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2005年6月

2005/06/30

沖縄論

ちょっと考えさせられる作品であった。
作者の言うことは分かるし、共感できる部分もあるのだがどうもイマイチ乗りきれない。そんな感じなのだ。

この作品のキーワードはずばり依存心だろう。そして小林は沖縄を題材にして日本全体を論じているのだ。沖縄は国家を考える上で日本の矛盾点を一身に体現する存在であると考えている。要するに沖縄はミニ日本というわけだ。

小林は沖縄の財政事情または県民個々の収入の得方を通じて、生活を主体的に自分でイニシアティブを取って行わず、国からの財政援助に頼りきりになっている現状を依存心という言葉で表している。依存心の発生は国家から個人までのありとあらゆる「日本」的なものを属国根性で充たしてしまうという危険を孕む。とてもじゃないが独立した国家、個人というのが成立しているとは言えないじゃないかと言っているわけだ。

極めて単純な論理で非常にわかりやすい。日米安保に守られ、あらゆる面においてアメリカの言いなりになり主体的に国防というものを考えていない。右向けといわれたら本当に右を向いてしまうのが今の日本なのだ。

誰だって思うだろう。先の大戦であれだけアメリカに反抗した日本が、日米同盟によって骨抜きにされ、のこのこイラクまで手伝い戦争をしていていいのだろうか?自衛隊とアメリカ軍の一体化がこれ以上進んで本当に大丈夫なのか?F15やイージスがどれほど増えようとも日本はアメリカに首根っこを掴まれたままで国防は万全だと言い切れるのか?そもそも悔しくないのか?

この作品には沖縄占領統治のさまざまな矛盾を描いている。アメリカ軍のレイプ事件の続発、農地の強引な取り上げ、虐殺、非民主的な選挙と統治、祖国復帰運動の弾圧。本当にいろいろ出てくる。これら一つ一つの事例を見てくると日本人として怒りが湧くのは当然だろう。アメリカは100%植民地として扱い、現在でも見下した態度を取っていると感じてしまうのはおよそ日本人なら誰でも感じることなんだと思う。

だが実際には日本人は何もできない。「命どぅ宝、お金どぅ宝」などと表現しているが、要するにこれは依存心からくる現状追認の態度なのだ。日米安保に依存し経済的利益のみを追求し、現在の豊かさはそこから出てきているのであり、平和もそこから出てきているのであり、それを変えることは極めて難しく、現状を追認するしかなくなおかつ変える気概もない。依存心とはそういう弊害をもたらすものなのだ。

独立国家としての誇りとは何か、あるいは経済的豊かさや一国だけの平和のみを主目的に生きていくことの是非はないのか。小林の言いたいことはそこだろう。金よりも一国だけの平和よりもさらには命よりも上位に来る価値があると考えているのだ。それは伝統であり、歴史への尊敬のまなざしというべきことなのだろう。人によってはこの考え方を民族主義であるといって退けるかもしれない。だが自国の伝統や歴史に敬意を払わないものが他国の伝統や歴史に敬意を払うだろうか?ここがこの作品の肝なのだろうと思う。

僕はこの考え方を理解しつつもどうしても釈然としない思いにとらわれてしまう。本当にこの考え方についていって大丈夫なのだろうかというおそれが僕の心に浮かんでしまうのだ。

小林は近年、新米保守を盛んに攻撃している。確かに戦争に大義は必要ないなどの暴論は僕でも許せない。戦争の決断とは重いものなのだ。そこに大義がないのに戦争を仕掛けるとは、そいつは唯の狂った侵略者だと言わねばならない。嘘でも大儀は必要なのだ。小林の言っていることは極めて正しいのだ。

