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2005/10/13

蝉しぐれ

またまた日本映画である。

この映画は極めて日本的な日本映画であると思った。というのも登場人物がでしゃばらない。

主人公の文四郎、おふくが互いに相手を思いながらもそれを言葉にせず、態度にも見せないというのは日本人の真骨頂を見た気がした。ラストシーンの「忘れようと、忘れ果てようとしても、忘れられるものではありません」というセリフにこの映画の主人公の態度が凝縮されているように思う。

ストーリーは少々難解かもしれない。ただ追えないという事もない。小説の処理としてはなかなかうまくいったほうではないか?一つだけ注文をつけるとすれば、犬飼兵馬である。あの映画だけを見たもので、犬飼がなんなのかわかった人は恐らくいまい。ちなみに僕も原作を読んでいなかったため、なんでこの人が出てきて、主人公と対決するのかまったくわからなかった。無理に出さなくても良かったんじゃないか、そんなふうに思う。

この映画でもっとも切ないシーンは、主人公が反逆者とされてしまった父の遺体を乗せた大八車を引き、越すに越せない坂道で難渋するシーンであったろう。あらゆる万難を排して、走り、助けなおかつその全てに言葉を介さないおふくの姿と、屈辱の思いに苛まれ、人々にさげすまれ、それでも父への尊敬の念を捨てず、必死に大八車を引く文四郎の姿、あのシーンは絶品であった。このシーンだけでもこの映画を見る価値はある。ぜひ見に行って欲しい。

またこの映画は父と子の物語でもある。主人公は父と同じ陰謀に巻き込まれる。「父を恥じてはならぬ」というセリフはこの物語を統御する中心的セリフであろう。この後に続く全てのエピソードはこのセリフに収斂されていくと思う。表面的に捉えれば「父を恥じてはならぬ」は「それでも胸を張って生きてゆけ」という反逆者の子となってしまった我が子への気遣いと読める。だが、このセリフは「父は信念に基づいて事を起こしたのだ」という言外の意味を含む。その後に起こる陰謀を主人公が払いのける様はまさしく結果は違えど父と同じく信念に基づいた行動であるのだ。ゆえに二人の行動は相似形をなす。このことはむしろこう言えばいいだろうか?父が子に教えていたからこそ子は父とは違う結果を導き出せたのだと。やはり父と子の物語なのだ。

久々によい映画にめぐりえた。感傷的にもならず、必要以上に饒舌でなく、抑制の効いたいい映画である。お奨めの一本である。

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