« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

2005年8月

2005/08/26

電車男・テレビ版その8

これだから連ドラの感想を一話、一話書くのはいやなのだ。今週の電車男を見て感じた。

先週僕は次のように書いた。

また、電車の行動もわからない。エルメスに嫌われたのはうそをついたことにあるにもかかわらず、それの答えを脱ヲタに賭けてしまう。問いと答えが一致していない。しかも脱ヲタはエルメスの目に見えないところで遂行しているので、脱ヲタ前と後でどんな変化があったのか、エルメスにはわからずかなり独りよがりな行動といえる。

僕は作者の意図を誤解していたらしい。前回放送で僕は電車がエルメスに嫌われた原因を上記のように書いた。しかし、作者としては作中人物、電車男に答えをわざわざ誤解させたのだ。そりゃそうだ、電車男はエルメスから何の説明も受けていないのだから。視聴者は人物を大所高所から眺めているから、電車の脱オタクは答えではないと容易にわかるが、作中人物はそうはいかないのだ。人物には人物の時間が流れ、環境があり、それは視聴者が知っている(テレビで見ている)のとは全く違う時間であり、環境なのだ。基本事項ではないか。こんなことをもわからないとは僕は耄碌したな。反省である。

で、今回である。前回雨の中ぶっ倒れた電車男はエルメスに病院に連れて行かれる所から始まるが、う~ん、何といったものか?全体的に不可解だ。

まず、陣釜さんが病室にやってくるが、なんだか無理矢理に入れた感じがしてしまったのは僕だけだろうか?本筋とは全く関係ないシーンに思えてしまった。っていうか、これは別の機会に描けばよかったのではないか?そんなふうに思った。

エルメスと連絡が取れなくなり、落ち込む電車男をネットの住人が励まし、必死になってエルメスと連絡を取ろうとするのだが、あろうことか母親と電話で話することになってしまう。そこで電車男は原因は嘘をついたことにあり、オタクに原因があったということではないと気づく。

一方エルメスはその母親に嘘をつく云々より、あなたのことを大事に思ってくれる人がいいとアドバイスされる。

ま、こんな感じのストーリーだったが、どうなんだろう?それぞれの登場人物に葛藤を与えるのは常套手段でありそれはそれで間違っていないように思うのだが、これは葛藤なのか?電車男は最後に自分がオタクであると秘密を暴露するが、これは泣かなければならないほどの秘密なのか?葛藤のレベルが低いのではないか?僕にはそう思えてしまうのだ。だから、こんなことで泣くのか、こんなことで悩むのかと驚いてしまう。葛藤が葛藤になりきれてないのではないか。

電車男の感動の本質は、オタクが女性と付き合うことにあるのではなく、女性と付き合ったことがない臆病な男が、必死になって女性と付き合うことにあるのではないか?だから秘密の暴露はオタクにあるのではなく、女性と付き合ったことがないということにあるのではないか?僕が感じた不可解さは多分こんなところにあるのだろうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/20

電車男・テレビ版その7

なんじゃそりゃ、と思わず言いたくなってしまったのが今回の放送であった。

前回嘘がばれたところで終わり、今回はその嘘を付いたというダメージをいかに克服していくかというところなのだが、なんだこれと思ってしまったのだ。

まず、前提条件としてエルメスは嘘を付かれる事が絶対に嫌いということがあるのに、今回は「あの程度の嘘を許せないなんて」とエルメス自らに語らせている。何度も言うがハードルは高いほうが燃えるのだ。わざわざ我からハードルを低くする必要がどこにある?ハードルを下げたために盛り上がりを潰してしまっている。

また、電車の行動もわからない。エルメスに嫌われたのはうそをついたことにあるにもかかわらず、それの答えを脱ヲタに賭けてしまう。問いと答えが一致していない。しかも脱ヲタはエルメスの目に見えないところで遂行しているので、脱ヲタ前と後でどんな変化があったのか、エルメスにはわからずかなり独りよがりな行動といえる。

まあ、作者にしてみればコミケがあったから電車は嘘をつかなければならなかった。故にコミケから離れる方法、すなわち脱ヲタという論法なのだろうが、僕には安易な論に見えるのだがどうだろう?