ただ僕の目には小林と親米保守との衝突は、戦略なき思想家と思想なき戦略家の衝突に見えてならない。僕が小林の考え方を理解しつつもついていけないと考えてしまうのはここにある。純粋な思想とは恐ろしいのだ。自らの思想に純粋であるあまり、世界にその思想を強制してしまう。世の中の実態とは思想ほどには単純ではなく、思想どおりにはいかない。理想を求めるあまり無理な要求を世の中にしてしまいかねない。

僕らは知っているはずだ。いわゆる左翼イデオロギーに凝り固まった人々が憲法9条を盾にして、恐ろしく非現実的な要求を世の中にして、どれほど日本を歪めたのかを。ありもしない夢を見続け、現実世界から遊離し、妖しく光る電灯に吸い寄せられる蛾のように実体のない世界の構築を夢見た愚かな時代を。

小林と左翼イデオロギーはコインの表裏なのではあるまいか?小林の思想を純粋に敷衍していけば反米となるのは必然なのではあるまいか?そのような疑念を僕はどうしても持ってしまうのだ。小林は「マナーとしての反米」などといっている。ちょっと酔狂な言葉だと思わざるを得ない。これは日米安保の戦略的価値を認め、ただしそれに呑み込まれないぞという気概を持てということなのだろうが、彼の思想に例外を設けているのだと思う。それはちょうど法律にたくさんの例外規定を設けるとの同じ感覚なのかもしれない。

思想なき戦略家も醜態であると思う。「生き残ること」を唯一の行動原理にして動いていく様ははっきりいって見苦しい。「生き残ること」は文句なく重要なことではあるがその醜い姿を他人が見たらどのように考えるのか。「生き残ること」を第一に考えるということはそれは場当たり的にその行動の説明するということになりはしまいか。そしてその説明は後世にまで耐えられるものとなりうるのだろうか?思想とは行動を説明する重要なツールなのだ。それをないがしろにすることは許されないことだと思うのだがどうだろうか?

じゃあ、どういうものがいいのだと問われれば、僕は答えに窮してしまう。妙案などどこにもないから始末に悪い。
閉塞こそが今の日本の現状という気がしており、それに対する処方箋はなかなか見つからない。

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2005/06/27

戦国自衛隊1549

「なんだこれ?」
というのが僕の率直な感想です。
つまりちっとも面白くなかった!というわけです。

そりゃ確かに、いろいろな自衛隊の装備が出てきて
視覚的にはがんばったな角川!と思うのだけれど
それ以外のところは「?」

まずナニがいけないってとにかくわかりにくい。
これに尽きると思う。
どうしてタイムスリップしたかという説明からこの映画は始まるのだが
これがなかなかわかりずらい。
そもそも最初にタイムスリップした実験中隊は何のために実験していたんだ?
余りに説明セリフが多くて辟易する。
もう少し工夫しないといけないのではないのか?
ふと思い出したのだが「ジュラシック・パーク」はこの説明の部分を
登場人物たちが説明のテレビ画面を見るという形で処理していた。
こういう工夫はしたほうがいい。

それから登場人物の行動、特に最初にタイムスリップした隊長的場と
後から追いかけていく鹿島の行動というか考え方がわかりずらい。
的場がタイムスリップした先で次々と部下を殺され
それまで人を殺してはいけないという考え方で自衛隊の任務をこなしていたが
それではだめだ、ぬるま湯につかった平成の人々を変えるため
積極的に歴史にかかわり、歴史を変えていこうとするその考え方

はっきり言って抽象的すぎ

観客の僕は付いていけなかった。
現代自衛隊の矛盾をきちんと描きたいという意欲は買うが
だからといってそれにお客が付いてこれるかどうかは微妙ではないか?
僕自身はこれはこれで別の作品に仕立てた方がよかったのではないかと思う。
また、鹿島あるいは鹿島に代表される自衛隊全体像については
当然的場の考え方と真裏に位置するものであると思うが
これまたはっきりしない。
というより、的場が提出した考えに鹿島ははっきりと答えていないように思う。
鹿島たちの行動の源泉は単純に歴史を変えてはならないというものであり
そもそも自衛隊の矛盾など初めから考えていないのだ。
問題意識が初めから相似形をなさず非常にわかりにくいと思うのだがどうだろうか?

