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2006/03/13

ヨーロッパの乳房

作者の澁澤龍彦の名を知ったのはほとんど偶然だった。

彼が亡くなってしばらくたってから僕は大学進学のために上京したのだが、上京してすぐ池袋のデパートで彼の展覧会みたいなものをやっていた。彼の使っていた書斎を再現したりとか彼の生原稿だとかそういうものを展示していたのだ。僕はそれまで澁澤龍彦の名前さえも知らなかったが、その展覧会のポスターに惹かれて見に行ったのだ。随分と人が多かったのを覚えている。こんなにたくさんのファンがいるんだなぁと感心したものだ。展示品の中にフランス人形があったように記憶している。こういうものを好む男性というのはいったいどんな奴なんだろう?と思ったものだ。

以来、澁澤龍彦は気になる人であった。その間全集が発売され、話題になったりしたがなかなか読む機会がなく、とうとうここまできてしまった。澁澤の作品を読むのは今回がはじめてである。

さて、本書は紀行文である。1970年に初めて作者はヨーロッパ旅行に出かけるのだがそれについての文章である。はっきり言って前半はちっとも面白くない。面白いのは後半である。

前半の面白くなさは、読んでいる僕にも責任があるかもしれない。というのも前半の文章は知識が先行し全くついていけなかったからだ。後半は僕のような浅学の者でもついていけるように噛み砕かれた文章になって後半のほうが印象深い。

秀逸なのは「わたしの処女崇拝」と「自分の死を自分の手に」であろう。

「わたしの処女崇拝」は処女という一つの価値を論じたものだ。「女の性(セックス)とは、だから、欲望するところのものではなく、欲望されるところのものである」という原理に立脚し、「ウェヌス原型」という言葉を用いながら処女の神聖がどこからやってくるかについて述べている。処女について僕は単に肉欲的なイメージでしか捉えていなかったから、この評論は驚きであった。処女に対する人間の非常に深く、また、太古の記憶からやってくる畏怖の感情があるというのは、今まで考えてもみなかった新鮮な考えであった。新しい目を見開かされた。

「自分の死を自分の手に」は機知に飛んだ小説である。従来からある生命保険に変わって安楽死保険というものを売りに来るセールスマンと主人公の会話録である。現代社会のモラルを生命保険という言葉に託してそのモラルに懐疑の思いをこめて、安楽死保険というあべこべなものを提出している。自分の死さえもままならない現代の社会の現状を「ブルジョワ的道徳」ということばであらわしているが、この考え方に頷けないこともない。個人主義の時代といわれて久しいが、この個人主義の時代は案外窮屈であることも確かだ。個人主義とは言いつつも誰かが作ったシステムに依存しなければ生きることすらままならない。日常の食事だってスーパーやコンビニといった誰かが作ったシステムに依存しなければならないのだから。個人主義とは本当に個人主義なのだろうか?

安楽死保険は生きたいように生きるという人間のささやかな希望の比喩なのではあるまいか?窮屈なシステムに絡めとられた人間の解放を意味しているのではなかろうか?僕はそんな風に思ったのだがどうだろう?

初めての澁澤龍彦体験であったが、知的興奮を換気させる人物であるかもしれない。これ以外にもいくつか読んでみたいと思った。

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