2010/01/17

13を終えたばっかり

ブログネタ: あなたはFF派? それともドラクエ派?参加数

超美麗映像の虜になりました。おかげでPS3を買うはめに・・・。ゲームなんて普段はやらないんだがなぁ

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愚問

ブログネタ: 映画館でエンドロールは最後まで観る?参加数

愚問ですな。最後まで見てください。映画は自分で選択しないと見ることができないものです。選択した責任を最後まで果たしていただかなくては・・・。

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正法眼蔵の世界

前回書いた記事からいったいどれくらい経っているのだろうか?半年以上は放っているだろう。いくら過疎のブログとはいえこれは放って置きすぎた。面目ない。

この間に映画は何本か見ているが、さすがに今更書く気になれず、今日は書籍だ。

仏教哲理に関する本は何度か挑戦しているが、さっぱり理解できない。だけどいつかは制覇したい山であるのは確かで、しかもこの山が日本の文化に多大な影響を与えているのを考えれば跳ね返されるのを承知の上で挑戦したくなる。で、今回はどうだったか?もちろん跳ね返された。

書名のごとく道元の著作である正法眼蔵の内的世界を解説したものであるのだが、仏教的な専門用語以上に、その世界観の独特さに幻惑されてしまう。特に時間や空間と己との位置関係といっていいのだろうか、そいうものが非常に独特で、トレーニングを積んでいない僕は非常に単純な位置関係、すなわち直線的でしかも単線的なものしか頭にないものだから読んでいて非常にやっかいだった。しかもそれを自覚しつつも書籍の内容がきちんと頭に入ってこないものだから性質が悪い。

それでも、多分次の本を買ってきてしまうのだろうなと自覚する自分がいる。相手の壁が高ければ高いほど挑戦したくなるのが人間の欲なのだろうから。

今後はちゃんとブログを書かねば。いつまでも放っておいていいものではなかろう。いくら過疎のブログとはいえ。

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2009/12/11

これは書かねばならない

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091211-OYT1T01198.htm?from=top

記事全文

 政府は11日、中国の習近平国家副主席が14日に来日し、天皇陛下や鳩山首相と会談すると発表した。

 陛下と外国要人との面会は1か月前までに申請を受け付けるという政府内の慣行を外れた特例的措置で、「日中関係は政治的に重要」とする鳩山首相の指示に基づき、最終的に宮内庁が受け入れた。

 同庁の羽毛田信吾長官は11日午後、記者団に対し、「憲法下の陛下の基本的なあり方にもかかわる」と、天皇の政治利用の観点から懸念を表明した。

 羽毛田長官によると、宮内庁が中国政府からの会見要請を外務省を通じて受け取ったのは11月26日。同庁は「ルール(慣行)に照らして応じかねる」と回答したが、平野官房長官が12月7日、羽毛田長官に電話で特例扱いを要請。羽毛田長官が断ると、10日夕に「総理の指示だ」と再度、電話で指示したという。

 羽毛田長官は記者団に、「陛下の国際親善活動は、国の大小や政治的重要性とは別次元で行われてきた。(特例扱いは)二度とあってほしくない」と述べた。

 この慣行は、多忙な陛下の日程調整や健康面に配慮し、1か月を切った会見要請は受けないよう、陛下が前立腺がんの摘出手術を受けた翌年の2004年以降、本格的に運用されてきた。

 天皇の政治利用との批判が出ていることについて、鳩山首相は11日夜、首相官邸で記者団に対し、「1か月ルールは知っていたが、しゃくし定規なことが、諸外国との国際的な親善の意味で正しいことなのか。諸外国と日本の関係をより好転させるための話だから、政治利用という言葉は当たらない」と述べ、問題ないとの考えを強調した。岡田外相も記者会見で「陛下が外国からのお客様にお会いすることが政治利用だとは思っていない」と語った。

(2009年12月11日21時27分  読売新聞)
江沢民の前例を忘れたか。
ばか鳩は 
     三歩あるけば物忘れ
                朝に言うこと
                      夜に変更
こんな戯れ歌を作りたくなるほど程度が低い。

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2009/08/11

地震 あ~驚いた

本日早朝、我が静岡が揺れた。例の地震である。

ぐらっと来たと思ったら激しい横揺れ。たぶん20秒くらいだと思うのだが、ついに来たか「東海地震」と思ったものだ。しかもこの午前5時という時間だと真っ暗で何も見えず、そんな中で恐怖を味わわされるのは何とも言えない。