第一電車からヲタという属性を剥ぎ取っていいはずがない。ヲタのない電車などただの人ではないか。

物語のラスト、雨の中待ち合わせ場所にたたずむ電車男とエルメスの邂逅があるが、結局脱ヲタはこの邂逅に大して寄与していない。このラストに流れているテーマは一途な思いということである。それは脱ヲタという行為に現れているのではなく、雨の中何時間も待ち続けるという行為によって表されているのである。

今回の放送は、テーマ(問い)と行為(答え)がかみ合っていない内容であった。不思議な回であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/13

亡国のイージス 映画版

良くぞ映画化したものだと思う。まずそこを褒めるべきだろう。この長大な原作を映画化しようという冒険心は買うべきだろうと思う。よくやった。

それを踏まえて言うとすれば、この作品を映画で初めて見たという人にはちょっと難しかったのではなかろうか?というのも各登場人物の背景がほとんどばっさり切り落とされているからだ。初見の人にはストーリーを追っていくのはかなり難しいと言わざるを得ないと思う。さらにいえばシーンとシーンのつながりが良くない。どうしてそうなるのか、唐突に感じた人も多いのではなかろうか。特に護衛艦からの総員離艦、そして仙石がただ一人護衛艦に戻っていくシーンは何で?と思わずつぶやいた人も多いだろう。また如月とジョンヒの水中での戦いとキスシーンは混乱を与えただけかもしれない。確かにあれではわかりにくい。

僕はこの作品は原作を先に読んでいたのだが、それでも映像を見ながら、ストーリーを追っていくのがつらかったくらいだ。

原作の書き方はまず初めに人物を提示しその背景を徹底的に描いていく。仙石、如月、宮津の3人3様の人生模様を描写して、その各々違った背景を持った人間が一つのイージス艦に乗り込むという形を取っている。なかなか用意周到に書いているのだ。これを映画にするのは至難の業だったろう。

また「場」の処理ということもある。映画でも原作でも大きく分けて二つの場がある。一つはイージス艦の中、もう一つは総理を迎えた安全保障会議だ。この二つの場をつなぐのが事件の内容を全て知る渥美というキャラクターになるのだが、これの描き方がこれまた省略されているからわかりにくい。従って場の関連性が希薄なのだ。

さらに言えば動機の描き方も重要で基本的には祖国の再生を願う北朝鮮(映画では某国としていてはっきりとは言わない)のテロリストヨンファと、倅を国家に殺された宮津の利害が一致して日本政府を強迫するのだが、これがわかった人、何人いるかな?映画だけ見ていたら何でテロリストと自衛官が手を組んでいるのかわからないだろうな。

また危機の演出もあっさりしていた。安全保障会議が逡巡するのは、イージス艦に載っているであろうグソーという化学兵器を東京に突っ込まれたら困るというのが一つある。もう一つは東京湾によりによって入ってきてしまったイージス艦に対してグソーに対する唯一の解毒剤T-プラスを叩き込むと東京湾沿岸が吹っ飛ぶ可能性が高い。ゆえに安全保障会議は東京湾沿岸を吹っ飛ばしてでもT-プラスをぶち込むか、さもなくば宮津たちの要求を呑むかという究極の選択を迫られるというのがこの作品の危機なのだが、これをちゃんとわかった人は何人いるだろう?

