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2005年9月

2005/09/29

NANA

今話題の映画である。今年は邦画に話題作が多い。映画ファンとしては実にうれしい一年である。

行って見たら観客のほとんどが女性であった。男などカップルでたぶん彼女に連れてこられちゃった人なのだろう。そんな中、男が一人、しかも30過ぎたおっさんが見に行くのは実に気恥ずかしい。下手したら小学生の女の子と一緒に見ていたりするのだから・・・・・・・・。でもしっかり見てきたよ。

実は原作を読んでいない。話題になっているのは知っていたが、なんとなくこれまで触れる機会がなかった。したがって、原作のファンとはちょっと違う感想かもしれない。

さて内容だが、僕はいいじゃないとは思った。しかしここまでヒットする作品なのだろうかと考え込んでしまった。ストーリーを語るのに忙しく、上っ面な感じがしてしまったのだ。例えばハチが章司の浮気を知ってしまう場面。あそこは本当はものすごい葛藤が原作に描かれていたのではないだろうか?映画ではハチがわんわん泣いて、ナナが添い寝するというシーンで終わっていたと思うのだが、本当はここの葛藤、あるいは未練が描写されてしかるべきだろう。よくよく考えればハチが章司を信頼しきって依存している状態の描写もあっさりしている。ハチ、章司、幸子そしてその友人の描写はもっと濃密に描いて欲しかったかもしれない。劇中、章司が早乙女に「ハチは面倒な女なんだから」と説教されるシーンがあるのだが、僕にはちっとも面倒な女の子には見えなかった。むしろ章司の家で掃除をしたり食事をしたりというシーンを見て好ましく思った。そして、そんなハチを追い出して自分の住まいを見つけさすのをなんて冷たい!と思ったりもした。ハチのストーリーはその大部分がばっさり切り落とされているのではないか?そんな気がした。実際の原作ではどうなんだろう?む、む、むこれはきちんと読んでいかなければ!

一方のナナのほうだが、こちらは非常に丁寧に描かれていたように思う。こちらは比較的原作に忠実なのではないかと思った。って、読んでないけど・・・・・・。レンとヨリを戻すまでの心の揺れが非常に繊細に描かれてすんなりナナに乗れた。特にレンの首に掛けられた鍵の使い方のうまいこと!感心してしまった。

ナナはかっこいい人物として描かれているといっていいんでしょうな。そのかっこいい女でさえも悩み苦しみ、決してスーパーマンではないというのが共感を呼ぶのだろうな。僕もナナのストーリーには前のめりになった。

映画全体としてはこれは物語の序章に過ぎないという印象を持った。今まで違う環境で育った二人が一つの家に住み、一つの物語を紡いでいくための前提条件がやっとそろったという感じだ。物語のラストタクミとハチが会うのだが、ここでやっと二人の物語が一つになったといえると思う。それまではハチのストーリー、ナナのストーリーと明確に分けられ、互いが互いのストーリーに影響を与えることはほとんどない。従って、ここまではただ一緒に住んでいるというだけで百凡の女の友情物語の域を出ていない。恐らくタクミという存在を梃子にしてこの二人のストーリーは一つの明確な道筋が付けられていくのではないか?そんなふうに思った。

主演をやった中島美嘉はなかなかの名演であった。はっきり言ってこんなに芝居ができる人だとは思わなかったから意外でさえあった。プロフィールを見るといくつかの作品に出演しているようだ。知らなかった。すまんって感じだ。

また同じく主演の宮崎あおいを僕は知らなかった。とてもキュートでかわいらしい女優だと思った。ただ今回はちょっと損な役回りなのかも知れない。ナナの存在感のほうが圧倒的でどうしても霞みがちであった。ただ続編も製作されるというふうに聞いている。今後の展開と、彼女自身の成長に期待というところか。

原作読むぞ!何としても時間作って読んでやる!

