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2005/09/19

がんばっていきまっしょい

最近になってフジ系でドラマ化された作品。といっても僕はこのドラマを見ていない。僕が見たのは映画のほうだ。そう、田中麗奈のあれである。

この作品は実際には2編収められている。一つは表題の「がんばっていきまっしょい」。もう一つはその続編とも言うべき「イージー・オール」である。がんばっていきまっしょいのほうが琵琶湖への道だとしたならば、イージー・オールはその琵琶湖そものである。琵琶湖とは全国大会である。

感想の前に技術的なことを一つ。紙数の制限があったのだろうが、ボートの解説がちょっと粗雑だ。もう少し説明が欲しいところだ。こういうところをおろそかにすると先に読み進むのがちょっと苦しくなってしまう。特に一般にはあまり知られていない世界のことを描くなら基本設定にかかわることなので大事にしてもらいたいなと思う。(それにこういう説明の文っていうのは案外読んじゃうものですよ。知らない世界を知るというのは楽しいからね)

さて、とくにがんばっていきまっしょいのほうに顕著であるが、悩める高校生の生な姿が描かれていた。ゆえに時代が隔たっているにもかかわらず、普遍性を保っているように感じられた。とくに主人公がボートを「発見」するまでの心のありようは誰にでも共感できるものではないか。主人公は入学早々落ちこぼれてしまう。理想とする姿になりたいと考えるが、そもそも理想そのものが主人公には掴めていない。できのいい姉がいるがその姉の描写は少ない。主人公にとっては姉は理想でもなんでもなく、とんでもなくすげえ奴だったんだなとだけ思うのだ。ゆえにこの作品においては姉は主人公の単純な比較対照ではないのだ。

数ある部活から選んだのはボートなわけであるが、主人公は入学前の半日の家出で海に浮かぶボートを見て「ボートってなんかいいな」と思うのがきかっけである。たとえ女子のボート部がなくても彼女は作ってしまう。それは僕の目にはワンアイディアにすがりつくような感じに見えた。飛び切りのアイディアを思いついてそれを実行していこうという姿は現状に喘いでいる主人公にとってとても大切なことなのだろうと思う。だからこそ苦労して部員集めをするのだ。滑稽に見えないこともないが、しかしそれだけでは語りつくせないことがある。現状を変えるというのはまさにそういうパワーに依拠しなければ成し遂げられないことなのではないか。僕は彼女の姿を笑えないと思った。僕の高校時代はまさに喘いでいたのだから。

しかし作ってみたものの新人戦で惨敗するまで主人公達は本気にはならない。本気になるのは「お嬢さんクルーに負けんな」と他校の生徒に言われてからである。ここに本質が隠れているのではないかと思う。主人公は女子ボート部という器を作ったに過ぎないのだ。だからこそ主人公は現状への喘ぎが止まらないのだ。器には何も価値はないということか。あるいは仏を作っても魂が入らないと意味がないというべきか。主人公達は本気になって練習に打ち込み、今までいなかったコーチをOB・OGに頼み、器に水を注いで、魂を入れるのだ。

がんばっていきまっしょいはそんなふうな若い高校生の成長物語である。それは同時に友情の物語になってもいる。仲間がいなければ基本的に何も出来ないナックルという競技においては必然のことであろう。僕はこの部分は「スタンドバイミー」を思い出していた。うろ覚えですまないが、この「スタンドバイミー」に影響されてジョディー・フォスターだかメリル・ストリープが女の友情を描いた映画作品を作っていたように思う。このがんばっていきまっしょいはその作品をはるかに抜き高い品質を保っている。なかなか読ませる作品だ。

お奨め作品だ。特に僕のように高校時代がはるか遠くになってしまった人間にとっては気恥ずかしく、同時に胸が熱くなる作品だ。ぜひ年取った人に読んでもらいたい作品である。

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