原作を映画にすることの難しさはここにあるように思う。要するに何を捨て何を拾うかである。それは何に焦点を絞るかということでもある。この作品の最大のメッセージは日本自衛隊の抱えた矛盾点を描くことである。宮津、仙石、如月、ヨンファ、渥美という主要なキャラクターを通すことによって、その矛盾点に異なる光を当て問題を浮かび上がらせようとしている。これが原作である。然るに映画はどうか?映画も原作同様の手法を取ろうとしたように思えてならない。2時間少々の時間しかないのに同じことをしようとすると無理が出てくるのは当然ではないかと思うのだ。おかげで人物の背景を切り落とし、結果として人物の行動がわかりづらく、関係性もわからず、画面にはイメージだけが流れているような印象を受ける。一番いただけない手法を取ったのではないか?

常套的には人物そのものを取捨選択すべきだったろう。常識的には宮津と仙石の物語にしてしまうのが常識的な線ではなかったか?どうしてそうしなかったのだろう?疑問が残る。

さて、配役だが、原作を読んだ者からすると真田広之の仙石はかっこよすぎるなぁ。僕のイメージの中では仙石は武田鉄也だったのだが。スマートな仙石もありかもしれない。それから総理大臣役の原田芳雄。怪演だった。やっぱすごいよあんた!と叫びたかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/12

電車男・テレビ版その6

今回はエルメスの家に行き紅茶を飲むというベノアのこととコミックマーケットに行く話である。

今まで正直で通してきた電車男が今回はじめて嘘をつく。というのがその内容だ。

なんだかよくわからないが、この作品だれてくるな。書くのもめんどくさくなってきた。

劇団ひとり、なかなかの怪演です。みごとなおたっくっぷりにキモサも入って素晴らしい。器用な人ですな。

それから伊東美咲。そこにいるだけで絵になる人というのがいるんだな。美しさ際立ちすぎて、現実味がちっともなくてとてもよい。ついでに豪邸に住んでて生活感がないのが全くすごい。妙なところで感心しているが、とにかくすごい。

なんかとりとめのないことかいてるな。

エルメスの家で告白しろという文面があちこちの壁やテーブルに表示されていた。あれで電車男は追い込まれるのだが、あれは映画の影響なのだろうか?なんかそれっぽいなぁ。やはりあの映画では以前に後の監督達に影響を与えるだろうと書いたがそれなのだろうか?ちょっとわからない。でもやるならもっと派手にやればいいのにと思ってしまった。

ま、今日の感想はこんなとこ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/07

電車男 原作版

映画を見て、テレビを見て、原作を読むという全くの逆コースをたどった電車男ではあった。

まとめのサイトを読んだ後に原作本を読んだので、新鮮さはなかった。というのもあのまとめのサイトと内容はほとんど変わっていないように思う。最後の章は原作本に付けられた特典だったのだろう。ここでエルメスが電車男の来歴と自分との付き合いの歴史を知るというのはなかなか面白いと思った。楽屋話というのはそれなりに面白いものなのだ。

この作品については映画版でも、テレビ版でも感想を述べてきたし、いまさらとやかく言うつもりはないが、いくつかの点で述べさせてもらうとすれば、紙とコンピューターと大衆との関係だろう。

ネットというものが進歩してあらゆる情報の送受信が可能になったのは今さら語る必要もないくらいだ。この電車男の話もそういった技術の向上があってこそうまれたものだと思う。多くの人が熱狂し、2ちゃんねるに集まり盛り上がったという事実はネット社会の深化の度合いを測る上で非常に大切な出来事なのではないかと思う。

しかし、僕は思うのだが、電車男が爆発的に支持されたのがいつだったのかということを考えると、それは書籍になってからだと思う。愛すべき我らが電車男は書籍にならなければ一部の人々にのみ共有される伝説でしかなかったのだ!ネットが駆逐できるだろうと思われていた既存メディアの力がなければ電車男は圧倒的な支持を受けることがなかったのだ。

よく言われるようにコンピューターを持つ人と持たない人の情報の格差ということを僕は言いたいのではない。電車男を書籍で読んだ多くの読者は若い人が多かったのではないかと思う。その多くの若い人は自前のPCを持ち、それを扱う能力も意欲もある人々ではないのか。その多くの若い人は電車男の存在を知らなかった、現に僕も書籍化されるまで知らなかったのだ。

