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2005/08/13

亡国のイージス 映画版

良くぞ映画化したものだと思う。まずそこを褒めるべきだろう。この長大な原作を映画化しようという冒険心は買うべきだろうと思う。よくやった。

それを踏まえて言うとすれば、この作品を映画で初めて見たという人にはちょっと難しかったのではなかろうか?というのも各登場人物の背景がほとんどばっさり切り落とされているからだ。初見の人にはストーリーを追っていくのはかなり難しいと言わざるを得ないと思う。さらにいえばシーンとシーンのつながりが良くない。どうしてそうなるのか、唐突に感じた人も多いのではなかろうか。特に護衛艦からの総員離艦、そして仙石がただ一人護衛艦に戻っていくシーンは何で?と思わずつぶやいた人も多いだろう。また如月とジョンヒの水中での戦いとキスシーンは混乱を与えただけかもしれない。確かにあれではわかりにくい。

僕はこの作品は原作を先に読んでいたのだが、それでも映像を見ながら、ストーリーを追っていくのがつらかったくらいだ。

原作の書き方はまず初めに人物を提示しその背景を徹底的に描いていく。仙石、如月、宮津の3人3様の人生模様を描写して、その各々違った背景を持った人間が一つのイージス艦に乗り込むという形を取っている。なかなか用意周到に書いているのだ。これを映画にするのは至難の業だったろう。

また「場」の処理ということもある。映画でも原作でも大きく分けて二つの場がある。一つはイージス艦の中、もう一つは総理を迎えた安全保障会議だ。この二つの場をつなぐのが事件の内容を全て知る渥美というキャラクターになるのだが、これの描き方がこれまた省略されているからわかりにくい。従って場の関連性が希薄なのだ。

さらに言えば動機の描き方も重要で基本的には祖国の再生を願う北朝鮮(映画では某国としていてはっきりとは言わない)のテロリストヨンファと、倅を国家に殺された宮津の利害が一致して日本政府を強迫するのだが、これがわかった人、何人いるかな?映画だけ見ていたら何でテロリストと自衛官が手を組んでいるのかわからないだろうな。

また危機の演出もあっさりしていた。安全保障会議が逡巡するのは、イージス艦に載っているであろうグソーという化学兵器を東京に突っ込まれたら困るというのが一つある。もう一つは東京湾によりによって入ってきてしまったイージス艦に対してグソーに対する唯一の解毒剤T-プラスを叩き込むと東京湾沿岸が吹っ飛ぶ可能性が高い。ゆえに安全保障会議は東京湾沿岸を吹っ飛ばしてでもT-プラスをぶち込むか、さもなくば宮津たちの要求を呑むかという究極の選択を迫られるというのがこの作品の危機なのだが、これをちゃんとわかった人は何人いるだろう?

原作を映画にすることの難しさはここにあるように思う。要するに何を捨て何を拾うかである。それは何に焦点を絞るかということでもある。この作品の最大のメッセージは日本自衛隊の抱えた矛盾点を描くことである。宮津、仙石、如月、ヨンファ、渥美という主要なキャラクターを通すことによって、その矛盾点に異なる光を当て問題を浮かび上がらせようとしている。これが原作である。然るに映画はどうか?映画も原作同様の手法を取ろうとしたように思えてならない。2時間少々の時間しかないのに同じことをしようとすると無理が出てくるのは当然ではないかと思うのだ。おかげで人物の背景を切り落とし、結果として人物の行動がわかりづらく、関係性もわからず、画面にはイメージだけが流れているような印象を受ける。一番いただけない手法を取ったのではないか?

常套的には人物そのものを取捨選択すべきだったろう。常識的には宮津と仙石の物語にしてしまうのが常識的な線ではなかったか?どうしてそうしなかったのだろう?疑問が残る。

さて、配役だが、原作を読んだ者からすると真田広之の仙石はかっこよすぎるなぁ。僕のイメージの中では仙石は武田鉄也だったのだが。スマートな仙石もありかもしれない。それから総理大臣役の原田芳雄。怪演だった。やっぱすごいよあんた!と叫びたかった。

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