« アクセス解析 | トップページ | スター・ウォーズ エピソードⅢ シスの復讐 »

2005/07/09

電車男・テレビ版

映画の出来をあまりにも気に入ってしまい普段TVドラマなどちっとも見ない僕が

会社から走って帰ってしまった。ちなみにドラマを見た後、電車男のまとめのサイトを読んでみたりもした。はまっているのかも知れない。

さて、ドラマの感想だが、やはり連ドラ、1回目は内容が薄かった。しかも映画のようなスピード感はなかった。これはいたしかたないことだと思う。

当たり前か。どのドラマでもそうだが、1回目はどうしても人物紹介に終始してしまい面白くない。連ドラが好きな人はこれは一種の通過儀礼だと考えているのだろうな。忍耐強いことです。

さて、このドラマでは電車男とエルメスに初めて名前が与えられた。それと同時に描かれなかった、人物の細かい背景などが描きこまれていた。これが吉と出るか、凶と出るか見ものではある。手法としてはこうしたことはオーソドックスな処理といえるのだろう。でないと3ヶ月ももたないからという物理的な理由もあったのだろうが、僕としてはこれはなかなかの冒険ではないかと考える。

というのも、この作品は主人公の本名や背景が描かれないからこそ、様々な憶測を呼び、多くの人のイマジネーションが膨らんでいったのだと思う。一種のファンタジーがそこにあったといっても過言ではないだろう。

電車男の話は誰かの作り話に過ぎないという説があちこちで語られてはいるが、この行動はファンタジーの裏返しだろう。あまりにできすぎたファンタジーをリアルな世界に引き戻したいという欲求は、ファンタジーに共感する人々に対するファンタジー崩しだといえる。電車男の物語の擁護派や否定派というのは、ファンタジーに対する距離感の取り方の差であろう。

したがってこのドラマで電車男とエルメスに名前を与えたことは、ファンタジーにリアリティーを与えることになり、要するに陳腐化することではないか?

もちろんリアリティーを与えることによって得られる効果もあるだろう。細かい人物描写が可能となることは主人公の嘆きや葛藤をより克明に描くことができるのだから。人物に名前を与えたからといって単純に否定されるものでもないのだ。

そうは言っても疑問がないわけではない。

映画版でもそれからおそらく原作本でも、観客や読者はみな主人公の背景がわからないで見ている。要するに2ちゃんねるの住人達と同じ目線でこの物語を見ていることになる。したがって住人達が感じた感動と観客や読者の感動は基本的に同じ性質であると思う。だがテレビ版では2ちゃんねるの住人達は主人公のことを知らないが、視聴者は主人公達のことをよく知っているのだ!ねじれ現象が発生している。住人達と視聴者は全く立場が違うのだから、ひとつの言葉から受ける印象、感動はおのずと変わってくる。この矛盾をどう処理していくのだろうか?矛盾を内包した作品がうまくいくわけがないと思うのだがどうだろう?

でも、まだまだ一回目が終わったばかりだ。始まったばかりで何を言っても始まらない。最終回までじっくり見ていきたいと思う。

|

« アクセス解析 | トップページ | スター・ウォーズ エピソードⅢ シスの復讐 »

「映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/95537/4885779

この記事へのトラックバック一覧です: 電車男・テレビ版:

» リアル警察24時 [夏男のつぶやき]
昨夜、電車男のテレビ版が始まった。原作も映画も見ていないので、見る事にした。見る [続きを読む]

受信: 2005/07/09 11:49

« アクセス解析 | トップページ | スター・ウォーズ エピソードⅢ シスの復讐 »