また場の設定が複雑だ。
というより無茶だと思う。
なんで富士山麓に信長がいるの?
ここで躓く。歴史に多少なりとも興味のあるものは
オイオイ!と思わず突っ込んだのではないか?
また「歴史の復元力」とかなんとか簡単に言っているが
僕の目には都合よすぎる設定に見えるぜ!
なんでこういうふうにしちゃうかな。
「歴史の復元力」という言葉にちっともリアリティが込められていない。
もう少し慎重に作ったほうがいいと思うのだが。

日本人の作るSF映画というのはなんとも観念的だ。
久々に大金かけて作った駄作を見た、そんな感想がこぼれてしまった。

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2005/06/26

バットマン ビギンズ

どうもこれまで見たバットマンが大味でちっとも面白くないよなと思って
今回のバットマンもどうせそんな感じだろうと特に期待もせず
いい時間つぶしになるかと軽い気持ちで見たのが幸いしたのか
これがけっこう面白くていい作品だったのだ。
大味なスーパーヒーローものではなく
きちんと人間が描かれていて面白かった。
この作品はアメリカ人より日本人のほうが受けるのではないか?
そんなことを感じさせる作品であった。

ストーリーはバットマンの誕生秘話というところ。
主人公ブルース・ウェインはゴッサムシティで裕福な家庭に育った。
ウェイン家はゴッサム一番の大金持ちの家であり
両親は公共心に篤く、ブルースはそんな両親の薫陶を受けて育つのである。
ブルースはある日井戸に落ちて壁から出てきた蝙蝠に巻かれ
蝙蝠に対して恐怖心を抱く。
ある日の晩一家はオペラを見に行くがオペラのかもし出す不陰気が
蝙蝠に似ていて気分が悪くなったブルースは両親とともにそうそうに退散してしまう。
劇場を出たところで貧しい浮浪者に襲われブルースの前で
両親は拳銃で撃たれ命を落としてしまう。
成長した彼は両親の復讐をしようとするが失敗
やがて彼は旅に出る。
彼自身の恐怖心や復讐心に打ち勝つため
様々な環境に身をおくのだがやがてデュカードに出会い
ヒマラヤの奥地で修行に励むようになる。

ま、ストーリーはこれで全部ではないのだが
こんな感じで物語りは進んでいくわけだ。

今回のバットマンでよいといえるのは
主人公が己の人生、特に幼い頃の記憶に苛まれそれに打ち勝とうと
努力していくという人間像にあるのだろうと思う。
日本人の好きなタイプのヒーロー像で、僕はデビルマンを思い出す。
心に傷のあるヒーローというのは非常に重要な要素で
それがために努力し、がんばるという理由付けが容易で
観客は素直に主人公に感情移入できるのだ。

かつて少年週刊ジャンプは「努力、友情、勝利」
ということを言ったのだが、まさにこのバットマンはその資質を備えている。
友情は執事のアルフレッドや警官のジム・ゴードン、幼馴染のレイチェルによって表されている。
この「努力、友情、勝利」のほかにもう一つ、「秘密」という要素を加えることも可能だと思う。
能天気な大金持ちの倅で、そのくせ一皮めくれば正義の使者であるという落差。
この落差がないと幼い頃の痛々しい思い出も生きてこないし
荒唐無稽なバットマンというキャラクターに真実味を与えることができない。
実によく考えられている。

勝利というファクターを考えるとこの作品では主人公は二つの大きな戦いに勝利している。
一つは大ラスの戦い。これは当然ではあるけれども、もう一つはヒマラヤの僧院での戦いである。
このヒマラヤのシーンは非常に重要で、後の大ラスでの戦いに繋がっていくものであると同時に
努力の成果として描かれる。また主人公の潔癖さ、正義感の表出としても描かれる。
もし大ラス戦闘のみでこの映画が終わるとしたならば、この映画は成功しなかったのだろうと思う。
極めて重要なシーンだ。

