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2005/12/11

SAYURI

話題の昭和初期を描いたハリウッド映画である。少なくとも、欧米人による無責任な東洋への幻想が描かれていなかった。時代考証もしっかりしていた。かなり研究してこの映画を作ったのではないかと思う。それはやっぱりすごいことだとおもうのだ。評価すべきことなのだろう。

全体的に画面が暗かった。ヨーロッパ映画を思わせる暗さであった。曇天と言っていいのだろう。スカッとした明るさが全くなかった。晴れ間は2回。子供の頃会長に出会うシーンとラストシーンの会長と結ばれるシーン。監督さんの狙いがあってこういう色調の画面を作ったのだろうが、はっきり言ってこういう画面をずっと見せられるのはいささかくたびれる。

さてストーリーは無理矢理、置屋につれてこられた女の子が一流の芸者になっていく物語である。作りとしては古典的とも言える作り方をしていて、ライバルの芸者がいて、主人公はライバルと相当水を空けられているが、突然名コーチが現れてあれよあれよという間に追い抜いていく。憧れの男性がいてその人のことをずっと思い続けているが、憧れの男性の親友に愛を告白され大弱りに弱ってしまう。でもなんだかんだと言って憧れの男性と結ばれてしまう。

端的に言ってコメントのしようのない、平凡な作りの映画である。特に目新しいところは何もない。女の戦いに重く比重が置かれていたけれども、それほど面白くはなかった。ブッちゃけて言えばTVの“大奥”の方が面白いかもしれない。

思うにこの小説、或いは映画がヒットしたのは欧米人の間で最も有名にして最も謎の存在でなおかつ現代日本に未だ存在している“ゲイシャ”を描いたからだろうと思う。この“ゲイシャ”は欧米ではかなりエロチックな幻想とともに語られていたのではないか?ところがこの作品はそのような幻想をきっぱり拒絶して、気品ある“芸者”を描き、イメージの崩壊に成功したのではないかと思う。常識の破壊はどの芸術分野でもワクワクさせられるものだが、SAYURIはまさに欧米人が持つ“ゲイシャ”の常識を叩き壊し全く新しい位置づけで“芸者”を描き、新しいイメージを作り上げたところに革新的な意味合いがあったのだと思う。

しかしそれは欧米のみで通用する革新ではないかと思う。日本人には通用するまい。そもそも“芸者”がそんなエロチックな存在であるとは思っていないし、根本的に一見さんお断りの“芸者”が抱けるとは思わないものなのである。要するに「あんた今さら何言ってんの?」という感じなのだ。この作品に何の目新しいものがないと感じるのはその辺りのギャップにあるのではないか思うのだがどうだろう?

ところで深作監督の作品に「おもちゃ」という作品がある。僕は深作作品の隠れた名作ではないかと思っているのだが、同じく若い芸者の一人前になるまでのストーリーであるが、この作品は先輩芸者の悲哀まで描かれていて、ある意味群像劇になってもいた。一人の人間の成長物語としてはSAYURIよりこちらのほうが上であると思うのだがどうだろう?SAYURIを見た後ぜひともこの作品を見ていただきたいと思う。

ところで舞台は京都であった。本来は芸者ではなく芸妓というべきなのではと思った。

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