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2005/09/26

電車男その11

とうとう最終回となった。

映画にはなかった大人のキスが入っていたのには笑った。しかもなぜか口のところにはぼかしが入っていた。史上初じゃないか、キスシーンにぼかしを入れたのは!アダルトビデオじゃあるまいし。

当然のようにハッピーエンドで終わった。全体を通しての感想は妙に収まりのいい作品であったということだ。こぎれいな作品とでも言おうか。

この作品の最大の特徴は電車男とエルメスに名前が与えられ、その生活の背景が描かれたということだ。漫画等は読んでないから知らないが、この特徴は原作本、映画にも見られなかった設定であった。

原作にせよ映画にせよ、この物語は100%電車男の視点で描かれている。したがってヒロインであるエルメスは偶像化され、理想的な女性として描かれている。また電車男は非常に奥手な男性として描かれそれはそれで、もてない男の典型例としてこれまた理想的な人物造形となっている。しかしTV版ではそうはなっていない。名前を与えたがゆえに陳腐化してしまったように思う。エルメスは恋に怯え、周りの男性の気持ちに鈍感な女として描かれ、電車男は奥手であるというよりもむしろ、弱弱しい印象がある。偶像化されるような人物にはなっていない。したがって、この二人に感情移入が極めてしずらかった。

原因はいろいろあるだろうが、まず第一にTVは3ヶ月にわたって放送されるという長さの問題があるだろう。原作に細かな枝葉をつけなければ持たないというのは、当然考えられうる原因だ。しかしもうひとつは視点がぶれたことにあるだろう。原作や映画が比較的よくまとまっていて、読み応えがあったのは電車男の視点しかないというところにあったと思う。それは簡潔であり、一直線に大団円に向かって進んでいくという面白さがあったが、TVでは電車男とエルメスの複眼的な語り口で物語を進めていくわけだから、どうしても簡潔ではなくなり一直線というよりもエッチラ、オッチラ物語が進んでいかざるを得ない。おかげで物語の緊密性が電車男のストーリーとエルメスのストーリーが別ベクトルで動いているため、薄く、盛り上がりが削がれてしまうのだ。

またこの作品は危機の作り出し方が強引過ぎたように思う。毎回毎回、さまざまな危機が電車男に訪れるが、しかしそれらの危機にはリアリティが薄く、乗れないように思った。作品中危機としてリアルであったのは、うそをついてコミケに行ったことと、ネットの掲示板がばれたことくらいであった。映像としては一つ一つの危機は面白かったが、面白いというだけで視聴者の心を鷲づかみにするというほどのものでもなかったように思う。

ところで不可解なのは幼馴染の桜井が登場したときは、頼れるお兄さん的な設定で入ってきたのに、いきなり口説く側にまわったことである。登場人物の性格がこうまで変わってしまうことに僕は戸惑いを覚えた。登場人物というのはひとつの貫徹した行動をさせなければならない。いきなりコメディリリーフをやらせるとは何事か。もう少し考えて造形を行ってほしいと思う。

ま、桜井が変わってしまったことはおそらく陣釜というキャラクターが意外に使えないとわかったからではないかと思う。陣釜はあまりに単調すぎた。電車男にとっての疫病神なのだろうがただそれだけの存在というのは案外つまらないものなのだと思う。僕はそう感じたが本当の所はどうなのだろうか?

最後にネットの住人たちとのやり取りについて。ネットは当然文字だけで行われるものであり、活字メディアといえる。その活字メディアをいかに映像化しようとするか、これはなかなかの問題であった思う。現状ではネットに文字を打ち込んでいる本人が声に出して自分の文章を読むという方法しかないのだろうと思う。ただそれは独白にも似てひどくつまらなく、また物語のスピード感を落としてしまう。加えて、その住人たちの個性を印象付けようとすれば、どうしたってコスプレしかなくなってしまうのだろう。ほっきり言って僕にはウザイだけの感じしかもてなかった。おそらくこれからこういったことの表現はどんどん洗練されていくのだろうなと思う。これからの進化に期待。

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