アメリカ映画のヒーローものとしては非常によく描かれている。
実にすばらしい娯楽作品に仕上がったと思う。
監督がイギリス人だからなのだろうか?
ぜひ一度見ていただきたい作品である。

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2005/06/21

美しくないもの

ぼくは喫煙者なのですが、
3日くらい前からたばこのパッケージデザインが変わった。
箱の約3分の1に
「喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます」だの
「未成年者の喫煙は、健康に対する悪影響やたばこへの依存をより強めます。周りの人から勧められても決して吸ってはいけません」
などとでかく書いてある。

まったくもってセンスのないことだ。
喫煙のリスクくらいわかって煙草を吸っているのが大半ではないのか。
わざわざこんなものを書かなくてもリスキーなのは理解している。
むしろ理解していない奴らがいるのだとしたならば
僕はそっちのほうが驚いてしまうのだが。

箱をこんな風にみっともなくしやがって
こんなセンスのないものに変えたとしても
喫煙者の動向は変わらないぜ。
反喫煙団体の自己満足の産物といえるだろう。

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2005/06/19

美女発見

ここのところネットで探し回っている美女がいる。
とはいいつつも、既に有名なので探すのは
そんなに難しいことではなく簡単に見つけられるのだが、
動いてる彼女が見たい!それもたくさん!!
と思ったまでのことである。

彼女の名前は林志玲(リンチーリン)
台湾のモデルさんで、司会もやっているとのこと。
彼女は政府の進めている「ヴィジットジャパンキャンペーン」の
台湾の大使をしている。台湾ではその縁で日本を紹介する番組を持ち
本人自身もなかなかの親日家であるらしい。
そして何よりも、日本の芸能事務所と契約を交わして
日本でも活動をするらしい。早く日本での活躍を見たいものだ。
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ってなわけでとにかく美しいのだ。

以前ウィングマンの作者桂正和は女の子を描くのがうまいと言ったが
その桂正和は女の子を描く場合顎のラインを注意して描くと
どっかの雑誌に書いていた。
ぼくはそれ以来、女の子を見るとき顎のラインを見るようにしているのだが
この林志玲さんは間違いなく理想的なラインを持っている。
もちろん美人の条件は顎だけではないのだろうが
この顎のライン、つまり輪郭ということになるのだろうけれども
これが美しいというのはなかなかいないのだ。
すくなくとも日本の芸能人でここまで美しい輪郭を持った人はちょっといない。
清楚な美しさと、さわやかな笑顔は日本男のひとつの理想なのかなと思う。
(ぼくだけの理想なのかも知れないけどさ)

ネットを探し回っていたら面白いブログを発見した。
http://anti-korea.jugem.jp/?eid=194
それはこの林志玲さんと「冬のソナタ」で名前が売れた
チェ・ジウさんの写真を2枚並べてどっちが好きかと問うものであった。
反韓系のブログであったためチェ・ジウが選ばれたのだろうが
ここに集まったコメント群が読んでて面白い。
かくいう僕も反韓系の考えを持っているが、ことチェ・ジウに関して言えばちょっと違う。
僕は間違いなくチェ・ジウは美人だと思う。
整形しているかどうかなんてわからないしそれほど興味はない。
ただ「冬のソナタ」のチェ・ジウは間違いなく美しかった。
彼女の透明感のある顔立ちは男心をくすぐるだろう。
NHKで深夜放送されてた時、
チェ・ジウ目当てで見たものだ。
もっとも「冬のソナタ」は作品の出来が余りに低く
途中で見るのがつらくなり、やめてしまったが・・・・。