情報格差があるのではない。情報に中央と地方の問題があるのだ。ネットでは自分の興味のあるものしか見ない。またその範囲はおそらく極端に狭い。電車男の書籍化は本来自分が持っている興味には引っかからないが、それに隣接するような興味だったのだろう。或いは、興味があったとしても、なんらかの理由で検索には引っかかってこなかったということなのだろう。

また情報の中央と地方はどこが中央だとはっきりとわかるものがない。しかも中央は動く可能性がある。ある時期にはここが中央であるかもしれないが、また別に時期にはあそこが中央になっているかもしれない。したがって自分が今読んでいる掲示板なりHPなり、ブログなリが全体のどこに位置しているのかわからなくなっている。自分の寄って立つ位置がまったくわからないでネットを楽しんでいるのだ。今回の電車男の書籍化の持つ意味は、他メディアの中に電車男を投げ込むことによってそれが一体なんなのか、という位置づけを行うことができたことにあると思う。

話題になった8チャンネルの買収騒動で、渦中の主役の一人は既存のメディアは今までと同じことをしていたら滅ぶとか、ネットの情報量、スピードにはかなわないと言っていたように記憶しているが、僕の目にはこの男がおかしくて仕方ない。既存メディアの情報の伝播力というのはネット社会がどれほど進化しようともかなわないのだ。そしてその伝播力は情報を位置づけるという力まで持っている。それは情報のスタンダードの提示ということになるのではないか。そして僕らはその提示を必要としているのではないか?そのことがちゃんとわかっているのだろうか?わからないとすればこの男は愚か者として断罪するしかないように思う。既存メディアは今でも情報の王様であるし、これからもそうであるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/06

野々村真 祝パーフェクト達成

今日のふしぎ発見みました?

なんとあの野々村真がパーフェクト達成!おめでとう。

永遠に来ないと思っていたパーフェクトが来るなんてそりゃもうびっくりさ。

僕もこの番組けっこう長く見てるけど、こんな歴史的瞬間に立ち会えるなんて思わなかったよ。

パーフェクト達成して野々村は泣いていたけど、クイズ番組で男泣きする人初めて見た。しかもなんか感動している一視聴者の僕。う~んすごい快挙だ。なんかよくわかんないけど。明日のスポーツ紙に載るんじゃないか?明日ちょっと買ってみよう。東スポ辺りはけっこう載せると思うのだがな。

最後に野々村真に一言。

20年間よくがんばった。かっこいいぞ野々村真!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/05

電車男・テレビ版その5

なんだかんだとけっこう楽しみにしている僕だったりします。

今回のストーリーは合コンとストーカーである。

この記事を書いている時点で昨日の放送から1日たっているわけだが、困ったことに全く印象に残っていない。どんな話だっけ?

シーンばかりがちらちらしていてまとまった話の筋が全く見えてこないというのが今回の放送分だったな。

創作部分はどうもうまくいってないように僕には思える。確か今回はエルメスが電車男の手を引いて電車から降ろして、家まで送らせるという原作のエピソードを発展させてストーカーに結びつけるという構造だったのだが、なんだか原作のいい部分を殺してしまっているなと思った。この原作のエピソードはなかなか盛り上がる場面であったはずなのに、ここに余計なものをくっつけたために、感動が削がれてしまったように思う。原作を読んだ者ならわかるが、ここは良き部分であった。謎めいたエルメスの微笑と行動。ここは非常に美しく、映画でも同じ扱いを受けていた。しかしこれに陳腐で具体的な動機を乗っけたために電車から降ろされる電車男の戸惑いと喜びが相殺されてしまった。非常に平板な世界だけが広がる結果に僕は失望してしまった。

テレビドラマのクオリティとはこんなものなのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »