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2005/08/20

電車男・テレビ版その7

なんじゃそりゃ、と思わず言いたくなってしまったのが今回の放送であった。

前回嘘がばれたところで終わり、今回はその嘘を付いたというダメージをいかに克服していくかというところなのだが、なんだこれと思ってしまったのだ。

まず、前提条件としてエルメスは嘘を付かれる事が絶対に嫌いということがあるのに、今回は「あの程度の嘘を許せないなんて」とエルメス自らに語らせている。何度も言うがハードルは高いほうが燃えるのだ。わざわざ我からハードルを低くする必要がどこにある?ハードルを下げたために盛り上がりを潰してしまっている。

また、電車の行動もわからない。エルメスに嫌われたのはうそをついたことにあるにもかかわらず、それの答えを脱ヲタに賭けてしまう。問いと答えが一致していない。しかも脱ヲタはエルメスの目に見えないところで遂行しているので、脱ヲタ前と後でどんな変化があったのか、エルメスにはわからずかなり独りよがりな行動といえる。

まあ、作者にしてみればコミケがあったから電車は嘘をつかなければならなかった。故にコミケから離れる方法、すなわち脱ヲタという論法なのだろうが、僕には安易な論に見えるのだがどうだろう?

第一電車からヲタという属性を剥ぎ取っていいはずがない。ヲタのない電車などただの人ではないか。

物語のラスト、雨の中待ち合わせ場所にたたずむ電車男とエルメスの邂逅があるが、結局脱ヲタはこの邂逅に大して寄与していない。このラストに流れているテーマは一途な思いということである。それは脱ヲタという行為に現れているのではなく、雨の中何時間も待ち続けるという行為によって表されているのである。

今回の放送は、テーマ(問い)と行為(答え)がかみ合っていない内容であった。不思議な回であった。

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