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2005/10/18

となり町戦争

とまどいと怒りを覚えた小説だった。何とも言えず気分の悪い小説だと思う。

戦争を経験していない僕らの戦争に対するステレオタイプ的な発想を逆手に取った小説だといえるだろう。開戦も終戦も知らぬ間に起こり、全体としていつどのように戦っているかさっぱりわからないという設定は、平和ボケといわれる日本国民にとって案外しっくり行くのかもしれない。戦争に関する猛烈なリアリティのなさがこの小説を成立させる空間を作り出しているといえよう。

この小説では兵士が死んでいく場面は描かれていない。というよりも、この小説に顕著な特徴は主人公は「戦争とは人が死ぬ」という一点にリアリティを求めようとしているところにある。「戦争とは人が死ぬ」というあまりに単純化、図式化された問題意識が全体を貫徹し、日常=平和と、非日常=戦争が溶解し、その境目を掴むことのできない主人公がふわふわと浮遊している。戦争に対するリアルな感情を抱けず、定型化された戦争に対するイメージが、小説中で展開される”リアルな事件”を通して対比され、抉り出され、揺れていく。しかし主人公は最後までリアルな感覚を掴むことなく、結局は「戦争とは人が死ぬ」という単純かつ図式化された問題意識から抜け出すことはできない。主人公が得たリアルとは戦争遂行を任された香西さんという女性公務員に対する愛情だけであった。これは日本人の戦争に対する認識の限界を示した小説だといえるかもしれない。

「だが」と呟いてみたくなる。本当に日本国民は戦争に対してリアリティを持っていないのだろうか?いやいや、「戦争とは人が死ぬ」ということだけが戦争の問題意識なのだろうか?

ちょっと今日における日本をめぐる国際情勢を考えてみればいい。「戦争とは人が死ぬ」という単純な認識をしている日本人は今やほとんどいなくなったのではないか?イラクを見ればいい。ブッシュによって戦争に引きずり込まれたこの国は一体今後どのようになっていくか?中国との摩擦を考えてみればいい。東シナ海におけるガス田開発はどうだ?台湾海峡は?靖国は?おそらく多くの日本人は社会党全盛なりし頃の平和主義に懐疑的でありまさに「リアル」に戦争の危機を感じ取っているのではないか。「戦争とは人が死ぬ」という問題意識だけで戦争を捉えるならば、今日的な日本人の危機意識を説明しつくすことはできない。いやむしろ「戦争とは人が死ぬ」という問題意識こそ現在の日本人が懐疑的になっている平和主義の代表的問題意識であり、絶対平和主義と揶揄される武力を徹底的に排除するという解に導きやすい問題提起としてまさに疑われているのではないか?

時代認識が少し古いと思う。十年前ならこの小説は鮮やかな光芒を放ったろうに。僕はこの小説を「遅れてきた小説」と呼びたい。

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