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2006/03/07

マオ 誰も知らなかった毛沢東 上下

ねえ、聞いてよ

ねえ、聞いてよ

僕は怪物を見たよ

僕は怪物を見たよ

驚いたことにこの怪物は赤い衣さえもまとってはいなかったんだよ!

本書は中国に誕生した怪物の一代記である。僕はこの上下巻に及ぶ長い、長い物語を読んでたった一つの感想しかもてなかった。

「えげつない」

これだけである。ページをめくるたびに死人の山が築かれていくような錯覚にとらわれざるを得ない。これほどまでに人命が軽んぜられる国家とは一体何なのだろうか?しかもこれが意味のある死ならばまだしも、権力者による自己保身の招いた死なのだからやりきれない思いがする。

本書に描かれる怪物と怪物を支えた権力機構の本質を著者はたった一行で表している。

「共産党による統治はつねに殺人を続けていかないと不可能であることが明らかになり、すぐに処刑が再開された」(上 P187)

戦慄すべき一文ではないか。殺人を必要とする統治とはなんなのだ?それは統治とよべるのだろうか?

共産主義思想を核にしてこの政権は誕生したと僕は単純に思っていた。当然イデオロギーに基いた政策が実施されたものだと僕は単純に思っていた。たとえその政策が失敗したとしても、何らかの筋は通っているものだと思っていた。政治に携わる者は自らの理想とするイデオロギーの実現に向けて努力しているものだとばかり思っていた。しかし読めども読めどもちっともイデオロギーの話は出てこない。出てくるのは権力闘争と自己保身と栄達の話ばかりだ。理想に燃える人間など一人もいないかのように。あのイデオロギー全盛の時代はなんだったのだろう?イデオロギーは人間の欲望を糊塗するただの衣ではなかったか。人間は時代が進めば進むほど賢くなるのではなく、自らの欲望を何かに見せかける嘘がうまくなっただけではないのだろうか。そんな気持ちをこの醜悪な怪物から受けた。

読了して最初に思いを馳せたのは、現在の中国だ。これだけの大混乱を引き起こし、天文学的な人命を失わせたこの怪物を現在の中国では未だ建国の父として敬っている気持ちの悪さに僕はおぞ気がする。何となれば、この建国の父の神話は壮大なフィクションなのだ。そのフィクションの中に国民を閉じ込めようとする現在の政権を担う人々のあざとさに僕はあきれるほかない。フィクションは所詮フィクションにすぎないというのに。

本書は議論かまびすしいものでもある。専門の人々から本書の掘り起こした新事実に疑義が寄せられているようだ。僕は歴史家でもなければ、政治学徒でもなく、思想家でもないため真偽を論ずることはできない。多少割り引いてこの本と付き合うことが必要になろう。唯一つだけいえるのは国家とはなにか、あるいは国家の欺瞞が国民に何をもたらすのかということを考えるきっかけになるのではないかと思う。

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