家人と大丈夫か、大丈夫だと声を掛け合い、全員の無事を確認した。

揺れが収まり電気はつかねえんじゃねえのと思っていたら意外にもついた。明るくなった部屋の様子はかなりのものだった。自分の部屋にあるもので一番多いのは本でこの本があっちこっちに飛んでいた。最悪なのは僕は本棚の上に映画のパンフレットを無造作に平積みにしていて、その本棚の前に飼っている亀の水槽があるのだが、その水槽の中に映画のパンフがダイブしていた。急いでパンフと救出して亀の様子を確認すると、亀は直撃を受けたにも関わらず無事だった。

やれやれと思ってとりあえず、寝室のある2階から1階に下りて家族の顔を見て改めて無事を確認したのだが、まさか2度寝する気にはならずかといって何をしていいのかわからない。広報が流れてテレビをつけろと言ったのでテレビをつけた。広報で言われなかったらテレビをつけることさえ思いつかなかったろう。

東海地震だとすっかり思い込んでテレビの速報を見ていたら、自分の住んでいる地域は震度5だという。あれっと思って見ていると、地震学者とアナウンサーが電話でやりとりし始め、今回の地震は東海地震とは無関係などと話しているじゃないか。そんなバカな。家族一同唖然とした。余震だってあるのに。

とりあえず会社のほうも心配だったので早目に家を出るとバスはしっかり動いていた。公共の交通機関が動いているというのは心強いが、いつもと変わらぬ日常のような気がしてなんだかちぐはぐな印象を持った。

会社のほうがすさまじい有様で倉庫の中のものは飛んでるし、花瓶は割れてるし、壁に亀裂は走っているし、朝はそれらの片づけで忙しかった。でもその忙しさをやり過ごすと当たり前の日常が戻ってきた。日本ってすごいなと思う。荷物だって普通に入荷してくるんだから。

だが会社からの帰りはすごいものがあった。なにせちっともバスが来ない。道路が混んでニッチもサッチもいかなくなっているようなのだ。仕方なくタクシーを捕まえて乗り込むと運転手がこれは地震の影響ですねと言っていた。どうもJRが止まって普段電車を利用している人がマイカーで移動をしたらしい。それらの人々が一斉に帰り始める夕方、異常に混んでしまったというのだ。

家に帰りつくと家人がいった「テレビで本物の東海地震は今日の揺れ以上の揺れが一分間続く」と。あんなおっかないのが一分以上も続くなんて絶望的な気分になる。

明日から防災グッズがたくさん売れるだろう。みんな今日のは東海地震じゃないんだと思いながら。今日一日を終えてみて、恐怖と何とも言えない未来の恐怖を味わわされた不思議な一日だったと思う。驚き、くたびれた一日だった。

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2009/07/09

Dear Doctor

人に勧められてこの映画を知ったのだが、いやはやいいものを見せてもらった。笑福亭鶴瓶が贋医者に扮して地域医療の中に溶け込むなんてすごいことじゃない?

構成がなかなか複雑だが物語の筋が追い切れないというほどでもない。画面から立ち上る雰囲気がなんだかアメリカ映画の「Smoke」を思い出してしまった。人物の設定も物語の場所も全く違うのになぜかこれを思い出す。人間の弱さや哀しさを描いているからだろうか?

「嘘をつく」という行いは良くないこととして受け取られているが、この映画は「嘘をつく」というまさに良くない行いを通してそれに関係する人間の様々な断面を切り取っている。

主人公伊野の嘘はもちろん医師免許がないのに医者として活動していることだ。だがその嘘によってこの人物は無医村の地域にとってなくてはならない人になっている。誰もが彼を敬愛し、頼って暮らしているのだ。

患者の一人鳥飼かづ子は都会に暮らす娘たちに自分の病気が良くないことを必死に隠そうとして伊野に一緒に嘘をついてくださいよと頼み込む。この嘘は都会に暮らす娘たちの負担になりたくない、あるいは先に見送った夫の看病を通して得られた特殊な感慨であったのかもしれない。

この作品は2重の嘘を通して進んでいくのだが、嘘はここではいけないものとして描かれてはいない。この作品の空間では嘘は必要とされている嘘なのだ。もちろん嘘なのだからそれによって傷つくものがいる。鳥飼の娘しかり、村人や村長さんしかり。だがその嘘を糾弾したりするものは皆無だ。みなその嘘を受け入れているように見える。ならば嘘とは一体何なのだろうか?嘘にまつわる僕らが通常思っている観念とは果たして正しいものなのか?