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2005/09/26

電車男その11

とうとう最終回となった。

映画にはなかった大人のキスが入っていたのには笑った。しかもなぜか口のところにはぼかしが入っていた。史上初じゃないか、キスシーンにぼかしを入れたのは!アダルトビデオじゃあるまいし。

当然のようにハッピーエンドで終わった。全体を通しての感想は妙に収まりのいい作品であったということだ。こぎれいな作品とでも言おうか。

この作品の最大の特徴は電車男とエルメスに名前が与えられ、その生活の背景が描かれたということだ。漫画等は読んでないから知らないが、この特徴は原作本、映画にも見られなかった設定であった。

原作にせよ映画にせよ、この物語は100%電車男の視点で描かれている。したがってヒロインであるエルメスは偶像化され、理想的な女性として描かれている。また電車男は非常に奥手な男性として描かれそれはそれで、もてない男の典型例としてこれまた理想的な人物造形となっている。しかしTV版ではそうはなっていない。名前を与えたがゆえに陳腐化してしまったように思う。エルメスは恋に怯え、周りの男性の気持ちに鈍感な女として描かれ、電車男は奥手であるというよりもむしろ、弱弱しい印象がある。偶像化されるような人物にはなっていない。したがって、この二人に感情移入が極めてしずらかった。

原因はいろいろあるだろうが、まず第一にTVは3ヶ月にわたって放送されるという長さの問題があるだろう。原作に細かな枝葉をつけなければ持たないというのは、当然考えられうる原因だ。しかしもうひとつは視点がぶれたことにあるだろう。原作や映画が比較的よくまとまっていて、読み応えがあったのは電車男の視点しかないというところにあったと思う。それは簡潔であり、一直線に大団円に向かって進んでいくという面白さがあったが、TVでは電車男とエルメスの複眼的な語り口で物語を進めていくわけだから、どうしても簡潔ではなくなり一直線というよりもエッチラ、オッチラ物語が進んでいかざるを得ない。おかげで物語の緊密性が電車男のストーリーとエルメスのストーリーが別ベクトルで動いているため、薄く、盛り上がりが削がれてしまうのだ。

またこの作品は危機の作り出し方が強引過ぎたように思う。毎回毎回、さまざまな危機が電車男に訪れるが、しかしそれらの危機にはリアリティが薄く、乗れないように思った。作品中危機としてリアルであったのは、うそをついてコミケに行ったことと、ネットの掲示板がばれたことくらいであった。映像としては一つ一つの危機は面白かったが、面白いというだけで視聴者の心を鷲づかみにするというほどのものでもなかったように思う。

ところで不可解なのは幼馴染の桜井が登場したときは、頼れるお兄さん的な設定で入ってきたのに、いきなり口説く側にまわったことである。登場人物の性格がこうまで変わってしまうことに僕は戸惑いを覚えた。登場人物というのはひとつの貫徹した行動をさせなければならない。いきなりコメディリリーフをやらせるとは何事か。もう少し考えて造形を行ってほしいと思う。

ま、桜井が変わってしまったことはおそらく陣釜というキャラクターが意外に使えないとわかったからではないかと思う。陣釜はあまりに単調すぎた。電車男にとっての疫病神なのだろうがただそれだけの存在というのは案外つまらないものなのだと思う。僕はそう感じたが本当の所はどうなのだろうか?

最後にネットの住人たちとのやり取りについて。ネットは当然文字だけで行われるものであり、活字メディアといえる。その活字メディアをいかに映像化しようとするか、これはなかなかの問題であった思う。現状ではネットに文字を打ち込んでいる本人が声に出して自分の文章を読むという方法しかないのだろうと思う。ただそれは独白にも似てひどくつまらなく、また物語のスピード感を落としてしまう。加えて、その住人たちの個性を印象付けようとすれば、どうしたってコスプレしかなくなってしまうのだろう。ほっきり言って僕にはウザイだけの感じしかもてなかった。おそらくこれからこういったことの表現はどんどん洗練されていくのだろうなと思う。これからの進化に期待。

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2005/09/19

がんばっていきまっしょい

最近になってフジ系でドラマ化された作品。といっても僕はこのドラマを見ていない。僕が見たのは映画のほうだ。そう、田中麗奈のあれである。

この作品は実際には2編収められている。一つは表題の「がんばっていきまっしょい」。もう一つはその続編とも言うべき「イージー・オール」である。がんばっていきまっしょいのほうが琵琶湖への道だとしたならば、イージー・オールはその琵琶湖そものである。琵琶湖とは全国大会である。

感想の前に技術的なことを一つ。紙数の制限があったのだろうが、ボートの解説がちょっと粗雑だ。もう少し説明が欲しいところだ。こういうところをおろそかにすると先に読み進むのがちょっと苦しくなってしまう。特に一般にはあまり知られていない世界のことを描くなら基本設定にかかわることなので大事にしてもらいたいなと思う。(それにこういう説明の文っていうのは案外読んじゃうものですよ。知らない世界を知るというのは楽しいからね)

