« 戦国自衛隊1549 | トップページ | 電車男 »

2005/06/30

沖縄論

ちょっと考えさせられる作品であった。
作者の言うことは分かるし、共感できる部分もあるのだがどうもイマイチ乗りきれない。そんな感じなのだ。

この作品のキーワードはずばり依存心だろう。そして小林は沖縄を題材にして日本全体を論じているのだ。沖縄は国家を考える上で日本の矛盾点を一身に体現する存在であると考えている。要するに沖縄はミニ日本というわけだ。

小林は沖縄の財政事情または県民個々の収入の得方を通じて、生活を主体的に自分でイニシアティブを取って行わず、国からの財政援助に頼りきりになっている現状を依存心という言葉で表している。依存心の発生は国家から個人までのありとあらゆる「日本」的なものを属国根性で充たしてしまうという危険を孕む。とてもじゃないが独立した国家、個人というのが成立しているとは言えないじゃないかと言っているわけだ。

極めて単純な論理で非常にわかりやすい。日米安保に守られ、あらゆる面においてアメリカの言いなりになり主体的に国防というものを考えていない。右向けといわれたら本当に右を向いてしまうのが今の日本なのだ。

誰だって思うだろう。先の大戦であれだけアメリカに反抗した日本が、日米同盟によって骨抜きにされ、のこのこイラクまで手伝い戦争をしていていいのだろうか?自衛隊とアメリカ軍の一体化がこれ以上進んで本当に大丈夫なのか?F15やイージスがどれほど増えようとも日本はアメリカに首根っこを掴まれたままで国防は万全だと言い切れるのか?そもそも悔しくないのか?

この作品には沖縄占領統治のさまざまな矛盾を描いている。アメリカ軍のレイプ事件の続発、農地の強引な取り上げ、虐殺、非民主的な選挙と統治、祖国復帰運動の弾圧。本当にいろいろ出てくる。これら一つ一つの事例を見てくると日本人として怒りが湧くのは当然だろう。アメリカは100%植民地として扱い、現在でも見下した態度を取っていると感じてしまうのはおよそ日本人なら誰でも感じることなんだと思う。

だが実際には日本人は何もできない。「命どぅ宝、お金どぅ宝」などと表現しているが、要するにこれは依存心からくる現状追認の態度なのだ。日米安保に依存し経済的利益のみを追求し、現在の豊かさはそこから出てきているのであり、平和もそこから出てきているのであり、それを変えることは極めて難しく、現状を追認するしかなくなおかつ変える気概もない。依存心とはそういう弊害をもたらすものなのだ。

独立国家としての誇りとは何か、あるいは経済的豊かさや一国だけの平和のみを主目的に生きていくことの是非はないのか。小林の言いたいことはそこだろう。金よりも一国だけの平和よりもさらには命よりも上位に来る価値があると考えているのだ。それは伝統であり、歴史への尊敬のまなざしというべきことなのだろう。人によってはこの考え方を民族主義であるといって退けるかもしれない。だが自国の伝統や歴史に敬意を払わないものが他国の伝統や歴史に敬意を払うだろうか?ここがこの作品の肝なのだろうと思う。

僕はこの考え方を理解しつつもどうしても釈然としない思いにとらわれてしまう。本当にこの考え方についていって大丈夫なのだろうかというおそれが僕の心に浮かんでしまうのだ。

小林は近年、新米保守を盛んに攻撃している。確かに戦争に大義は必要ないなどの暴論は僕でも許せない。戦争の決断とは重いものなのだ。そこに大義がないのに戦争を仕掛けるとは、そいつは唯の狂った侵略者だと言わねばならない。嘘でも大儀は必要なのだ。小林の言っていることは極めて正しいのだ。

ただ僕の目には小林と親米保守との衝突は、戦略なき思想家と思想なき戦略家の衝突に見えてならない。僕が小林の考え方を理解しつつもついていけないと考えてしまうのはここにある。純粋な思想とは恐ろしいのだ。自らの思想に純粋であるあまり、世界にその思想を強制してしまう。世の中の実態とは思想ほどには単純ではなく、思想どおりにはいかない。理想を求めるあまり無理な要求を世の中にしてしまいかねない。

僕らは知っているはずだ。いわゆる左翼イデオロギーに凝り固まった人々が憲法9条を盾にして、恐ろしく非現実的な要求を世の中にして、どれほど日本を歪めたのかを。ありもしない夢を見続け、現実世界から遊離し、妖しく光る電灯に吸い寄せられる蛾のように実体のない世界の構築を夢見た愚かな時代を。

小林と左翼イデオロギーはコインの表裏なのではあるまいか?小林の思想を純粋に敷衍していけば反米となるのは必然なのではあるまいか?そのような疑念を僕はどうしても持ってしまうのだ。小林は「マナーとしての反米」などといっている。ちょっと酔狂な言葉だと思わざるを得ない。これは日米安保の戦略的価値を認め、ただしそれに呑み込まれないぞという気概を持てということなのだろうが、彼の思想に例外を設けているのだと思う。それはちょうど法律にたくさんの例外規定を設けるとの同じ感覚なのかもしれない。

思想なき戦略家も醜態であると思う。「生き残ること」を唯一の行動原理にして動いていく様ははっきりいって見苦しい。「生き残ること」は文句なく重要なことではあるがその醜い姿を他人が見たらどのように考えるのか。「生き残ること」を第一に考えるということはそれは場当たり的にその行動の説明するということになりはしまいか。そしてその説明は後世にまで耐えられるものとなりうるのだろうか?思想とは行動を説明する重要なツールなのだ。それをないがしろにすることは許されないことだと思うのだがどうだろうか?

じゃあ、どういうものがいいのだと問われれば、僕は答えに窮してしまう。妙案などどこにもないから始末に悪い。
閉塞こそが今の日本の現状という気がしており、それに対する処方箋はなかなか見つからない。

|

« 戦国自衛隊1549 | トップページ | 電車男 »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/95537/4770581

この記事へのトラックバック一覧です: 沖縄論:

« 戦国自衛隊1549 | トップページ | 電車男 »