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2005年10月

2005/10/30

静かなるドン

約2週間ほどかけて「静かなるドン」を読んだ。この漫画を読むのは久々だった。

以前はコミックを持っていたのだが、引越しに伴いその全てを捨ててしまった。今回はコミックをわざわざ買うのではなく、インターネットで読んだのだ。時代の変化を思わずにはいられない。

現在連載中の漫画であり、なおかつ、ネットでは70巻までしか掲載されてないから全体云々はなかなか言えないが、この漫画は二つの話に分断される。

一つはヒロインの秋野が静也をやくざと知るまでと知った後だ。これは秘密の取扱いとしても興味深い作品となっている。秋野が静也をやくざだと知るまでは、典型的なヒーロー、ヒロインの物語だ。スーパーマンしかり、ウルトラマンしかり、古今東西よくある話の典型なのだ。主人公の秘密を知っているのはごく一部の人間だけで、その他の人はあまりの落差にこれが同一人物だとはわからない。当然そこで主人公は秘密を知られてはならないから悲喜こもごもの努力をする。この努力のさまが案外ドラマを作りやすくしている。

しかし「静かなるドン」はヒロインが秘密を知ってしまうのだ。主人公の秘密は秘密でなくなり、ヒロインが秘密を背負い込む形になっている。したがってヒーローは戯画化されてしまう。秋野が静也の心中を忖度するさまは、静也を一種の道化にしているような気がしてならない。静也の頑張りが空回りしているように見えてしまうのだ。損な展開だと僕は思うのだがどうだろうか?

さて、この作品は鬼州組との決戦以降、彩子との話を挟んで、チャイニーズマフィア、アメリカンマフィア、ロシアマフィアと世界のマフィアと戦っていくのだが、なんとも漫画的というか。かなり無茶な設定思えるのだが、何故か読ませてしまう。思うにキャラが立っている作品なだけに、そこに救われているのかな?生倉のおやっさんいけてます!

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2005/10/18

となり町戦争

とまどいと怒りを覚えた小説だった。何とも言えず気分の悪い小説だと思う。

戦争を経験していない僕らの戦争に対するステレオタイプ的な発想を逆手に取った小説だといえるだろう。開戦も終戦も知らぬ間に起こり、全体としていつどのように戦っているかさっぱりわからないという設定は、平和ボケといわれる日本国民にとって案外しっくり行くのかもしれない。戦争に関する猛烈なリアリティのなさがこの小説を成立させる空間を作り出しているといえよう。

この小説では兵士が死んでいく場面は描かれていない。というよりも、この小説に顕著な特徴は主人公は「戦争とは人が死ぬ」という一点にリアリティを求めようとしているところにある。「戦争とは人が死ぬ」というあまりに単純化、図式化された問題意識が全体を貫徹し、日常=平和と、非日常=戦争が溶解し、その境目を掴むことのできない主人公がふわふわと浮遊している。戦争に対するリアルな感情を抱けず、定型化された戦争に対するイメージが、小説中で展開される”リアルな事件”を通して対比され、抉り出され、揺れていく。しかし主人公は最後までリアルな感覚を掴むことなく、結局は「戦争とは人が死ぬ」という単純かつ図式化された問題意識から抜け出すことはできない。主人公が得たリアルとは戦争遂行を任された香西さんという女性公務員に対する愛情だけであった。これは日本人の戦争に対する認識の限界を示した小説だといえるかもしれない。

「だが」と呟いてみたくなる。本当に日本国民は戦争に対してリアリティを持っていないのだろうか?いやいや、「戦争とは人が死ぬ」ということだけが戦争の問題意識なのだろうか?

ちょっと今日における日本をめぐる国際情勢を考えてみればいい。「戦争とは人が死ぬ」という単純な認識をしている日本人は今やほとんどいなくなったのではないか?イラクを見ればいい。ブッシュによって戦争に引きずり込まれたこの国は一体今後どのようになっていくか?中国との摩擦を考えてみればいい。東シナ海におけるガス田開発はどうだ?台湾海峡は?靖国は?おそらく多くの日本人は社会党全盛なりし頃の平和主義に懐疑的でありまさに「リアル」に戦争の危機を感じ取っているのではないか。「戦争とは人が死ぬ」という問題意識だけで戦争を捉えるならば、今日的な日本人の危機意識を説明しつくすことはできない。いやむしろ「戦争とは人が死ぬ」という問題意識こそ現在の日本人が懐疑的になっている平和主義の代表的問題意識であり、絶対平和主義と揶揄される武力を徹底的に排除するという解に導きやすい問題提起としてまさに疑われているのではないか?