さて、とくにがんばっていきまっしょいのほうに顕著であるが、悩める高校生の生な姿が描かれていた。ゆえに時代が隔たっているにもかかわらず、普遍性を保っているように感じられた。とくに主人公がボートを「発見」するまでの心のありようは誰にでも共感できるものではないか。主人公は入学早々落ちこぼれてしまう。理想とする姿になりたいと考えるが、そもそも理想そのものが主人公には掴めていない。できのいい姉がいるがその姉の描写は少ない。主人公にとっては姉は理想でもなんでもなく、とんでもなくすげえ奴だったんだなとだけ思うのだ。ゆえにこの作品においては姉は主人公の単純な比較対照ではないのだ。

数ある部活から選んだのはボートなわけであるが、主人公は入学前の半日の家出で海に浮かぶボートを見て「ボートってなんかいいな」と思うのがきかっけである。たとえ女子のボート部がなくても彼女は作ってしまう。それは僕の目にはワンアイディアにすがりつくような感じに見えた。飛び切りのアイディアを思いついてそれを実行していこうという姿は現状に喘いでいる主人公にとってとても大切なことなのだろうと思う。だからこそ苦労して部員集めをするのだ。滑稽に見えないこともないが、しかしそれだけでは語りつくせないことがある。現状を変えるというのはまさにそういうパワーに依拠しなければ成し遂げられないことなのではないか。僕は彼女の姿を笑えないと思った。僕の高校時代はまさに喘いでいたのだから。

しかし作ってみたものの新人戦で惨敗するまで主人公達は本気にはならない。本気になるのは「お嬢さんクルーに負けんな」と他校の生徒に言われてからである。ここに本質が隠れているのではないかと思う。主人公は女子ボート部という器を作ったに過ぎないのだ。だからこそ主人公は現状への喘ぎが止まらないのだ。器には何も価値はないということか。あるいは仏を作っても魂が入らないと意味がないというべきか。主人公達は本気になって練習に打ち込み、今までいなかったコーチをOB・OGに頼み、器に水を注いで、魂を入れるのだ。

がんばっていきまっしょいはそんなふうな若い高校生の成長物語である。それは同時に友情の物語になってもいる。仲間がいなければ基本的に何も出来ないナックルという競技においては必然のことであろう。僕はこの部分は「スタンドバイミー」を思い出していた。うろ覚えですまないが、この「スタンドバイミー」に影響されてジョディー・フォスターだかメリル・ストリープが女の友情を描いた映画作品を作っていたように思う。このがんばっていきまっしょいはその作品をはるかに抜き高い品質を保っている。なかなか読ませる作品だ。

お奨め作品だ。特に僕のように高校時代がはるか遠くになってしまった人間にとっては気恥ずかしく、同時に胸が熱くなる作品だ。ぜひ年取った人に読んでもらいたい作品である。

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2005/09/18

電車男・テレビ版その10

やっとこの話を書く。というより忘れていた。

ピンチに陥った電車をネットの住人達が必死になってすくおうとする物語であった。

印象的なのは陣釜さんだった。なんか責任感じて電車男の部屋に上がりこんで襲うというのは男にとって夢なのか、地獄なのか。笑ったけど。僕だったらあのままやっちゃうんだけどな、などと思ったりもする。

いかにエルメスに電話するか、今回はこれに尽きるのではないか。ただその過程はちょっと陳腐で先が読めてしまいそうな感じがしたが。

ま、最終回をちゃんと見てからってことでしょうな。

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チャーリーとチョコレート工場

実は見るまでティム・バートン作品とは知らなかった。始まってすぐのオープニングロールで知ったわけだ。監督の名前を見た瞬間期待が持てるぞと思ったのだが、想像以上に素晴らしい出来だった。こういうの撮らせるとほんとうまい監督だと思う。

この作品の助演賞はあのウンパ・ルンパをやったちっちゃいおっさんでしょう。みんな同じ顔なんだもんビックリだよ。しかも踊りも奇妙だし、歌もなめきっているしこんな妙にゆるい感じがとってもいい感じの作品だった。

主演はジョニー・デップ。彼の今回の役は工場経営者なのだが、独特の無機質感があってすごかった。あの微妙に長く、キューティクルがちっとも失われていない髪形。白塗りの顔。ハイテンションなんだかなんだかわかんないしゃべり。いっちゃってる感じが素晴らしい。

