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2006年4月

2006/04/30

寝ずの番

話題になっていた津川雅彦ことマキノ雅彦の第1回監督作品である。

ゴールデンウィークの初日、しかも昼の2時半からの上映であったにもかかわらず客の入りは決していいとはいえなかった。客層は中年以降の人が大半で僕と同年齢や僕より若い人は皆無であった。

見ていて唖然とした。下ネタのオンパレードなのだ。特にラストの歌合戦などは最悪であった。ほとんど悪ふざけにしか見えなかった。ああいうことを映画にしてはいけないと強く感じた。

映画の冒頭は「そそ」と「そと」を聞き間違えるというネタなのだがここでの観客の受けは良かった。よく笑い声が聞こえていたし、皆楽しそうであった。ところが映画が進むにつれ下ネタばかりが目に付くようになると、観客から笑い声が消えた。もう、見事に消えた。完全にお客は引いてるなとわかってしまった。

萩本欽一、あの欽ちゃん球団の欽ちゃんは下ネタを決してやらないという。お弟子さんたちが下ネタをやるとすごく怒ると聞いている。それは何も欽ちゃんが倫理的だとか、フェミニストだとかではなく、下ネタをやると一回目はお客は笑ってくれるが2回目、3回目になるとお客は笑ってくれないからだという。今回の映画は図らずも欽ちゃんの下ネタに対する評価そのままにお客が反応していた。こういうことを映画の製作現場の人々は知らないわけではなかろうに。こんな作品は作るべきではなかったと思う。

恐らくは落語の艶笑話を狙って作ったのだろうが、狙いは外れているといわざるを得ない。

また、この作品の特徴は3つの小話からなっているということだろう。師匠の死とお通夜、一番弟子の死とお通夜、おかみさんの死とお通夜。この構造は果たして成功なのだろうか、失敗なのだろうか。

少なくともこういう構造にしたことはテンポがよくなるとは言える。だが、人物の掘り下げには向いていないと思う。師匠という人が中心になって、全ての登場人物が関係付けられているのだから本来なら師匠を深く掘り下げていくべきだっただろう。例えばおかみさんの通夜で師匠の恋のライバル、鉄工所の元社長が出てくるが、この人物が師匠のお通夜で出てきても全く違和感がなく、むしろ人生の不可思議さ、切なさが表に出てきたのではないかと思う。なにせこの社長師匠のファンだったのだから。

おかみさんの死と一番弟子の死はなくても良かったのではないか。師匠を深く掘り下げ、師匠を反射板にして、弟子を初めとする回りの人物の人生を照射すべきでなかったのではないかと思う。物語の分断は最も避けるべきことだと思うのだが。

ごく平たく言えば、期待はずれの作品であった。

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2006/04/21

中国ってやっぱりすげえや

つい先日思うところがあって観音様について調べることがあった。

通常僕は何か調べものをするときはウィキペディアに必ず目を通すことにしている。

そのウィキペディアの観音菩薩の項にはこんな面白いことが書いてあった。

ウィキペディアのページ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3

一応本文も記しておく。

サンスクリット語ではアヴァローキテシュバラ(Avalokiteshvara)と言い、「見る」という語と「自在」という語の合成語である。鳩摩羅什(くまらじゅう)の旧訳では観世音菩薩と言い、当時の中国大陸での呼称も、観世音菩薩であった。これには、観音経妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五)の趣意を取って意訳したという説と、敦煌で発見されたサンスクリット本から推察して羅什の訳した写本が違っていたという説がある。の二代目皇帝李世民の名から避諱により、”世”の文字は使用出来なくなったため、唐時代以後の中国大陸では、以後、観音菩薩と呼ばれるようになり定着した。玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)以降の新訳では観自在菩薩と訳している。

何気なく読んでいると何とも思わないが、よ~く考えると変である。

・・・

・・・

・・・

どこがって?

ここが!

の二代目皇帝李世民の名から避諱により、”世”の文字は使用出来なくなったため、唐時代以後の中国大陸では、以後、観音菩薩と呼ばれるようになり定着した。

普通に考えればだよ、

人間仏様にはばかって名前を変えると思うのだが

中国では

仏様人間にはばかって名前を変えちゃったんだよ

普通の日本人の序列意識では

仏様

人間(天皇を含めた全部の人間)

という序列なのだと思うのだが、中国人の意識では

人間(皇帝)

仏様

ということになっちゃってんだよ。

仏様より偉い人間様がいるなんて中国ってやっぱりすげえや。

日中友好だって?

そりゃ無理ってもんでしょ!