贋医者伊野も鳥飼の嘘もみな善悪のきっちり色分けされた世界にはなじまないものだ。いやそもそもこの世界をたった二つの色に分けることなどなかなかできるわけではない。そのことを僕らはよく知っている。だが、頭でわかっていることと実際の行動は違う。僕らは実際の行動を起こすに際しては単純な色分けの世界に安住したがる。そのほうが楽だから。だがこの映画に示された嘘はその嘘にまつわる観念を揺さぶり、僕らの世界観の狭さを指摘する。単純すぎる世界に暮らしていると思いたがっている僕らの感性の硬直を静かに攻撃し、認識の更新を迫るのだ。

生み出された嘘とその嘘が必要としている世界の再構築を迫る、なかなか硬派な映画だと僕は思った。

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2009/07/08

MW

やれやれと思わぬでもない。玉木宏という人気者を主演に据えてこの出来栄えとはいかがなものかと少々意地悪なことを書いてしまいたくなる。しかも手塚治虫の原作のテイストをぶっ壊してしまっているように思えてならない。お粗末なハリウッド映画と大差ないのだ。

まず冒頭のシーンからいけない。アクションシーンの連続なのだが、そしてそれは非常に力の入ったシーンの連続なのだが既視感に溢れ、あっと驚く要素が皆無だ。華麗な逆転劇もなければ、息をのむようなスリルもない。刑事に追われている主人公結城が無事に逃げおおせるだろうということまで予見されて熱意が完全に空回りだ。

また結城と賀来神父の関係もきちんと描けていないから原作を知らない観客が見たら戸惑うだろうし、原作を知っているものからすれば物足りなく思うだろう。神の僕たる賀来が結城の犯罪を知りつつなぜその片棒を担いでしまうことをするのか。このあたりのことを本当はきっちり描かないと作品の方向性を見失うし、また主人公たる結城の悪魔的な行動と心理が浮き上がってこない。原作では賀来と結城はホモセクシャルな関係で人を平気で殺す結城が例外的に特別視するのが賀来なのだ。賀来は結城の年の離れた幼馴染であり、結城に一種抜きがたい愛情を持っていて、神の御心にそむくような行いをする結城の暴走を何とか止めたいと願って呻吟するという役どころだ。こういった背景があって手塚のMWは描かれているのに、それらをきちんと描かないから、あるいは再定義しないから非常に薄っぺらないアクション映画になってしまっている。パンフレットを見ると結城と賀来の目線でそれを表現しているというが、そんなこと観客に分かるわけがない。エピソードを一つ、それも冒頭に近い部分に入れればこの作品の人物にきっちりと陰影をつけことができただろうに、それを怠るから凡庸な仕上がりになってしまう。おかげでラストシーンがなんのこっちゃわからなくなってしまった。

もう少し人物を整理するべきだったろう。例えば石橋凌演じる刑事は結城を追い、石田ゆり子演じる新聞記者はMWの謎を追うがこれはまとめて一人の人物にしておくべきだったろう。どちらも「追う」ということにかけては変わりがないのだから。またMWに関わった巨悪が少しも巨悪に見えないところがもったいない。

そもそもアクション映画にしようという方向性が間違っている。人物を執拗に追いかける犯罪映画にテイストを絞るべきだった。ちゃんと作ればたいした評価を得られただろうに、商業映画だからといって無用な皮算用をしたのだろうか?もったいないことをしてくれたものだ。

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2009/06/28

レザボア・ドッグス

クウェンティン・タランティーの初監督作品。彼はこの作品で成功への階段を一気に駆け上がり、次作の「パルプ・フィクション」でカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得するなど、過分とも言える、あるいは目を見張るような活躍っぷりを見せつけたものだ。当時の僕はといえば東京に出てきて間もない頃で、東京ではこんな映画が上映されるのかと驚いていたころだ。もう何回見たことだろう?今回はDVDで鑑賞した。

僕の好みでいえば「パルプ・フィクション」よりこちらの「レザボア・ドッグス」のほうが好きだ。「レザボア・ドッグス」の構成は斬新でゆえに緻密でもあった。場面が基本的には強盗団のアジトの倉庫しかなくそこで繰り広げられる物語は濃密であった。

公開されてから10年以上の時間が経過しているが、古びた感じが全くない。今すぐに劇場で公開しても全く遜色ない出来栄えといえば、これは傑作と言っていい作品なのだろう。