このチェ・ジウ、ヨン様ほどの人気を博さなかったのは理由があると思う。
「冬のソナタ」の人気がおばさまを中心としたものになったためというのが
大きな理由だろうが、さらに言えば、
ドラマのチェ・ジウと来日した時のチェ・ジウが顔が違っていたからだと思う。
それは整形をしたとかそういう意味ではなく、多分化粧法が違うからなのではないかと思う。
「冬のソナタ」のチェ・ジウは透明感のある美しさというのがあった。
特にドラマ前半の髪が長く、制服姿の彼女は奇麗だった。
でも、来日した時の彼女は、ケバイ化粧でまるでたちの悪いホステスのようだった。
なんでこんな顔につくってきたのかわからないが、裏切られた感じがしたものだ。
これは推測なのだが
「冬のソナタ」の撮影というのは随分前に終わっているように聞いている。
この作品は韓国で放送された後、中国や台湾で放送され
日本では最初BSで放送されたはずだ。
撮影時から3年ないしは4年ほど経過していると思う。
そりゃ年取るさ!
さらに、チェ・ジウサイドはイメージを転換したかったのではないかと思う。
それは清純とか可憐とかのイメージから
できる女、かっこいい女のイメージへの転換ではなかったか。
しかし日本の視聴者は「冬のソナタ」の中のイメージを思い描いていたから
違和感を禁じえなかったのではないかと思う。
もしそうだとしたら、完全な戦略ミスだったと思う。

いろいろ書いたが結局のところ林志玲さんをはやく日本で見られるようになりたい。
彼女の声、姿、動いているところをたっぷりと堪能したいのである。
オスカーきっちり仕事しろよ!!

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2005/06/12

ウィングマン

この間ふと思ってネット上で調べ物をした。
それが桂正和の「ウィングマン」だった。

ぼくが大学生の頃、子供の時好きだった漫画は何かという話を
友達としたことがある。
ぼくがウィングマンというと非難ゴーゴーだった。
なぜあんな漫画がと言われ癪に触った記憶がある。
ぼくにとっては美しい思い出の漫画だったが
友達はそうではなかったらしい。
ちなみに友達はキン肉マンとかドラゴンボールとか
月並みなことをいっていたような気がする。

ウィングマンは少年ジャンプに連載されていた。
その頃の多くの少年がそうであったように
キン肉マンが目当てで読み始めたが
ちょうどその時連載されていたのがウィングマンだった。
もっとも正確にはぼくがジャンプを読み始めて1年ぐらいしてから
ウィングマンは連載された。その前桂正和は病気で入院かなんかしていて
連載が中断していたのだ。

再開された連載を読んで驚いた。
とにかく女の子がかわいらしく描かれていたのだ。
こんなにかわいい女の子は見たことがなかった。
少しませていたぼくは特にあおいが好きで大ファンだった。
大人の女性って感じがして本当にきれいだった。
その後中学生になり少し上の女の子が好きになるぼくの
好みに少なからず影響を与えたかもしれない。

それからドリムノート。
これには夢があった。
ドラえもんを見る年齢ではなくなっていたため
このドリムノートのスタイリッシュな感じがとても良かった。
主人公はこのノートをヒーローになるためにしか使わない。
ドラえもんののび太と違って困った時に使うというわけではないのだ。
ヒーローになるという目的が思春期前の小学生のぼくに
ぴたっとはまったように思う。

それからウィングマンのスレンダーでシャープなかっこよさ。
真っ黒いヒーローというのはちょっといなかったように思うから
余計にかっこよく思った。
ぼくにとっては新しいヒーロー像であったように思う。

この漫画はテレビアニメにもなったのだが
評判はどうだったのだろう?
あまり記憶に残っていないところをみると
面白くなかったのかもしれない。
たしか原作とちがう演出がなされていたように思う。
がっかりこそはしなかったが
夢中にもなれなかった。
それでも最終回までしっかり見た。