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2006/04/18

プロデューサーズ

トニー賞受賞のブロードウェイミュージカルの映画版。昨今のハリウッドではミュージカルがはやっているのだろうか?この手の作品が増えてきたなぁと思う。

月曜の昼間だっただけに客の入りは少なく、大劇場でこの人数はさびしいなと思えるほどの人数だった。まあ、時間帯が悪かったのだろう。

さて、内容のほうであるが・・・・・・。楽しいことは楽しいのだが、全く印象に残らないという僕にとっては奇妙な印象のある作品であった。

それぞれのキャラクターは皆奇妙奇天烈で、いっちゃってる人たちばかりなのだが、劇場を出るとな~んにも残らない感じだ。全員が全員強烈なキャラというのは、かえって全員が沈没するという一つの典型だろうか。

ストーリーも面白いことは面白いのだが、だからといっていまここで僕が何かを力説するというようなものでもない。本当にこんなのがトニー賞を受賞したのか?

明るく能天気な作品ではあり、音楽もダンスも楽しいものだが、繰り返し見たいと思わせるような作品ではない。

もしこの作品で一つ光るところを上げよといわれたら、冒頭の場面、主人公の二人が出会うシーンだろうか。人物の出し入れ、主人公達の置かれた立場や、各人の性格付けなどオフィスの一室での出来事に見事に集約し、こうやって人物を描いていけばいいのかと大いに勉強になる。この部分だけがすばらしかったなと妙なことに感心させられる作品である。

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2006/04/17

平家物語

ここのところ仕事が忙しくなかなか本を読めないでいた。やはり年度末というのは忙しいものですね。そして仕事が一段落してから読み始めたのが平家物語であった。今回は岩波から出ている新日本古典文学大系の中の平家物語上・下を読んだ。

以前に僕は新潮社の日本古典集成に入っている平家を読んでいるのだが、今回は集成とは違う底本の平家を読んでみようと思ったのだ。

本文異同に関しては専門家の方に聞いて欲しい。集成で使われている底本とは確かに入っているエピソードやその順番、本文そのものが違っているのはわかったが、それを詳細に追跡するのはやはり専門家に任せたほうがいいだろう。ここでは深くは論じない。ただ集成と今回の新体系の印象の違いとして、僕は新体系の方がスマートに感じられた。洗練されているとでも言うのだろうか、集成は荒々しさが感じられるのだが、新体系は小奇麗さを感じる。僕の好みとしては新体系はスマートではあるがどこか物足りなく、集成の荒々しさのほうが好きなのだが。これは人によって好き好きなのだろう。

「見るべき程の事は見つ。いまは自害せん」とは新中納言知盛の壇ノ浦における最後の言葉であるが、この短いセリフに凝縮された自分に降りかかるすべての運命を厭うことなく受け入れ、抗うことをしない精神の強靭さは例えようもなく美しい。眼前で展開される一門の人々の入水は地獄絵図の何者でもないであろう。とりわけ一門の期待を一身に受けた安徳帝はわずか8歳の子供でしかなかった。そのような幼い者さえも死なせなければならなかった自らの罪深さを自覚しないではいれられなかっただろう。だからこそ新中納言知盛は運命に抗わないのだ。「見るべき程の事は見つ」とは自らの罪深さに対する罰なのだ。自らに降りかかる運命の全てを受け入れることが罪に対する唯一の贖罪なのだ。

暗愚と評される一門のリーダー宗盛の滑稽な姿を見よ。入水することをためらい、挙句の果てに後ろから兵士に突き飛ばされて海に落ちる彼はひたすら我が子に対する情愛に眼をふさがれた男だった。もちろんそれはそれで彼の姿はひどく人間的で好ましいものであり、憎むべき人物ではないのだが、彼は彼自身の罪深さに気づくことはない。自らに降りかかる運命から逃れようと必死なのだ。まわりの兵士がどう思っているかなど頓着しないのだ。そんな彼に回ってくる運命は壇ノ浦を生き延び、都を引き回され、頼朝という勝者に会わせられ、斬られるという惨めな役どころなのだ。

思えば平家物語に出てくる印象的な人々、源三位頼政、以仁王、木曽義仲、今井兼平、小宰相、瀬尾、これらの人々も自らの運命を抗わなかった人々だ。気高い精神性を保ち自らの人生の軌跡を自覚している人々ではなかったか?だからこそ彼らは美しいのだ。

そして彼らはすべて敗者である。敗者こそがすべての美しさを独占するのである。勝者が荒々しさを演じることはあっても決して美しさを備えないのは、運命を甘受する態度を備えていないからだろう。それは一門の滅亡を見ることなく、勝者のまま死んでいった清盛を見ればわかるだろう。勝者は敗者から美しさを奪うことができず、奪うことができないからこそ勝者は勝者でいられるのだ。

勝者とは美しい敗者の上に成り立つ存在なのである。

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2006/04/16

ブログ開設1年

時が経つのは早いもので昨年の3月31日にこのブログを開設してからもう一年が経った。

これまでに書いてきた記事は118本。よくも書いたものだと思う。

アクセス解析を始めたのが7月ごろのことであったが、今日まで1万3千もの人々が訪れてくれたことになる。大して人気のないブログではあるがこんなにたくさんの人々がきてくださったことは大変に感謝している。ありがとうございます。

これからも映画書籍に関する記事を中心に書いていこうと思います。

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