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2006年5月

2006/05/29

かもめ食堂

日曜のお昼に見たが、ほとんどが女性であり、男性はほとんどいなかった。なるほど女性に受けそうな物語ではある。しかもかなり満杯状態であった。よくヒットしているらしい。

男の僕としては、この作品をどう評するべきか率直に言って苦慮する作品である。

一言でいえば大人のメルヘンであろうか。理屈じゃない映画だ。

ほんわかした雰囲気と、善人しかでてこない設定と、筋らしい筋がない話法とがよくマッチしているのだろうと思う。

もちろん駄作ではない。かといって傑作だと肩肘張って論ずるような雰囲気の作品でもない。なんとも書きようのない作品だ。恐らく女性のほうがこの作品の魅力を論ずるのに向いている、男ではだめだ。男はどうしても理屈っぽい。なんとも言いようのない作品である。

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2006/05/28

ダ・ヴィンチ コード

今年一番の話題作かもしれない。映画公開にあわせて文庫本も快調に売れているらしい。土曜の昼ごろに見たが、客の入りはまずまずであった。

だが、一部では駄作との評があるらしい。僕としては駄作とは思わなかった。恐らくキリスト教圏の人々と日本人の感じ方の違いなのかもしれない。

例によって僕は原作より先に映画を見てしまったが、映画館を出た後、本屋に直行し原作本を買ってきた。日本人にはとっつきにくい題材であることは確かだ。

キリスト教の誕生にまつわるミステリーと解してよいのだろう。だが、テンプル騎士団がどうしたとか、マグダラのマリアがどうしたとか、ストーリーはなんとなく追えるもののなかなかついていきがたい。キリスト教に予備知識がないものには難しいというのが率直な感想だ。

それよりなにより説明セリフがどうしても多くなってしまうのは、致し方ない面があるにせよやはり退屈だ。いや、退屈させないように作っているのだが、そしてそれは非常に上手に作ってるのだがやはり退屈だ。だが説明セリフを飛ばして作るわけにはいかない作品であることは間違いないわけで、そういった面でも難しい作品なんだなと思った。

また、聖杯が何で、誰であるかというこの作品の最大のオチが映画の後半からなんとなく読めてしまうのもこの作品の欠陥であるかもしれない。

全体として説明に忙しく、ミステリとしての醍醐味は少ない作品かもしれない。その辺りが駄作と評されてしまうのだろう。ただ、話題の小説が必ずしも良質な映画作品になるとは限らないわけで、この映画はその典型であるかもしれない。

そうそう、どうでもいいが、ヒロイン役をやったオドレイ・トトゥは恐ろしく足の細い女優さんだった。そしてトム・ハンクスの髪型はまったく似合っていなかった。妙なところに目がいってしまうのも、この作品の力のなさを表しているのかもしれない。

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2006/05/14

風と共に去りぬ

現在静岡のサールナートホールにて上映中である。こういう機会を逃すと名画をDVD等で見なければならなくなるので、雨なのに見に出かけた。

感想。長い!これに尽きる。1回休憩を挟むが後半はさすがにくたびれた。ただ内容は盛りだくさんで飽きさせない作りになっているのが救いであった。

どうでもいいが、観客は9割方女性であった。男性は数えるほどしかいない。女性はクラーク・ゲーブルに憧れているのだろうか?女性の感想を聞いてみたい気がする。

内容については説明するまでもないだろう。それくらい有名な作品だ。初見の僕でも知っているくらいなのだから。ただ、一男性としていうならば、スカーレットみたいな女性は御免こうむるといいたくなってしまう。じゃじゃ馬みたいな女性ならばかわいいのかもしれないが、スカーレット並みに強い女性だとしっぽ巻いて逃げ出したくなってしまう。はっきり言って憧れないなぁ。

一つだけ思ったのは、日米で理想の女性像というものが違うのだろうと思ったことだ。おそらく日本人の好みとしては、スカーレットの親友であるメラニーのほうが好ましく思うのかもしれない。彼女の役回りは控えめで、おっとりとしていて、誰からも愛され、夫に寄り添うという貞淑な妻といったところだろう。それは「耐える女」に通ずる価値観かもしれない。もっとも現代日本の女性たちがどう思うかは知らないが。

一方アメリカにおける理想の女性像はまさにスカーレットみたいな女なのではないか?自己主張がはっきりし、行動的で野心に溢れている。それでいて一人の男性を思い続ける純真さも持ち合わせていたりもする。ひょっとしたらアメリカの男性はこんな女を乗りこなしてみたいと夢想するのかもしれない。

スカーレットみたいな女性は日本の価値観にはないものだろう。名画といわれているが案外日本人の受けは良くないのではなんて思ってみたりもする。

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2006/05/07

キャッチ ア ウェーブ

連休のちょうど真ん中辺り、5月2日に見に行った。

16歳の高校生が書いた原作の映画化ということで話題になっていたが、観客は若い子が大半で僕としては見に行くのを躊躇したほどだ。もっとも座席は3分の1ないしは4分の1程度しか埋まっておらず、あれれ?とおもった。

感想を一言で述べるとしたならば、退屈な映画であった。新鮮味がないとでも言おうか、ヒロインを演じた加藤ローサがかわいいなと思った程度であった。サーフィンというスポーツがそれほど珍しくなくなった昨今、あえてサーフィンでなくてもいいじゃないかなんて思ったりもした。

なんでつまらなかったのか色々考えたがひとつだけ思ったのが、主人公に魅力がないことだろうか。はじけてる感がまったくないのだ。

まずなんといっても主人公がサーフィンをやらなければならない動機が非常に弱い。サーフィンショップにひょんなことから転がり込んでサーフィンを始めるわけだが、サーフィンに強烈な憧れを持っているかといえばそうでもなく、どうしてもサーフィンをやらなければならない状況に追い込まれたのかといえばそうでもなく、サーフィンをやらなければならない強烈な動機に欠ける。パンフにもあるようにウォーターボーイズに影響を受けたようだが、あの作品の主人公はシンクロをやらねばどうしようもならないという完全な巻き込まれ型の主人公であった。だからこそ観客は主人公に声援を送ることができたと思うのだが……。

また、周辺の人物も面白みがなかった。最悪なのは主人公の友人二人である。彼らがなんのためにいるのか考えたほうがいい。映画の中では彼らはほとんど何も有益な役回りを演じてはいない。そこに存在しているだけの意味のほとんど感じられない存在である。強烈な個性を発揮するわけでもなく、ただ騒いでいるだけで、まったく主人公をアシストしていない。

さらにいえばなんで坂口憲二が出てきたのかよくわからない。恐らく兄貴的な存在として登場させたのだろうが、主人公達にほとんどコミットしていない。よくわからない存在だ。

映画を見ていてああ、これはいけないと感じたのが、ヒロインに問われて主人公が夢を語る所だ。なんと主人公は映画を撮りたいというではないか!ならば、サーフィンなんかやってないでさっさと映画撮れと突っ込みたくなる。サーフィンという行為と映画を撮るという夢が乖離しているのは率直にいって好ましいものではない。目的と手段がばらばらになっている印象を与えはしないか。

また夢を語るにはその前提としてその夢に強烈な憧れを持っているという描写が必要だ。この映画でも夢を語る前にホームビデオでヒロインを撮影をするという前フリがあるが、この描写では弱すぎる。単に映像を撮るのがうまいということに終始していては「特技」のレベルに堕してしまうからだ。一つ一つの描写をもう少し大事にしていかないといけない。

随分ちぐはぐな映画であったというのが正直な感想である。カネを返せとまではいわないがもう一度撮り直せとは言いたくなる。

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