時代認識が少し古いと思う。十年前ならこの小説は鮮やかな光芒を放ったろうに。僕はこの小説を「遅れてきた小説」と呼びたい。

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2005/10/13

蝉しぐれ

またまた日本映画である。

この映画は極めて日本的な日本映画であると思った。というのも登場人物がでしゃばらない。

主人公の文四郎、おふくが互いに相手を思いながらもそれを言葉にせず、態度にも見せないというのは日本人の真骨頂を見た気がした。ラストシーンの「忘れようと、忘れ果てようとしても、忘れられるものではありません」というセリフにこの映画の主人公の態度が凝縮されているように思う。

ストーリーは少々難解かもしれない。ただ追えないという事もない。小説の処理としてはなかなかうまくいったほうではないか?一つだけ注文をつけるとすれば、犬飼兵馬である。あの映画だけを見たもので、犬飼がなんなのかわかった人は恐らくいまい。ちなみに僕も原作を読んでいなかったため、なんでこの人が出てきて、主人公と対決するのかまったくわからなかった。無理に出さなくても良かったんじゃないか、そんなふうに思う。

この映画でもっとも切ないシーンは、主人公が反逆者とされてしまった父の遺体を乗せた大八車を引き、越すに越せない坂道で難渋するシーンであったろう。あらゆる万難を排して、走り、助けなおかつその全てに言葉を介さないおふくの姿と、屈辱の思いに苛まれ、人々にさげすまれ、それでも父への尊敬の念を捨てず、必死に大八車を引く文四郎の姿、あのシーンは絶品であった。このシーンだけでもこの映画を見る価値はある。ぜひ見に行って欲しい。

またこの映画は父と子の物語でもある。主人公は父と同じ陰謀に巻き込まれる。「父を恥じてはならぬ」というセリフはこの物語を統御する中心的セリフであろう。この後に続く全てのエピソードはこのセリフに収斂されていくと思う。表面的に捉えれば「父を恥じてはならぬ」は「それでも胸を張って生きてゆけ」という反逆者の子となってしまった我が子への気遣いと読める。だが、このセリフは「父は信念に基づいて事を起こしたのだ」という言外の意味を含む。その後に起こる陰謀を主人公が払いのける様はまさしく結果は違えど父と同じく信念に基づいた行動であるのだ。ゆえに二人の行動は相似形をなす。このことはむしろこう言えばいいだろうか?父が子に教えていたからこそ子は父とは違う結果を導き出せたのだと。やはり父と子の物語なのだ。

久々によい映画にめぐりえた。感傷的にもならず、必要以上に饒舌でなく、抑制の効いたいい映画である。お奨めの一本である。

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2005/10/10

鳶がクルリと

傑作とまっではいかないのだろうが、シングルヒットと言えるのではないか?なかなか面白いコメディである。

エリートOLが会社の命令で鳶のところに行き、仕事をまとめてくるという極めて単純な話なのだが、この鳶たちの強烈な個性が楽しい。

この映画、イメージショットがかなり多かった。例えばツミがシーツを手に庭先で踊るシーンなどだ。ひょっとしたら監督はミュージッククリップなどをたくさん造った人ではないかと思ったがパンフレットを見たらやっぱりそうだった。

この手の監督さんというのはストーリーテラーとしてはどうなんだろう?といつも思う。一時期アメリカでもこの手の監督さんがかなり出た。今でもたくさん出ているのかもしれない。この作品は手堅くまとめていたが、さて次回作はどうなんでしょうねぇ。

通山愛里という若い女優さんが出ていた。まだ荒削りな感じがするけど、豊かな才能を感じさせるな。これからに期待だ。

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六番目の小夜子

つまらくはない作品ではあるが、どうなんだ?著者もあとがきで語っているように日本ファンタジーノベル大賞で酷評されたというがそれもなんだかうなずける感じだ。

根本的にこの作品の最大の謎はサヨコって何だ?というところにあると思うのだが、それに対して作者は裏で糸を引いていた人物を提示するものの、はっきりそれがなんであるかは語っていない。あくまで匂わすだけなのだ。僕個人の好みもあるのだが、謎を完全に解決してくれないと不完全燃焼になってしまう。匂わすというのは読者に対してアンフェアーな行為だと思うのだがどうだろう?

どんな小説にせよ謎の設定と解決は意外と重要なものなのだ。なぜなら、そこに著者の主張が最も色濃く反映されるからだ。テーマといっても良い。それを匂わすだけで終わらせるというのはテーマや主張を見えなくする。読後感がどうもしっくりこない、カタルシスがないなぁと感じるのははっきりとしない謎に主張やテーマを見出すことができないところから来ていると思う。

また、高校生達の会話にイライラ感が募った。突然敬語調になったりして、リズムが狂ってしまう。会話はキャラクターの個性を引き出す最も簡便な方法だと僕は思っているのだが、それに敬語を含ませると個性を覆い隠してしまう。作者はあえて軽妙な感じを狙ってやったと思うのだが、成功しているようには思えない。

解説で川と時間軸について解説子は述べていたがこれについてはこの著者の作品をたくさん読まないとちょっとわかりずらいと思った。これから僕もこの作者の作品を意識的にフォローしていきたいと思う。

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