10

フラ・ガール

傑作と評して良いと思う。それくらい素晴らしい出来だった。特に最後のダンスシーン素晴らしかった、迫力があった、美しかった。これはぜひとも劇場で観るべき作品だと思う。DVDではその面白さ素晴らしさが伝わらないだろうと思う。

廃坑寸前の福島の炭鉱が舞台だ。大規模な人員削減が実施され不安におののく炭鉱町にハワイを作ろうというプロジェクトが持ち上がる。常磐ハワイアンセンターだ。そこの目玉としてフラダンスチームを結成することになる。チームといってもダンサーは全員炭鉱町に住む女の子達でダンス経験はゼロ。そもそも本物のフラダンスを見たこともない子達ばかりなのだ。とりあえず集まったものの、フラダンスの八ミリ映画を観て、露出の多い衣装と艶っぽいダンスにビビリ皆逃げ出してしまう。残ったのは高校には行けず幼い兄弟の面倒を見ていた早苗と早苗に誘われた紀美子、事務をやっていた子持ちの初子、それに盆踊りが得意だというだけで父親に連れてこられた小百合だった。

そこに東京からフラダンスの先生がやってくる。昼間から大酒を食らって、だけど色白で美人で派手な衣装の先生だ。真っ黒くて朴訥な炭鉱町には不釣合いな先生だ。はっきりいって先生はやる気がない。ど素人に教えるなんてそんな気はさらさらないのだ。

生徒達も先生のやる気のなさを見抜いたのか、反抗的だ。だが、あるときその先生のダンスを垣間見て本気で教わりたいと願うようになる。

とまあ、話はこんな具合に進んでいく。

僕はこの映画を観ながら思い出していたのは、リトルダンサーとスウィングガールズだった。

リトルダンサーもあれも閉山間際の炭鉱町が舞台であった。しかも同じダンスを取り扱っていた。製作者達はこの辺は意識していたのではないかと思う。本作の主人公紀美子は父のいない家庭に育っていたが、厳しい母親にフラダンスを習っていることを内緒にしてしまう。後にばれてこっぴどくしかられるのだが、リトルダンサーの場合は父親にしかられる。両主人公はそれでもダンスを続けるのだが、違うところはリトルダンサーの場合は「男がバレエなんて!」という男らしさ女らしさに立脚した批判であるのに対してフラガールでは女の子が肌の露出が多いのがはしたないという感情があるにはあるが、無慈悲な炭鉱会社の仕打ちに対する怒り、またはハワイアンセンターを作るという会社方針に対する怒りに立脚していることだろう。もちろんフラガールの母親も時代の子であるからダンスやるくらいなら選炭婦をやれというのだが、それはどちらかというと性差を意識した感情というよりも先祖代々炭鉱で働いてきた誇りに根ざした感情から来る発言であったように思う。本作品は時代の波に飲み込まれかかっている人々の伝統に対する誇りの感情と新しい時代に順応しようという若々しい鮮烈な情熱の相克であると僕は思う。

またスウィングガールズとの対比では時代状況の違いというものを感じざるを得なかった。スウィングガールズはくしくも同じ東北が舞台になっていて、登場人物たちがまったく新しいことをしようとする女の子たちの物語であった。しかもちゃんと彼女達を教え導く先生がいるというところまで同じである。もっともスウィングガールズでの先生はあまり頼りになりそうもない先生だったが・・・・・。スウィングガールズに出てくる女の子達はやる気がなくて、空虚で何か夢中になれるものがなく、たまたまジャズに出会ってしまったという感じの極めて現代的な女の子達だ。たくさんの選択肢があるなかでジャズを選び夢中になっていくその様は自分探しの旅といえるだろう。最後のジャズの演奏シーンはそうした自分探しの旅の果てに現れる自己実現の表現であったと僕は思う。しかしフラガールに現れた女の子達はスウィングガールズに現れた女の子達と似ているようで実は全然違う。彼女達はたくさんの選択肢などなくダンスしかなかった。早苗のセリフに「今の状況から抜け出したい」といって紀美子を誘うのだがこのセリフに端的に現れているように選択肢などないのだ。自分探しなど贅沢な悩みであるのだ。またハワイアンセンターというプロジェクトそのものも街を救うための起死回生の一発逆転を狙ったもので、街を救わねばならないという使命も彼女達は帯びている。時代状況の過酷さのなかでもがいているのだ。炭鉱の落盤事故で小百合の父親が死にその死に目に会えないというシーンが出てくるが、このシーンはただ単に彼女達のプロ意識の高まりという表現にとどまるだけでなく、逃げ道のない状況に対する覚悟のシーンであると思う。それゆえに映画から受ける感動の質が全然違う。最後のダンスシーンはより過酷な状況に置かれた者の努力の果ての成功と受け取ることができるのだ。もちろん自分探しや自己実現などもあるにはあるだろう。だがそれは結果的についてきた副次的なものでしかなく、時代状況に果敢に挑戦し新しい扉を開いていった者たちの物語だと僕は思う。もしこの作品のことをスウィングガールズと同類と看做す者があるのだとしたならばそんな奴は軽蔑すべきだとさえ僕は思う。