余談だがこの作者絵がうまい。
女の子を描かせたら天下一品だ。
従って女の子のパンティを描くのもうまい!
何巻か忘れたが
息を吹きかけると氷を作れる怪人が出て来たことがあった。
こいつが助平な奴で、女の子のエッチなシーンをみると
元気回復するんじゃなかったかな?
記憶違いならごめん。
それでウィングマンたちにやられて捕まって
あおいたち女の子がどうやってこいつをやっつけちゃおうかと相談していると
この怪人は女の子の後ろに回っておしりの下に息を吹きかけ
氷を作ると、その氷に女の子のパンティを映してしまうのだ。
ちょっとエロな漫画でもあった。
再び言うけど記憶違いならごめん。

ウィングマンの連載が終わって
随分悲しかったな。
その後中学生になりぼくは漫画から足が遠のいた。
ウィングマンのいない漫画を面白いとは思わなかったのだろうか?
そのコミックも今は処分してなくなってしまった。
今から思えば惜しいことをした。
久々に読んだらどう思うんだろうか?

桂正和は電影少女くらいまでは追いかけていた。
今でも新しく連載を抱えてがんばっているらしい。
久々に読んでみようかな?

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2005/06/10

いらっしゃいませ、患者さま

コメディ映画である。
チラシを見るとなかなか面白いことが書いてある。
「ナース指名制」「同伴人間ドック」「ひざまくら点滴」「薬の特急券」「口移しバリウム」
なかなか刺激的な内容だ。

そもそも、風俗業界の風雲児恩地が拳銃で撃たれ、経営危機の病院に担ぎ込まれる。
この病院の医院長近馬は世間知らずで患者に対してやたら高飛車。
当然経営はうまくいかずやくざがらみの借金の取立てに追われている。
で、この恩地が怪我を治してくれたお礼に様々なサービスを考案し病院を建て直すのだが
そのサービスが風俗業界出身の恩地らしく上記のようなサービスをやってしまうというものだ。
もちろん病院は大繁盛。って感じのストーリーだ。

着想は抜群に面白い。
チラシのあらすじをみると実に期待の持てるコメディ作品であることがわかる。
実際映画を見るとなかなか面白い。
だが、ちょっと不満の残る作品でもある。

というのもまず、恩地なのだが風俗業界の凄腕という感じが全くしない。
最初彼は、彼の考案したストリップショーに司会として出てくるのだが
胡散臭さは出ているものの、凄腕とは思えないのだ。
最初の設定の説明を省略しているため、後のストーリーに説得力を与えていない。
彼を慕う従業員や入院の見舞い客でも出てくればよかったのだろうが、
そういうこともしていないためキャラ設定がよくわからないのだ。
おそらく当初はそういうのもあったのだろうが、端折ったなとわかってしまう。
こういう部分は端折ってはいけない。

また新規サービスの描写はなかなか刺激的ではあるのだが
おそらく映画の作り手は、下品になってはいけないという思いがあったのだろう
おとなしい感じが否めない。
もう少し冒険をしてもよかったのではないかと思う。ギャグを手控えると
ギャグにならないという典型だな。

病院が儲かりはじめるというのがもう少し練られてもよかったのではないか。
出てくるのが札束とナースの指名の電話がひっきりなしと言うのはちょっと寂しい。

もちろんすばらしかった点も多い。
特に肝臓がんの患者とナースの交流の描写は
ここが病院で命の最前線で変わりがないことをよくあらわしていると思う。
この辺りは実にすばらしく、感動的で作り手の誠実な姿勢が現れていて
実によかった。わかれうたが流れるシーンでは泣けてくる。

最後の大団円はありがちなものだなと思った。
これはご愛嬌。
こういう締め方でないとうまく終われないということなのだろう。
これはこれでよしとしよう。

全体的にいって悪くはない映画だ。
肩のこらない娯楽作品に仕上がっている。
気軽に見に行くには良い映画だと思う。

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