回想シーンが度々出てくるが物思いにふけるデップの顔は本当に言っちゃってる感じだ。

しかしティム・バートン監督というのは天才だな。寓話の天才とでもいうのだろうか?シザーハンズのときも思ったが、舞台の造形の仕方が彼は独特だ。これは他の監督のファンタジー作品にはないものだと思う。例えば町並みの描写。同じ形の建物がずっと並び、見ている観客は妙な感覚に襲われる。シザーハンズの時も同じ様に町並みの空撮があったがみな同じ形の建物で色だけが違っていたように思う。しかも色も黄色とか青の原色で随分へんてこな気持ちがしたものだ。あれってアメリカでは普通の光景なのだろうか?僕はあんなのないと思うのだが。

それとチョコレート工場の造形。近代的なんだかローテクなんだかよくわかんない感じがする。妙な混ざり具合とでも言おうか、独特の造形だと思う。そこになんとなくおかしみがあって面白いのだ。だいたいあのチョコレート工場、見ただけでは工場とは思えないもんなぁ。どちらかというと宮殿みたいな感じだ。しかも内部はカラフルなくせに外観はそっけない白。表と内部の落差の激しさが、恐らく意図したものだとは思うが、不思議な世界の強調するような恰好になっている。

ストーリーは言ってみれば教訓話だ。最終的には家族は大事ってな事になる。ま、児童書が原作になっているようだから、これは当たり前の話。とりたてて目くじら立てるほどのこともないだろう。もっとも僕は主人公がチョコ工場を受け継ぐかどうかの選択を迫れたシーンはなぜか金の斧、銀の斧を思い出してしまい、笑ってしまった。

おすすめの映画だ。この秋一番かもしれない。みんな早く見に行こう。小人と一緒に歌うのだ!

最後に一つ、国旗を集めたシーンの落ちは笑った。なかなかのギャグだと思う。

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タッチ

あのタッチが映画になる。しかも実写で。こういった報に接すると無条件に「ああ、だめだコリャ」と思わず呟いてしまうのは、漫画の原作で実写映画になったものにろくなものがないというのを経験上よく知っているからだろう。ようするに大して期待していない映画であった。

ところがこれが素晴らしかったのだ。ちゃんと青春映画になっていた。なかなかの佳作だ。

長澤まさみが画面に登場するとそこに浅倉南がいた。あの南ちゃんが実写になってるぞ!これはすごい。原作を知っているものとして、あの熱狂的なブームを知っているものにとって、これは驚異的なことだった。新鮮な驚きだった。

映画は全体として原作の雰囲気を残していると思う。原作にあった爽やかさがあった。温度がよく似ているとでもいうのだろうか。とてもいい映画だった。

この作品の美しいと思ったシーンは、和也死んで南が高架下の柱に寄りかかって号泣しているところ、そして雨の中、走る南と達也のシーンだ。衝撃的な死という事実を前にして残された2人が必死にその事実を乗り越えていこうとするシーンが切なかった。日本の青春とはいいものだと思った。

こういう映画はいいものだと思った。最近のハリウッド映画はやたらベッドシーンが多い。それはそれで映画の構成上必要なことなのかも知れないが、僕は思ってしまうのだ、それが本当に必要なことなのかと。人間の人生の一こまを切り取るメディアの映画が描く愛とか恋とかに本当にそれが重要なことなのだろうかと。ほかにもっと必要なことがあるのではないのかと。また、表現としてベッドシーンに安住していいのかと。もっと違う表現を真摯に追うべきではないかと。そう思うのだ。

このタッチという映画は偶然かどうか知らないが、そういったことに成功している稀有な例かもしれないと思った。画面全体から流れる切なさは胸を締め付けられる思いがする。良い映画だ。

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2005/09/11

雨月物語 癇癖談

いわずと知れた上田秋成の有名作品である。新潮日本古典集成の中の一冊である。

これを読むのに途中病気をしたり、時間が取れなかったリで結局丸一月も掛ってしまった。もう少し早く読み終えておきたかった。

さて感想だが、よく雨月物語は怪談であるというような言われ方をするが、別にこれを読んだからといって夜眠れなくなるとかそういうことはない。現代とあまりに時間が隔たっているからなのだろうか?