この作品の特徴は省略の美であろうと思っている。余計なものが一切出てこない。女は出てこない、余計な恋愛描写はない、家族に対する愛は描かれず、そもそも家族がいるかどうかさえ分からない。黒人は出てこない、人種に対する配慮がなくそもそもマイノリティに対する何の意見も表明しない。登場人物の過去がほとんど描かれない。だけど登場人物の個性はきっちりわかるように描写されている。大事なことは強盗団の話なのに肝心の強盗のシーンがなく、宝石店からの逃走シーンしかない。映画に付随するであろう様々な要素をこそぎ落し「この中に警察の犬がいる。その犬を探し出せ」にのみストーリーが集中している。しかも過去から現在への一直線的な時間の経過はたどらず、自由に過去と現在を行き来する。一切の余計なものを廃し、ひたすら現在を語ることに重きを置く。しかも現在を語る時のディティールの細かさといったらどうだろう?冒頭のチップを払う払わないのばかばかしさや、中盤の宝石店からさらってきた若い警官の耳を切り取るシーンでもミスターブロンドが剃刀を自分の頬に当てて見せてから音楽に乗って警官の耳を切り取ってしまうところなど、現在をのみを表現していながら、その人物の持つ個性が大胆に表現されている。

まったくもって隙のない作品だと思う。10年以上の時間が経過して現在でも強くそう思う。未見の人はぜひ見ておくべき作品だろう。

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2009/06/20

Juno

アメリカ映画を見ていて不思議だと思うことが時にある。何年かに一本青春映画の傑作が生まれるのだ。邦画全盛の昨今において、洋画、特にハリウッド製の作品が振るわない中にあって、この作品はどれだけ低く見積もっても佳作の域には達していよう。アメリカ映画は侮れない。そんな感慨を強く持った作品だ。Blu-rayで観た。

16歳で妊娠する。人生の大きな岐路に立たされてしまう少女の姿をこの映画は実に軽やかにポップに描写する。その裏に隠された突風のような不安な心理を覆い隠すかのように。

この映画の面白いところは主人公ジュノという女の子だろう。学校では変わり者とみられているが実際には好きな男の子とのセックスをして妊娠をしてしまうという事実は変わり者と見られているこの少女とてその内面に抱える資質が他の少女たちと少しも変わらないということを表わす。何となれば、妊娠というどうしても他の人々の手を借りねばならない状況の中で、そして16歳という偏見の目で見られがちな状況の中で彼女は本当に愛している人々は誰か、愛しているのはだれなのかということに少しずつ気付いていくのだから。

一人の少女の成長物語としてなかなか面白い作品だ。何より青春映画としてきちんと成り立っている。間違いなく佳作にはなっているだろう。

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2009/06/19

孤高の禅師 道元

映画「禅」を見たこともあり勢いあまって買ってしまった本だ。意外と影響を受けやすい自分に苦笑する。

この本は「日本の名僧」というシリーズ本の9番目に当たるもので他に法然や一遍など、日本史の教科書に必ず出てくる有名人ばかりが入っている。

一読した感想は「いやはやなかなか手に負えんわい」というものであった。本書は最初、道元の生涯を簡単に追いながら、それぞれの諸問題についての小論が続くといった具合で、特に最後の2章は仏教哲理にかかわってくる内容で僕にとっては難解であった。だがしかし、これらの内容については仏教を専攻した人ならだれでも簡単にすっと頭に入ってくる内容なのではあるまいか?少なくとも専攻する学生には初歩的なのだろうが門外漢の僕にとっては難しいものであった。

本書に語られる道元はこの時代の人としてはかなり特異な存在であったようだ。特に5章の「道元の清規」にかなり特徴的に表れている。清規とは寺院内における生活の方法や儀式に関することを記したルールブックのようなものらしいのだが、同時代の他の僧侶と比べても罰則規定がなかったり、時の権力への迎合がなかったりシンプルな印象を受ける。その代りに修行をする者に対しては自己を徹底的に規律することを求めたものらしい。

印象でしか物をかたることができないのが何とももどかしいが、非常に現代的で洗練された考え方のように思われてならない。というのも僕が学生であったころはまさしく個の確立なるものが目指されていたように思うのだ。大江健三郎あたりの文章をずいぶん読まされて閉口した記憶があるが自立し、完成された個というものが何であるのかずいぶん叩き込まれたように思う。それからすると他律的な生き方を否定するこの道元の清規の考え方はしっくりくる。もっとも今ではずいぶん時代が変わって助け合って生きていこうみたいな考え方に変わっているのだろうけれども、そういったものの考え方にある種の嫌悪感を抱いてしまう僕にとっては自律的な生き方を目指す道元的な考え方は好ましいと言わざるを得ない。結局は人生は己の意志と決定とその責任によって決まると考える僕は個の確立を目指す少し古いタイプの人間なのかもしれない。

もう少し時間があったならこの道元という人を追求してみたい。そんなことを思ってしまった。

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