ぜひ観て欲しいと思う映画だ。特にダンスシーンは素晴らしい。絶対に劇場で観るべき作品だと僕は思う。お勧め映画だ。

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2006/10/09

涙そうそう

なかなかの佳作ではないかと思った。客の入りも上々で日曜日であることを考えてもこの作品に人が集まることに僕は瞠目した。やはり日本映画の調子が上向いているということなのだろう。それとともに妻夫木、長澤という旬なスターを起用しているということが功を奏しているのだと思う。非常に喜ばしいことだといわざるを得ない。

これは兄と妹の物語である。血の繋がらない兄と妹は幼い頃に父が蒸発、母を病気で失うという不幸に見舞われ、離島で暮らしていた。一足先に兄は沖縄本島でひとり立ちし妹が本島の高校に進学するため兄を頼ってくるというところから物語はスタートする。

最初はおままごとのような生活を楽しんでいたが、兄はいつか自分の店を持ちたいという夢を持っていて、一生懸命バイトに明け暮れているが人に騙され借金を背負ってしまう。付き合っていた恋人とも別れてしまう。兄を助けようと妹は兄に内緒でバイトをするが、大学にいって欲しいと願う兄は妹を怒ってしまう。そんな折蒸発していた父親がひょっこり現れる。「今までありがとうな」という無責任な父親の言葉に怒る兄。

やがて二人に別れの時が訪れる。妹が大学進学し、独立したのだ。初めは妹の独立を許さなかったがやがては認める兄。

妹が独立して一人暮らしをはじめてしばらくたち台風がやってくる。妹のアパートが滅茶苦茶になり足がすくんでいるところに兄がやってきて助ける。兄との絆の太さを再確認する妹だったが、雨でびしょ濡れになり病に係りそのまま死んでしまう。

島に戻り兄の葬儀の日、死んだ兄から送られてきたのは成人式の晴れ着だった。

とまあこんな感じの物語ではあります。

まずなんといっても兄がよい。おとぎばなしに出てくるような感じの丸い人柄で、妹を思う掛け値なしの愛情には涙が出てくる。おそらく世のお父さん達はこの兄に自分の姿を重ね合わせるのではないかと思う。

そんな兄を慕う妹もまたいい。兄に甘えてばかりではいけないという一心で一人暮らしをはじめるが、やっぱり兄がいないとだめっていう感じがよい。

僕はこの作品は極めて日本人的な映画だと思う。外国人にはこういうのは良くわかんないのではないかと思うのだ。日本人が理想とする家族の風景画ここには描かれていると思う。人によっては善人ばかりでつまんないという人もいるかもしれない。だが多くの人にとっては人を思いやり、いたわりして生きていく姿に素直に感動するのではないかと思う。僕も感動した一人ではある。なかなかの佳作だ。見に行くことをお奨めする映画だ。

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2006/10/02

薄桜記

この映画を一言で言い表すならば「儚げ」ということだろうか。

市川雷蔵主演、昭和34年公開の映画でDVDで見た。

物語は吉良邸討ち入りに向う堀部安兵衛の回想で始まる。

堀部がまだ中山姓を名乗っていた頃、名高い高田馬場へ向う途中江戸から地方に向う丹下典膳とめぐり合う。典膳は安兵衛にその襷では解けるといけないと助言されるが運悪くその助言を聞き逃し、そのまま決闘上に向ってしまう。典膳もまた胸騒ぎを覚え高田馬場に赴く。そこで見たものは典膳と同じ知心流の同門を倒す安兵衛の姿だった。典膳は幕府のお役目の途上であり、加勢はできぬと思いその場をすみやかに立ち去る。

