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2006/03/05

県庁の星

書店でこの作品の原作本を見たとき映画になるんじゃないかと思っていたがやっぱり映画になった。ちなみにまだ原作は読んでいません。

比較的きれいにまとまっていた作品だと思う。わかりやすいストーリー、わかりやすい映像、わかりやすい人物の設定、誰でも知っているスターの出演、どれをとっても文句のつけようがないのだ。しかしどうもいただけない。なんとなく不完全燃焼のような気持ちがしてしまう。面白いことは面白いのだが、だからといって夢中になれるかといったらそうでもない。月並みな感じがしてしまうのだ。

なぜだろう?

ストーリーは県庁のエリート官吏が民間との交流でさびれたスーパーにやってくる。官吏は民間の智慧を勉強するといっておきながら、決して官僚的な仕事の進め方を捨てようとはしない。民間のスーパーもどうせそんなこったろうと思って官吏とは距離を置いている。だが双方は問題を抱えている。スーパーは在庫の山を抱えこれをどう扱っていいかわからない。消防署からの査察で不備を指摘され営業停止寸前まで追い込まれる。官吏は自分が立案した巨大プロジェクトが無事進められるか心配でならない。物語は双方の智慧を生かしながら問題解決に立ち向かっていく。

スーパーエーリートがあるいは貴種が何かの事情で流離して場末の寂れた場所にやってくる。そこで昔のやり方が忘れられず、その場末で地元の人々と摩擦を起こしていく。だが、何らかのきっかけでやがて双方がお互いを理解しあうようになり双方に立ちはだかる壁を乗り越えていく。

こういった作品は大体こんな感じで話が進むわけで、この作品も見事にそれを踏襲している。この手の物語は無数にあり、これからも無数に作られていくのだろう。

僕がこの作品を不満に思うのは定型にきっちりはまりすぎていることではないかと思う。目新しさがどこにもなく既視感があるということだ。オーソドックスな作品は見ていて安心感があるが、だからといってそれに安住してはいけない。何らかの工夫は常に必要であると思う。

工夫といえばスーパーという場所にも言える。実は僕らはスーパーにはよく行く。もちろん客としていくのだが、自分の周りの人でスーパーでバイトしていたなんて人は多いだろう。学校を舞台にしたものもそうだが、皆知っている場所を舞台とするのはなかなか難しいものなのだ。下手な嘘はつけないし、だからといってそれを忠実に再現しても仕方がない。なかなか難しい場所を選んだと思う。

また官吏が心を開くきっかけは官吏の挫折であるが、その挫折は二つのことから成り立っている。一つは官吏がプロジェクトから外されたこと、それに伴い恋人から別れを告げられたこと。もう一つはスーパーで自分が企画した弁当がさっぱり売れなかったことだ。基本的にこの作品は二つの場所、県庁とスーパーで物語が進められている。よくあることだがこういった形は物語が分散しやすい。三谷幸喜を見ていればわかるだろう。三谷作品は基本的に場所を変えることがなく一つの場所で物語を進めていく。こうすることによって物語の分散が防げるのだ。この作品ではその手は使っていない。はっきりと二つの場面を振り分けている。だからといって官吏が心を開くきっかけを二つの場所にまたがって作っていいわけがない。物語の密度が下がってしまってはいけないのだ。

しかしこの作品は及第点を与えてもいいのではないだろうか?そこそこ面白いし。だからといって今年のベストテンにはとてもじゃないが入らないとは思うが。

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