この上田秋成という人の文章を読んで驚いたのがその文体の格調の高さである。以前滝沢(曲亭)馬琴の南総里見八犬伝を読んだが、雲泥の差である。秋成の文章は美しい。

その美しさで書くこの雨月物語のなかで僕は一番印象に残っているのは「青頭巾」である。美少年への妄執に駆られた僧侶が人肉を食らい、鬼となる。それを快庵という別の僧が成仏させる話であるが、その迫力ある描写に圧倒された。この描写は細身の筋肉質の俊敏に動く動物を思わせ、一切無駄のない美しさを持つ作品だ。江戸時代という時代に対する印象を変えるような衝撃力を持っている。この時代にこんな作品を書ける人がいたとは恐れ入る。

さて、癇癖談だがこれで「くせものがたり」と読む。秋成晩年の作品であるらしく、文明批評となっている。

僕はこの手の文章が嫌いなのだが一応我慢して読んでみたが、やっぱり嫌いだ。同時代への容赦ない批評は現代に通じるところもあるのかもしれないが、いかんせん疲れる。また、作者の主観に完璧に乗ることができない僕の性格から言って、この文章は「本当にそうなのかな?」と懐疑的になってしまう。特に遊女についての批評など、僕は受け付けなかった。僕はソープランドだって行くような男だ。遊女に対してどちらかといえば尊敬の念すら抱いているから秋成の時に辛口な批評は僕は好きになれない。ま、そういう辛口な批評を敢えて行えるところが秋成の偉いところなんでしょうけれども・・・・・・。

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2005/09/07

容疑者 室井慎次

正直、TV版を全く見ていなかったのでなんの思いいれもない映画だった。田中麗奈が出ていなければ見てなかっただろう。

感想としては、不完全燃焼だったように思う。基本的にミステリーとしては落第なのではないかと思う。証拠の提示とその処理がなっていないと思う。特に第三の男(最終的に警察に逮捕される真犯人)にたどり着くまでがあっさりしすぎている。っていうか都合よく逮捕されすぎている。もう少し過程をきっちり描いても良かったのではないか。

また、ラストの衆人環視の中での女への尋問だが、恐らく法廷物を意識しているのだろうが、これもどうかと思う。時間が短すぎるし、新証拠にもめぼしいものがない。真矢と筧が出てきて一気に解決では、興味が削がれる。このシーンをきちんと効果あるものにしたければ、その前の段階で準備すべきことがあるだろう。それを全てはしょったのでは意味がないと思う。

またこの尋問のシーンは憲法を軸とした法律論争も含まれているが、刑法など、法学をきちんと勉強した人はついていけただろうが、それ以外の人は難しかったのではないだろうか?僕も必死についていったが、完全に理解するまでには至らなかった。この辺の説明も丁寧にすべきであったろう。

全体的にみてこの映画の主眼は、警察内部の権力争いをみせることにあったのだろう。それに翻弄される人間達に焦点を当てることに主眼があったのだろう。そのような観点から見ればこの映画は成功しているといえるのかもしれない。

それとこれはどうでもいいけど、麗奈の走りは不恰好だったな。とても陸上部には見えなかったよ。

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2005/09/06

妖怪大戦争

大して期待してみたわけではないのだ。大体子供向きの映画だとわかっていたし、それを大の大人が見に行くのはけっこう恥ずかしいし、これはなかなか勇気のいることだったりすのだが、ナイナイの岡村が出ているから、っていう理由で見に行った。

結果は大満足であった。はっきりいって僕好みの映画であった。

あのスピード感と圧倒的な馬力には脱帽だ。さすが三池監督だと思ったわけだ。

主人公の神木君はなかなかの名演技ではなかったか?主人公のなよなよ感と頼りなげな雰囲気はこの少年でないと出せなかったのかもしれない。

どうでもいいが、この神木君は女の子っぽいですな。着替えのシーンは僕は女の子の着替えシーンかと思ってびっくりしたよ。「お、川姫の着替えか」なんて思ってしまった。

名演技といえば、菅原文太だろう。あんなすっとぼけたお爺さんの役をやるとは思わなかった。「小豆は体にええどー」なんて、かなりぶっ飛んだセリフじゃないか。やるねぇ!なんか生き生きしているように見えたのは僕だけか。

この映画は美人の宝庫でもある。川姫をやった、高橋真唯は僕は不覚にも知らなかった。本当にきれいな女優さんだと思う。正直惚れましたよ僕は。

それから、アギ役の栗山千明。今回の彼女は目の周りのどぎついメイクと真っ白い髪型(オナペッツを思い出したのは僕だけか?)で最初彼女とはわからなかったが、なかなかいい悪女っぷりだった。そんなあなたが大好きです。

