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2005/07/15

電車男・テレビ版その2

前回は電車男とエルメスに名前を与えたことによって作品が陳腐化するというようなことを書いたが、昨日放送の第2回目を見てその思いが強くなったように思う。

今回の放送では電車男が美容院や洋服を買って初めての食事の待ち合わせに行くところだが、おやおやと思った。

「めしどこかたのむ」は極めて印象的なフレーズであったはずだ。ここからエルメスと電車男の伝説が始まる大事なフレーズだと思っていたのになんともあっさりとした描写であった。また、電車男がファッションを変えて変身するところも随分あっさりした感じに僕には思えた。恋愛のターニングポイントとなるべきところがあまり大事にされていないように思ったのだがどうだろうか?せっかく面白い素材を無駄にしてしまった感じだ。もう少し考えがあってもいいように思うのだが。

やっぱり、人物の背景をごちゃごちゃ書いていて、それを語るのに忙しく、一直線に進んでいかない。なによりエルメスが何を考えているのか、イマイチよくわからない。2回目の放送なので手の内全部を明かすわけにはいかないのだろうが、どうして電車の食事の誘いに乗ったのかよくわからない。ま、わからないのが狙いなんでしょうけど。

それはそうと僕は白石演じる陣釜さんに驚いた。白石美帆があんなにはすっ葉な女を演じるとは思わなかった。容姿からいってエルメスでも十分にいける感じの女性なのに、気が強くて、男関係にだらしなく、あまりお友達になりたくないような女をあれだけ立派にやるのだからたいしたものだ。僕の中では陣釜さんなかなかの白眉だ。

あとネットの住人たち。彼らは電車の車掌の恰好をしていたり、阪神の熱狂的ファンだったり、不思議ちゃん系の女の子だったり、いろいろ個性的な感じを出してはいるがちっとも個性的な感じがしない。さらにいえば、電車の恋の話に熱狂的になっているとは見えない。盛り上がりに欠けているのだ。もしあれが、巷に溢れる恋愛のHOW TO本に代わったとしても十分に役目を果たせてしまう。要するに電車と住人達の緊密性が薄いのだ。従って住人達が電車に深い思い入れをいれるように見せても、僕には彼らが本当に深い思い入れを持っているようには見えないのだ。

電車男がなぜ面白かったのかと考えた時、ひとつの大きなトリックがあるように思える。それはエルメスは何も知らないということだろう。電車が秋葉系の洋服をかなぐり捨て、恋愛に突進していくその背後にはネットの住人という強力なバックアップ体勢があり、エルメスはそのことを知らないという単純な構造がある。そのギャップが面白いのではないのか?もちろんテレビ版も基本的にはその構造を踏襲しているのだけれど、でもネットの住人との関係が薄いとその構造が崩れてしまう。

またその構造は基本的に電車、つまり男性主観での恋愛談義の構造だ。このドラマは背景を書き込み、ネットの住人達との関係を薄くすることであえてそこのところを崩そうとしているようにも見える。構造がゆれているわけだ。これが次回以降どうなっていくのか、興味があるところだと思う。

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