ところが典膳の高田馬場での態度は同じ門人たちの知る所となり、加勢をしなかったことで同門の人々からの恨みを買ってしまう。典膳は破門されてしまう。

だが、典膳への恨みは破門ごときでは晴れず、夕暮れの橋の上で典膳は門人達に襲われる。切りかかる門人達と戦う典膳。殺しはしなかったが一生残る傷を門人達にのこした。

高田馬場で名を上げた安兵衛には多くの縁談と仕官の話が転がり込んでくる。安兵衛は上杉家の家臣の娘、千春に心を寄せるが、千春はなんと典膳に輿入れをしてしまう。傷心の安兵衛は赤穂藩の堀部家に養子に入ることを決断する。

一方典膳は千春と仲睦まじい家庭を築くが、京都出張のおり家を留守したところに傷を負わされた門人達に丹下家は襲われ、千春は犯されてしまう。

その事実を知った典膳は苦悩する。心無い門人達は千春が不義を働いたと言いふらしていた。このまま千春を離縁すれば千春を追い詰めてしまう。だがこのまま夫婦を続けていては典膳の武士としての名が傷つく。一計を案じた典膳は千春を疵つけぬよう実家に帰すが納得できない実家の兄は典膳の片腕を切り落としてしまう。

隻腕となった典膳は門人達への復讐を誓う。

長々とあらすじを書いてしまった。ま、その後もあるのだがそれは本編のお楽しみってことで。

昭和34年というと勿論僕は生まれてないわけで、どういう時代状況だったかよくわからないが、まだまだ映画が娯楽の王様に君臨している時代だったのではないかと思う。

この作品の冒頭部で安兵衛が高田馬場に走っていくところなどはなんと創意工夫にあふれているかと思う。画面を斜めに切り走る安兵衛と空の情景を上下の位置関係を逆にしてとっているところなどなかなかのものだと思う。CG全盛の時代を知っている者からすれば幼稚と考えられなくもないが、CGがなかったことを考えればすごいことではないかと僕は思う。

またこの映画は美しい日本の風景を残していると思う。今の時代ではなかなか見ることができない風景の連続で、現在の日本の風景のなんと歪なことか。月並みな感想だが、経済発展は日本を豊かにしたが、その過程で本当に多くのものを失ったと思う。残念な気持ちがちょっぴりわいた。

そして雷蔵である。儚げな美しさをもった男がこの世にいるなんて!ほとんど奇跡だと思う。今の時代に何で生きていないのかと思う。ぜひこの映画を見て欲しい。ここには現代日本では想像もつかない男が生きているのだ。ぜひ見て欲しい。

僕はクライマックスが素晴らしかったと思う。決闘で斬られた典膳、胸を鉄砲で撃たれた千春。雪の中を這うようにして典膳の手を握るその姿は愛の理想的な形に思えてならない。この決闘に助太刀に入った安兵衛は皮肉にもじっと二人の姿を見守るのだが、絶命せんとする二人の愛の深さを知り、安兵衛は言葉には表さないが、この二人の間には立ち入れないと悟ったのだと思う。安兵衛が千春に心を寄せていただけにこのシーンはグッと来る。

だが、この映画は現代人、恐らくは現代女性にはほとんど理解されないだろう。古臭いと思うだろうし、下手をしたら怒り出すかもしれない。おそらくその原因は千春の造形に起因するのだと思う。千春はあまりに封建的な世界の女性として描かれている。夫に献身的で耐える女で、男達の意思に自分の運命を翻弄され、あまりにも主体性がないように見えるだろう。確かにそれはその通りで、やはり映画も時代の子だという感想を持たざるを得ない。だが、そんな中でも分かれた夫に捧げる一途な愛は否定されるべきものではなかろう。どんなに時代が変わろうとも、どれほど女性の地位が向上しようとも、この純粋さは輝いていると思うのだがどうだろう。僕はこういった一途な純粋さまで否定するような社会になったら日本も終わりだと思っているのが。

見て損は絶対にない映画だ。是非是非見て欲しいと思う。

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