ちょっとしか出なかったが雪女やったのは吉井 怜さんです。我らがココログの大活躍女優じゃん。「この季節はちょっとねぇ」とかいうセリフ笑いました。

加藤役のトヨエツ。堂々たる悪役ですな。無慈悲で、冷酷で、しかもクールでスマートで、はまり過ぎって感じ。続編もし作ったら、必ずお前出ろよって言いたくなってしまう。

でもなんだかんだで一番おいしい役は岡村さんじゃないのか。TVでは小豆だけあらっとっるとかなんとか言っていたが、最後の落ちを担当しちゃうなんって、一番おいしい所を持っていっちゃったな。やられたなぁ。やっぱあんたコメディの天才よ。

内容的にはこの映画僕が一つだけ難点をあげるとすれば、説教くさいところだな。これだけはいただけないと思ってしまった。まず、妖怪と捨てられた粗大ごみを合体させるなんてところを見ただけであいたたたって感じだったが、最後に水木しげるが出てきて「戦争なんていかんです。腹が減るだけです。」なんてもう卒倒しそうな感じだった。もちろんこのテーマがいけないんじゃなくて、露骨なテーマの表出は観客を興ざめさせてしまう。オブラートに包んで見せるのが作者の腕ってもんだと思うのだ。

でもそれ以外ではこれほど面白い映画はなかった。しかも子供向けの映画であるにもかかわらず、決して子供におもねる姿勢がなかった。主人公がおぼれて、川姫に助けられ、岸で目覚めるシーン。川姫の太ももに手を置きさするなんてのは、なんてエロチックなのか。極めて大胆な表現だと思う。本当にあのシーンはエロチックであった。子供を意識した映画ではああいうシーンはちょっとないのではないか。思春期の入口に立とうとする少年の性への目覚めの出発点なのかなと思ってみたりした。大人になってもあのときの感覚が忘れられない宮迫演じる雑誌の編集者の初恋が川姫であったように。

また、この映画は恐らく漫画的と評される映画なのだろうと思う。飛行機の翼につかまって東京に行くシーン。いきなり画面が止まって、「良い子はまねしないように」とテロップを入れたり、機械と合体させられたスネコスリと戦闘シーンとか、麒麟送子に選ばれる時、頭のてっぺんから麒麟にくわれるとか、それはひどく漫画的な表現といえるものなのだが、しかし表現の可能性を追及していくとああいうふうにならざるを得ないのだろう。そしてそれは、映画にとって正解の表現なのだと思う。強調すべきところをこれでもかと強調することは大切なことなのだと思うのだ。

常々思うのだがこの「漫画的」という枕詞が取れるくらい、実写映画にはがんばって欲しいな。そしていつの日かマンガのほうが「映画的」と評される日が来ればいいのにと思う。

さてCGについてだが、劇中のスネコスリは別として、よくここまで作りこんだなというのが正直な気持ちだ。やっと日本映画もここまできたかと実感した。ただ今回の映画は夜のシーンや暗いところでのシーンが多く、比較的つくりやすかったのではないかと思う。「宇宙戦争」でのトライポッドの最初の出現は昼間であった。これくらいできるようになれば日米で遜色なく、対抗できるような実写が作れるのかなぁと思った次第だ。

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2005/09/02

電車男・テレビ版その9

今週の電車男はあまり印象に残らないものだった。

唯一印象に残ったのは、伊東美咲が電車男の妄想の中で次々と衣装を変えているところだった。伊東美咲、無条件にきれいだぞ!僕はツインポニーテイルにしたのが一番好きだった。

お父さんが出てきた。で、何よこれ、と思った。っていうか離婚の過程ががはっきりしないので(どうもお父さんが若い女の子と浮気したらしいということはわかるが)イマイチ盛り上がらなかったなぁ。おかげで電車男の長台詞も何いってんのかよくわからなかったし、お母さんが離婚届を出しちゃうその心理の変化もよくわからなかった。

唯一よいというか、次に期待を持たせるのは、エルメスに掲示板のことを知られてしまうところである。でも、これはなんか結末が読めるような感じだな。初めはショックだけど、その内容を深く知ることによって、誤解が解けるというような。ひょっとしたらエルメスが実際に掲示板に書き込み、それを住人達が電車のために一生懸命フォローするなんて展開もあるかも。

そんなことを思ってしまいました。

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